包囲
今いるのは港町ライラックで一番開けた広場。俺はその真ん中に立っていた。
俺は顔を引きつらせながら港町中のごろつきに囲まれている。
ごろつき共は殺気だっていて、中には血走った眼を俺に向けてくる者もいる。今にも俺に襲い掛かってきそうな感じである。
襲い掛かってこないのはただお互いがお互いを監視しているためだ。
だが少しでも均衡が崩れれば今にも俺に向けて襲い掛かってきてもおかしくはない。
そういった危うい状況にある。
ボウラットが横で心配そうに俺を見ている。
俺は頭を抱える。こうなってしまったのは元をただせば全部自分のせいでもあるからだ。
事の発端は朝である。今日はエリスとセリアと合流の日となっていて、昼過ぎに広場の中央で落ち合うことになっている。
俺は宿を引き払い、街をぶらっとしてから飯をどこかの食堂で食べて向かうことにした。
宿を出ると宿の外には人垣ができていた。俺は訳が分からず通り過ぎようとすると横から呼び止められたのだ。
「おい、そこの」
「?」
俺が振り返るとそこには強面の男がいた。その脇には両脇をごろつきに固め怯えた少年がいる。
「そいつで間違いねえな?」
そういっているのは歯が欠けて髪もぼさぼさの男だ。少年は怯えた表情でこちらを指さし何度も首肯する。
その少年の顔は覚えている。たしか白金大金貨を両替したときに見た顔だ。
「悪かったなあ。帰っていいぞ」
横にいる男に硬貨を握らされ、尻を叩かれると走ってその少年はどこかに走り去っていった。
「お前、このライラックで白金大金貨を換金したな」
男が俺を指さしそう告げる。周囲から一斉に剣呑な視線を向けられる。まるで獣の檻の中に放り込まれたような感覚である。
「…あーそういうことか」
俺はここでようやく理解する。どうしてこういうことになったのか。以前どうして尾行されていたのか。
すべてが一本の線につながる。どうやら元凶は俺の白金大金貨を金貨に交換したことだったようだ。
どうやらその行為がこの街のならず者を刺激してしまったらしい。
さてどうしたものか。俺はどうしようか悩む。ここで乱闘騒ぎになったら犠牲者が出てもおかしくはない。
目の前にエサがある状況でこの獣たちが逃がしてくれると思えない。それこそ地の果てまでも追ってくるだろう。
かといってこいつらに金貨をくれてやるいわれもない。
そんな緊張の中、誰かがぱんぱんと手を叩く音が周囲に響き渡る。
「こら、ここで戦争でも起こすつもりか?そうなったら冒険者ギルドが黙っちゃいねえぞ?」
手を叩いて現れたのはボウラットだ。ゴロツキ共を睨みつけながら声を上げる。
ボウラットを見てごろつきの間にざわめきが起きる。
ボウラットはライラックの冒険者ギルドの職員というだけではなく、冒険者の元締め的な存在と言っていい。
冒険者ギルドは国家すら脅かしえる軍事力を持っているともいわれる。
そんな連中に喧嘩を売るような馬鹿な組織は存在しない。
「ボウラットの旦那。どうするつもりだ?」
少年の脇にいた男がボウラットに質問を投げる。
「場所を変えろっつってんだ。ここじゃ一般の人間に被害がでちまう。もしそうなった場合、容赦はしねえぜ?」
ボウラットはそう言ってゴロツキ共を鋭い目つきでにらみつける。
ボウラットはそういうと俺について来いといわんばかりの視線を向けた。俺はボウラットに小走りで近づく。
「詳しくは歩きながらだ」
ボウラットは俺の脇にやってきて俺に小さくつぶやいた。
そのまま俺はボウラットに連れられるように一緒に歩く。すると周囲を囲んでいたゴロツキ共も一斉に動き出す。
異様な状況になったと思った。一定の距離をとっている。どうやらお互いにけん制しあっているらしい。
「お前とは昨日一緒に仕事をした仲だ。ここにいるのは俺の意思で来た。
一応確認しておくが、お前がこの街で白金大金貨を両替したというのは本当か?」
「本当です」
俺がそういうとボウラットは一瞬表情を動かした。
「馬鹿かお前?死ぬぞ。もうさっきのでお前が大金を持ってることは街の組織全てに知られちまった。
こうなったら冒険者ギルドでもお前を守ってやることはできねえ。
金貨五千枚置いていくなら俺が奴等と交渉してお前の命の保証だけはしてやる」
「ボウラットさんにそこまでしてもらう必要はありませんよ」
俺は笑ってボウラットに答える。一度冒険者として一緒に仕事をした人間に普通そこまでしない。
交渉といっても命懸けだろう。ボウラットの善意に少しだけ救われた気がした。
「お前なあ、今どんな状況かわかってんのか?」
ボウラットは呆れた声を上げる。
「心配しないでください。俺が蒔いた種です。この話は俺が俺の手で終わらせますよ」
俺は笑ってボウラットに告げる。
「俺がどういっても聞くっていう面じゃねえな。勝手にしろ」
ボウラットは俺の表情から何かを読み取ったのかそう呟く。
俺たちやってきたのは港町ライラックで一番大きな広場である。
俺の背後には視界を覆いつくさんばかりのゴロツキ共。
その姿を見て俺たちがやってくる前から広場にいた人間たちがさーと引いていく。
港町ライラックのほぼすべての組織に属するゴロツキ共が広場に集まった。
ゴロツキは獲物を見るような目つきで俺に視線をむけてくる。
その他に何が何だかわからず怯える街の人々の視線や何事かとこちらに向けられる視線。
そんな街中の視線が俺一人にあつまっている。
この世界に来てからこんな状況に巻き込まれたのは何度もあった。
そもそも行く先々でこんな目にばかり遭っている気がする。
俺はため息をつくと思考を切り替える。こうなったらこの状況を利用しよう。
