理系の婚活必勝法 ―オシドリ結婚相談所物語―
「あ、玉ねぎ切るの、僕がやりますよ」
井上和馬はにこやかに言って、まな板の玉ねぎを手にとった。
「すいません。私、涙が出やすい体質で……」
細川結衣は目に涙をにじませながら申し訳なさそうに場所を譲った。
和馬は足元のクーラーボックスから水と氷を取り出し、ボウルに入れると、手際よく玉ねぎの皮を剥いていく。
「玉ねぎを切ったときに涙が出るのは、硫化アリルという香味成分が原因なんです。涙予防には、この成分が生み出す催涙物質による刺激をいかに避けるかがポイントで――」
まな板の上で玉ねぎを半分に切り、ボウルの冷水に浸す。
「硫化アリルは水に溶ける性質があるので、細かく切る前に水に浸けると催涙物質の発生が弱まります。水っぽくならないよう、浸ける時間は短めがいいですね」
「お詳しいんですね」
「料理は一種の化学だと思ってます。僕のような理系の人間との相性は悪くないんですよ、ははは」
玉ねぎを切る手を止め、和馬は小指で眼鏡を鼻の上に持ち上げた。キランッとレンズが鈍い光を放つ。
(ふふ、結衣さん、感心してるな……料理男子であることもさりげなく伝えられた……ここまでは僕の計算通りだ……)
そこのは山間の河原だった。陽光の降り注ぐ青空のもと、結婚相談所が主宰した婚活イベントに、うら若い独身男女二十人ほどが集い、バーベーキューの準備にいそしんでいた。
ちなみに和馬のスペックは、年齢32歳。理工系の四大卒、身長175センチ。体重61キロ。ファッションは無難にユニ○ロのアウトドア系でまとめている。
大量の玉ねぎを切りながら、和馬はちらっと隣でジャガイモの芽をとっている若い女性を見た。
細川結衣。年齢は27歳。市の水道局で水質管理の仕事をしているらしい。人当たりのいい可愛らしい女性で、特に家庭的な雰囲気はポイントが高かった。
(今日ののいちばん人気はまちがいなく彼女……理系には理系の戦い方がある……恋愛工学をもとに、僕は婚活という戦場を戦い抜いてみせる……)
和馬が静かに闘志を燃やしていたときだった。
「きゃあああああ」
甲高い女性の声が響き、結衣が顔を見上げる。渓谷にかかる橋の上でバンジージャンプをやっていた。時折りオレンジのジャケットを着た人が落下してくる。
「やってみたいですか?」
「ちょっと怖そうだけど興味はあります」
へえ、そうなのか、と思った。おとなしそうな見た目だけれど、結衣さんは刺激を求めるタイプなのかもしれない。
下準備が終わり、バーべーキューが始まった。参加者たちは各々が四つのコンロを囲み、立食スタイルで食事と歓談を楽しんだ。
和馬はトングで肉や野菜をせっせと網にのせ、焼けたものから参加者に配っていく。店員のようにせわしなく働く姿を見て、結衣が気遣うように言った。
「井上さんも食べてくださいよ」
「そうですね。いただきます」
今さら気づいた風を装い、和馬は紙皿に肉と野菜を自分で取り、フーフーと息で冷まして肉を口に運ぶ。
そんな青年の姿に結衣が目を細める。
「井上さんって優しいんですね。重いコンロを運んだり、野菜の下ごしらえをしたり……尊敬します」
「学生時代、居酒屋でバイトしてたので、ついやっちゃうんですよね。それにみなさんが喜ぶ顔を見ているとうれしいんです。根っからの裏方気質なのかな」
婚活の絡んだバーベキューでは、玉ねぎをみじん切りにするとか、汚れた皿を洗うとか、人が嫌がることを率先してやるのが大事だ。
(女性はそういうところをちゃんと見ている……将来、家事をやる夫か見極めるためだろう……チェックされて当然だな)
婚活にのぞむにあたって、恋愛工学の本を100冊以上読破し、パソコンでマインドマップに打ち込んで体系化し、頭に叩き込んである。
(受験も、就活も、婚活も同じだ。知識を効率よく習得し、現場で実践する……大事なことは加点ではなく、減点をいかに防ぐか……)
結衣の隣にいる三十代ぐらいの女性が紙コップを掲げる。
「このビール、お中元で余ったものを井上さんがわざわざ持ってきてくださったんですよね?」
彼女は田代朋美。年齢は34歳。実家住まいのピアノ講師。顔はまあ、平均以下といったところか。今回の婚活パーティではモブキャラと言ってよい。
「僕はあまり飲めないので、ちょうど良かったです。あ、そのお肉、もう食べられますよ」
和馬はトングで肉を挟み、ピアノ講師の紙皿にのせた。
