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海魔獣襲来

「今日は街の方が騒がしいな」

荷物運びをしている水夫の一人が街の方を見て声を上げる。

街の方からは喧騒が絶えず聞こえてくる。


「何だろうな。今日は祭りでもねえのに」

船からの積み荷を降ろしながら水夫たちは街の方を見てつぶやく。

話題に上っていた。


「祭りでもやってるんじゃねえの?」


「そんな話はきいてないんだがなぁ」

水夫は首を傾げる。


「何だありゃ?」

そんなやり取りをしていると一人の水夫が海の方を見て声を上げる。

一艘の小さな船が港町ライラックの漁港に入港してくるのが見えた。

不思議なことにその船には誰も乗っているようには見られない。呼びかけるも何も返ってこないのだ。

人影すら見えず、帆すらない状況でただゆっくりとこちらの港の方に向かってきている。

あまりに不可思議な状況に徐々にその船に視線が集まり始める。


「漂流船か?」

荷運びを行っている水夫たちは足を止めて港に入ってくるそれに注目し始める。

その一艘の船の後ろには巨大な影があり、港にいる男たちの一人がそれに気づく。


「背後になんかいるぞ…なんだ?あの黒いのは…」

やがて黒いその塊は徐々に海面からその巨体を現した。

港にいる人間たちはその光景に釘付けになった。


「海魔獣だっ」

そう誰かが叫ぶと漁港にいる水夫たちは恐怖の形相になり、手に抱えた荷物を捨てて、我先にと持ち場から逃げ始めた。

海魔獣はこの星の原初の生物の姿とされ、極稀に大陸の沿岸部にやってきては甚大な被害をもたらすという。

海で生活を行っている者ならばその恐ろしさは身に染みている。普段は使わない警鐘が狂ったように鳴らされる。


それが港町ライラック始まって以来の最大の騒動の幕開けとなった。


------------------------------------------------------


足元には矢が無数に突き刺さっており、襲っていたはずの男たちが逆に全員地面にへたり込んでいる。

全員汗だくで動けなくなっているのだ。街中が戦場にでもなったような光景である。

ただ一つだけ違っているのはその広場にいる人間は誰一人として死んでいないという点だ。


その広場に立っているのは一人の男。

向かって来る者が一人としていなくなったところで俺は目を開き、足元に転がっている人間を見下ろす。

動ける者はおろか、立ち上がる者すらいない。信じられない光景に誰もが言葉を失っていた。


俺当人にしてみればそれは一つの実験だった。大多数の人間を把握し、それらから最適なルートを導き出し避け続ける。

それはすでに曲芸の域だったが、オズマなら難なくできることだ。

もちろん素人同然の自分の動きではない。今までそばで見てきたエリスやオズマの動きを反映させた。

結論は今の状況。ゴロツキ共がはいつくばって俺一人だけがその場に立っている。


「気は済んだか?」

俺は汗一つなくけろりと足元に転がっている男たちに対して告げる。

その声に誰もが息も絶え絶えで誰も応じない。

ゴロツキたちを手を上げることなく倒したさまに街中から歓声が上がる。


そんな異様な空気の中、ボウラットは言葉を失っていた。

どんな曲芸師だろうと、軽業師だろうと、三百人以上の人間の攻撃を鮮やかにすべてを避けきるのは不可能だ。

捕まえる側も初めは素手だけだったが徐々にそれはエスカレートしていき、

しまいにはなりふり構わずに弓矢などの飛び道具にまで及んでいた。

それをすべて躱しきった男の額には汗すら見られない。

ただ興味を失ったような眼差しで見下ろすその姿には畏怖すら覚える。

ボウラットはそんな曲芸じみた芸当をできる人間を一人だけ心当たりがあった。


「ジルド…『闘仙』ジルド』

ボウラットがそんな離れ業を見せられて連想したのは冒険者の頂点Sランク冒険者の『十天星』の一人。人の武を極めた頂。

魔物の群れを相手にかすり傷一つ負うことなく殲滅すると言われている。ゆえについた二つ名が『闘仙』。

冒険者歴の長いボウラットはその『闘仙』ジルドの訓練風景を見たことがある。

その時の状況も同じようにジルドに誰も触れられず、ジルドの足元に多くの人間たちが転がっていた。

自分たちのような普通の人間では一生かかってもたどり着けない境地。


ここで港のほうから警鐘が狂ったように鳴り響く。

広場の中心にいる一人に注目していた群衆が我に返る。


「海魔獣だ。海獣が来やがった」

その言葉にボウラットは我に返る。


「海魔獣…まじかよ」

広場は少し高台にあり、港を見下ろせる位置にある。

皆が港の方に目を向けると港の少し先に丸く巨大な黒い影が見えた。

その黒い塊は触手を何本も近くにある船を破壊し、ゆっくりと港の方へ向かって動いている。


海魔獣が襲来したことで港町ライラックは混乱に陥った。

