【第一章 密室の扉】 (十二)記録
階段を上がり、部屋に入ると、錦は相変わらずの着物姿で机に向かっていた。問題集が開かれ、ノートに数式が書き込まれている。
中野が遠慮がちに尋ねた。
「お怪我は」
錦は軽く頭を下げて、上品に笑う。
「ご心配おかけして申し訳ありません。たいしたことはないのですが、傷口を見ていただけますか」
自分から包帯を解くと、中野に手を差し出した。
「大丈夫です。血も止まっている。でも痛かったでしょう。消毒しましょう。それと、少し傷口に木片が残っているようだ。これを取らなきゃならない」
中野がいたわるように、錦の手に触れた。
「では、お願いします」
錦が涼しい顔で答える。中野が鞄からトゲ抜きを取り出し、手に刺さった木片を抜きはじめる。傷口から血が滴り落ちた。
現一狼は一歩下がり、ドアにもたれた。
――血の匂いがする。
部屋から出ようとすると、渥が振り向いた。
「どうした? 顔色が悪いぞ」
「いや、ちょっと」
貧血で、とは言いづらかった。口の中でもぞもぞ言い訳をしていると、錦が言った。
「外にどうぞ。渥、これを持っていけ」
差し出されたのは、和綴じの古い紙束だった。渥が黙って受け取り、現一狼の背中に手を当てる。そのまま、現一狼は部屋から押し出された。
「おまえ、血、嫌いなんだな」
「好きな人なんていないでしょう。その紙、何ですか」
現一狼は冷たくなったこめかみをほぐす。
「記録だろ。俺も中は見たことがないよ。家長以外は、見てはいけないことになっている。だから、おまえに見て欲しいってことじゃないのかな」
渥は苦そうに口元を歪めた。
「渥さん、興味ないんですか?」
「あるよ。当たり前だろ。でも」
言葉を濁し、記録を無造作に現一狼に渡す。
「俺には見る権利がないと思うよ。家長じゃないし。父さんだって俺が家のことを知ろうとするのを嫌ったんだ。まあ、俺も、こんな性格だからな」
吐き捨てるように言って、渥は背を向けた。
追いかけようとした現一狼の手の中で紙が擦れ、一枚の紙片が落ちた。写真だった。白い橋の前で少年と青年が並んで映っていた。少年は渥に似ていた。そして、青年は。
高い背、長い髪、木炭で線を描いたようにはっきりした鼻筋。緑色の羽織。
現一狼は溜息をついた。
間違いなく、先代の現一狼だった。