もちろん本命は結衣だったが、モブキャラにも等しく優しくするように心がけていた。特にブスの女性には逆に親切にするのが大事だ。
(美人だけをチヤホヤするんじゃなくて、女性にも、男性にも、みんなに親切にするんだ……女性はちゃんとそういうところも見ている……)
そんな彼の様子を見て、結衣さんの隣にいた三十代半ばぐらいの体格のいい男が言った。
「井上さん、ちょっとイイ人すぎない?」
結衣が首を傾げると、男は揶揄するように続ける。
「いや、計算してイイ人を演じてるんじゃないかなって」
ピアノ講師の朋美が唇を尖らせる。
「鮫島さん、ひどーい」
鮫島昌文は38歳の商社マン。日焼けし、鍛え上げられた体のマッチョだった。毎日スポーツクラブに寄って出社するエクササイズ好きで、週末はトライアスロンの大会にも出るらしい。
「そうですよ。がんばってくれた井上さんに失礼ですよ」
結衣にもたしなめられ、鮫島は頭をかいた。
「はは、すいません。僕は大きな企業で働いているので、周りは派閥争いや出世争いで、人を出し抜こうとするやつらばっかりなんです。つい人の裏を勘ぐる癖がついちゃって……許してください」
鮫島がさりげなく大企業勤めを自慢をしてくる。
「特別、僕が親切とは思わないです。それに僕は出し抜くとか、そういうのは苦手で……」
和馬は笑って受け流し、大人の余裕を見せた。
婚活で自分語りや自慢は絶対だめだ。年収はプロフィールシートに記載されているわけで、あえて自分から大企業勤めを言い出すと嫌味に聞こえる。
その後、鮫島は他のグループの女性に声をかけられ、コンロの前から離れた。マッチョの姿が消えると、結衣が苦笑した。
「私、鮫島さん、ちょっと苦手で……」
「僕もです」
女性との付き合いで大事なのは〝共感〟だ。相手の意見や感情に同意を示せば、この人は私のことをわかってくれている――と思わせることができる。まあ、鮫島の件に関しては本心から共感していたけれど。
「井上さんって、お仕事は何をされているんですか?」
「特許関係の仕事をしています。企業や特許庁から仕事を請け負う形で、その発明に似た発明がすでにないか調べるんです」
和馬は肩をすくめて続ける。
「地味な仕事ですけど、日本のイノベーションを縁の下から支えています。細川さんは水道局で水質管理のお仕事をされているんですよね?」
「ええ、私の仕事も地味ですけど、水道も社会の大事なインフラなので」
和馬は微笑んでうなずいた。
「僕たち、似たようなことをしているんですね」
「そうですね。井上さんとお話していると、落ち着きます。前から知り合いだったような気がして……」
「はは、僕もですよ」
恋愛で大事なのは〝類似性〟だ。人は経済状況、知能レベル、家庭環境……自分に似た相手に好意を抱く。
だから、相手に好かれたければ、僕とあなたは「似ていますよ」というメッセージを、なるべく多く発するようにする。
(結衣さんと類似性の確認はできた。あとは仕上げだな……)
眼鏡の奥の目が獲物を狙う猛獣のように細められた。
「じゃあ、みなさん、少しお話する相手を変えましょー」
婚活会社の女性社員の声が響き、結衣が申し訳なさそうに頭を下げ、その場を離れていった。こればかりはルールだ。従わなくてはならない。
とはいえ、他のモブキャラに声を掛け、好意を持たれても面倒くさい。今回は本命の結衣一本にターゲットを絞っている。
(網の交換でもするか……)
和馬が焦げ付いた網を取り替えていると、若い女性が近づいてきた。
「井上さん、私がやりますよ。会員さんとお話してください」
和馬が会員になっているオシドリ結婚相談所の社員、西野梓だった。
「いいんですよ、西野さん。僕こういうことやるのが好きなんで」
「私の立ち場でこういうことを言っちゃダメなんですけど……井上さんが参加してくださると助かります」
本来は彼女がやる仕事も和馬がやってあげるからだろう。
「はは、根っからの幹事体質なんでしょうね。そうだ。ちょっとお訊きしたいんですけど、細川さんって、どういう男性が好みなんですか?」
結衣もオシドリ結婚相談所の会員だ。彼女がこれまでどういった相手をイイと思ったり、お見合いををしてきたのか、梓なら知っているはずだ。
「そうですねえ……ちょっとワイルドな感じの人が好みかも」
「ワイルド……ですか」
困ったなと和馬は思った。理系男の自分はワイルドとはいえない。バンジージャンプに興味があると言ったり、結衣には見た目からはわからない意外な一面があるのかもしれない。