緊急事態を鳴らす鐘は狂ったように打ち鳴らされ、

街の通りは少しでも海魔獣から遠ざかろうとする者たちが波となってあふれかえっていた。

港町ライラックは上へ下への大騒ぎと化していた。


「海魔獣…何でだ?」

ボウラットの頭の中に疑問がよぎる。本来なら魔素の多い場所に生息するであろう海魔獣。

それが沖から陸に上がって、しかも襲ってくるなど聞いたこともないし、考えられない。だがそれは実際に起きている。

ボウラットは海魔獣の迎撃に頭を切り替える。


「手の空いている冒険者は武器を持って港に集まれ。ライラックは俺たちの街だ。野郎ども、今が稼ぎ時だぞっ」

ボウラットは声を張り上げた。ボウラットの声に我に返った冒険者たちが一斉に動き始める。

そんなボウラットのそばにギルド職員の制服を着た女性が駆け寄ってくる。


「ボウラットさん、ギルドマスターが今後の対応についてボウラットさんを呼んで来いと」

ギルド職員の言葉にボウラットは眩暈を覚えた。

現在ライラックのギルドマスターは冒険者ギルドの評議会から送られてきた人間である。

こういった現場対応が無理なのはボウラットは知っていた。現状は時間との戦いである。

状況は一刻を争う。少し対応が遅れるだけでライラックの人々が死んでいくのだ。

冒険者ギルドまで戻って部屋で対応を決めている時間はない。

また、現状指揮を託せるような高ランカーはライラックにはいない。ボウラットはそのことから即時に決断する。


「もういい。全責任は俺が取る。今ライラックにいる魔法使い全員に招集をかけろ。

それと冒険者ギルドの保管庫からありったけの武器を持ってこい。ランクの低い奴は人の誘導だっ。急げっ」


「ボウラットさん」

ボウラットに駆け寄ったギルド職員は声を張り上げる。


「ギルマスにはこっちはこっちでやらせてもらうと伝えておけっ」


「…いいんですか?ギルドマスターを無視して…後で問題になりますよ?」


「ライラックが残っていたら後で査問でも首でも勝手にすればいい」

冒険者らしい気風の良さでボウラットはギルド職員に答える。

広場には武器を持った冒険者たちが集結しつつある。


「俺はどうする?」

ユウはボウラットを呼び止める。


「悪いが皆の避難を手伝ってくれ」


「ああ」

ボウラットはユウという冒険者の背中を見る。正直なところユウと呼ぶ冒険者のことがよくわからなくなった。

ただの一介の冒険者ではないということはわかった。

それでも討伐に参加させなかったのは、何の力にもなれなかったというボウラット自身の負い目があった。


「さてお前ら、行くぞっ」

ボウラットの掛け声に冒険者たちが呼応し、一斉に移動を始める。

それは一つのうねりのようになり、港の方へ向かっていった。


------------------------------------------------------


物陰からその状況を見つめる一人の男の影があった。ダガン兄である。

そこへひょろりとしたのっぽの男が走って。


「…ぜえ、はあ。兄貴…、金貨は…奴の…泊まっている…宿には…なかった…ぜ」

息を切らしながらダガン弟。


「やっぱりか」

ダガン兄は予測していた様子に弟はみるみる不機嫌な表情になった。


「やっぱりって知っていて俺を行かせたのかよ、ひでえぞ兄貴」


「悪いなお前を行かせたのは念のためだ。

考えてもみろよ金貨五千枚も土地勘のない見知らぬ土地でどこかに預けるとは考えにくい。

かといってそれだけの金が動いたとなれば噂になる。だがこの数日ライラックで大きく金が動いた噂は聞いてねえ。

だとすればまだ奴が金貨を持っているってことだ」


「金貨五千枚を持っている?そんな馬鹿なことが…」


「金貨を持っているのをはじめに俺たちに見せた。

だが、あれだけの大立ち回りをしているのに奴からはその金貨のこすれる音すらしなかった。それは何でだと思う?」

あの男は皆の前で金貨の入った袋を見せつけている。


「…それは…どういうことだ兄貴?」


「嵩張ることなく手元に置いておける収納系の魔道具を持ってるんだろうさ。

つまり金貨五千枚は奴を捕まえた奴の総取りってことだ。魔道具の方も金貨五千枚を入れられるぐらいだ。

相当な値が付くだろうよ」

男はその不細工な顔に醜悪な笑みを浮かべる。


「…兄貴、本当にやるのか?」

会話が途切れると港の方からは悲鳴やら、怒号やら入り混じった声がひっきりなしに聞こえてくる。


「こんな状況なんだ。今しかねえだろ?それとも今更怖気づいたか?」

兄の叱咤に弟は弱気を奮い立たせる。


「いいや、俺はやるぜ。ここで奴から根こそぎ奪って、人生を変えてやる」

ダガン弟は自らを奮い立たせる。


「ああ、その意気だ」

ダガン兄は弟の背をどんと叩く。

そして二人のゴロツキは動き始めた。

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