「あ、でも井上さん。細マッチョって感じがするし」
「はは、細いのは細いですけど、マッチョではないですよ」
ちらっと結衣のいる方向を見る。鮫島たちと楽しげに話している。類は友を呼ぶというか、鮫島の周りには脳筋マッチョ男子が集っている。
(……さて、何か手を打たないと……)
好みばかりは相手の問題なのでなんともしがたい。とはいえ、ここは何らかの打開策が必要だった。
そのとき、また渓谷に悲鳴が響いた。和馬が河原から橋の上を見上げる。オレンジのジャケットを着た人が橋の上から宙に飛び出し、宙にブランブランと揺れている。
ありがとうございます、と西野梓にお礼を言い、和馬はその場を離れた。
◇
和馬と結衣は河原を離れ、土留めの階段を登って渓谷にわたる橋に向かっていた。
普段、それほど運動をしない和馬は早くも息が上がっていたが、小柄な結衣は軽やかな足取りだ。
鮫島たちと話していた結衣に隙を見て「バンジーをやってみませんか?」と声を掛けたところ、結衣はすぐ「行きます」と食いついてきた。
「私、ジェットコースターとか、お化け屋敷とか大好きなんです」
「そうなんですか……」
その手をものが和馬はあまり得意ではない。
(だけど、ここで何か挽回の手を打たないと、このままズルズルと鮫島たちのグループに結衣さんを取り込まれてしまう……)
土留めの山道を登り切ると、明るい視界が開け、橋のたもとに出た。
橋の上にジャンプの台が設置され、スタッフが客にオレンジ色のジャケットを着せ、踏切台の上に立たせる。
橋の手すり越しに結衣が河原を見下ろす。
「すごい高さですねえ……なんか見てるだけでドキドキします」
和馬の眼鏡のレンズがキランッと鈍い光を放つ。
(ふふ、吊り橋理論……これで結衣さんは僕に落ちる……)
吊り橋理論とは、カナダの心理学者ダットンとアロンによって1974年に発表された感情の生起に関する学説で「吊り橋効果」とか「恋の吊り橋理論」と呼ばれる。
吊り橋という〝不安定な場所〟で人の心はザワつく。そのドキドキを恋愛時に抱く胸の高鳴りだと錯覚し、そのとき一緒にいる相手と恋に落ちるのだという。
若い男性スタッフにベルトのようなものを身体に巻き付けられ、和馬と結衣は橋の上に設けられたジャンプ台に立った。
「ほら、みんなが下で手を振ってますよ」
河原には婚活パーティの参加者たちがいて、こちらに手を振っている。
「実際、ここに立つと高いですねえ……」
隣で顔を強張らせる結衣の隣で、和馬が笑顔で手を振り返す。
「なーに、一瞬です。大丈夫ですよ」
青年には余裕があった。なぜなら一週間程前、下見で来て、すでにバンジーを経験していたからだ。
(備えあれば憂いなし……テストだって模試を受ける。下見くらい当然だ……だけど結衣さんは違う。緊張しているだろうな……)
今まさに彼女が抱いているドキドキを和馬への恋心と錯覚する――吊り橋理論の実践だった。
(僕の勝ちだ……理系はこうやって婚活にも勝利するのさ……)
勝利を確信し、青年はにんまりと笑った。
◇
「結衣さんが結婚した?」
和馬が驚いた声を上げる。
そこは都心のバスターミナルだった。週末、和馬はこれからオシドリ結婚相談所が主宰するイチゴ狩りの婚活バスツアーに出発しようとしていた。
「ええ、ご婚約されたそうです」
結婚相談所の社員、西野梓が答える。
細川結衣とはあのバーベキューパーティの後、LINEでやり取りをしていたのだが、次第に彼女からの連絡が途絶え、音信不通になっていた。
「あの……どなたとご結婚されたんですか? ここの会員の方ですか?」
まさか鮫島だろうか。あの商社勤めの脳筋マッチョ。あいつも結衣を狙っていたのは間違いない。
「いえ、ウチの会員の方じゃないです。ほら、河原でバーベーキューイベントをやったとき、橋の上でバンジーをやってたじゃないですか。お相手はあそこのスタッフらしいです」
「……スタッフ?」
そう言ったきり和馬は言葉をなくした。
恋愛工学をフルに駆使した彼の婚活は完璧だった。吊り橋理論はたしかに機能した。橋の上でのドキドキを彼女は〝恋〟と錯覚した。
ただし――彼女が恋に落ちた相手は、和馬ではなく、バンジージャンプで身体にベルトを巻き付けてくれた男性スタッフだったのだ。
(完)
オシドリ結婚相談所を舞台にした作品(短編)は他に……
「自慢の息子 ―オシドリ結婚相談所物語―」
「リモートお見合い ―オシドリ結婚相談所物語―」
……があります。