試してみたいことはあった。これはある意味チャンスかもしれない。
どこか吹っ切れた俺に対してゴロツキ共は怪訝な表情を見せる。
「俺は二時間逃げ回る。俺を最初に捕まえた人間に金貨五千枚。それでどうだ?」
俺は声を張り上げ、ゴロツキ共に宣言する。
ゴロツキ共は俺のその一言を聞くと歓声を上げた。
ちなみにゴロツキ共にちょっと頭に来てたので俺の口調は自然と荒くなってる。
そもそも人からモノを奪うという発想が気に入らない。
「町中を逃げ回るつもりかよ?」
ゴロツキの一人が嘲るように声を上げるが、俺は首を横に振る。
「勘違いするな。俺が逃げるのはこの広場の中だけでだ」
「おい。正気か?」
ボウラットが横で声を上げるが、俺は気にしない。
「本当に持ってるのかよ」
懐から小さな袋を取り出し、その袋の中から手一杯の金貨を見せつける。
ゴロツキ共の目の色が目に見えて変わり、殺気の混じったものになる。
「それじゃ。始めようか」
そう言うなりと俺は目を閉じる。
目を閉じると俺の頭の中に三百六十度、自身の周囲が描かれる。魔族の空間感知能力。第六感。
俺のもつそれを開放し、今の状況に備える。
「なんだこいつ?瞳を閉じやがった」
俺が瞳を閉じたのは視界から入る情報が邪魔だったためだ。
「どうした?早い者勝ちだぞ。それともびびっているのか?」
俺のその一言で背中を押されるように一斉にゴロツキが俺目がけて襲い掛かってくる。
その様は人の波が一斉に俺に向かって流れ込んでくるようにも見えた。
紙一重で俺を捕まえようと男の頭を足場にしてそれをひらりと躱す。なだれ込んだゴロツキ共が一斉に倒れ込む。
俺はゴロツキ共の頭を踏みつけながら、背後の地面に着地する。
ゴロツキたちは俺のいた場所にドミノ倒しのように重なって倒れる。
「どうした?」
頭に血を上らせたゴロツキが俺に向かって再度殺到する。俺は同じようにその人垣をひらりひらりと躱す。
上位魔族の持つ第六感は異常ともいえる。さらに必要なのはそれを処理できる能力。俺は既にその二つを有していた。
だが、それを試す機会にはあまり恵まれていなかった。目の前に大金がかかっているのでゴロツキ共は必死だ。
ちなみにこれはパーティの皆で稼いだ金であり、俺はゴロツキ共にびた一文くれてやるつもりはない。
さあ、試させてもらう。
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ボウラットは刮目していた。今ここにはライラックのほぼすべての裏組織の連中が集まってきている。
その数は少なくとも三百はいる。ちょっとした軍隊。抗争というよりは戦争と呼ぶ方が相応しいだろう。
しかもそれらの標的は丸腰の一人の男だ。
その男は捕まえようとするそれらゴロツキたちを紙一重ですべて見切って躱していた。
「ここまでなのか…」
ボウラットの知るAランク冒険者たちでもここまでの立ち回りはできない。
ひょいひょいと動いてすべてをことごとく躱し、その上息すら乱していない。
さらに恐ろしいのはその男がゴロツキ共に一度として手を出していないところだ。
けが人は出ているがその傷はゴロツキ共が自分たちで勝手に負ったものだ。
ボウラットは多くの冒険者を今まで見てきている。
冒険者のことは一目見ればほぼランクからその生い立ちまで高い確率で的中させることができた。
そのボウラットがその男の評価だけはできなかった。
その異常性はボウラットも薄々は感じていたがこれほど自分の感が外れるとは思っていなかった。
何がボウラットを狂わせているのか。それはユウの魔族という種族の特性である。
魔族という存在は経験がなくとも人以上の力を初めから手にしている。
肉体的なスペックがはじめから違う。人が一する間に十のことができる。
たとえ人の中で天才だろうと、それはあくまで人の枠の中での話だ。
魔族からすれば人間の優劣などどんぐりの背比べというに等しい。
そのために何十年という経験によって到達するはずの領域に、僅か数か月ですでに到達しえるという状況が生まれる。
つまりはボウラットのような長年の経験から培ってきたフィルターを通してみる人間にとって、
ユウという存在は最大の特異点である。
ゴロツキ共は焦り始めていた。
こんな衆目の集まる広場で一人の人間にいいようにコケにされたと噂がたてば組織の沽券に関わってくる。
なめられるということは組織の存続にかかわる問題に直結している。
もしもなめられてしまえばライラックから撤収するほかない。
一人を消すだけで金貨五千枚を手に入れられるという体のいい稼ぎから、組織の存続をかけた争いに追い込まれていた。
「足を切り落とせ」
ゴロツキ共は仕舞いには全く捕まえられないことにしびれをきらし、武器を取り出し始めた。
だが武器を持ち込んでもその状況は全く変わらない。剣やこん棒、斧を持って仕掛けるも全部見切られる。
捕まえようと一斉に飛びかかるもすべて躱されてしまう。
死角から弓で射ようとしてもひらりひらりとかわされる。踊る様にすべての攻撃を見切っている。
挙句、捕まえようとする人間側が体勢を崩したり、同士討ちをしたりしてけがをする始末。
広場の混乱はピークに達そうとしていた。
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レイチェスは鼻歌交じりに通りを歩いていた。今日はカータと港町でショッピングすることになっている。
ライラックの港町を歩くのは久しぶりだった。ライラックは幼いころに育った場所でもある。
見知った場所を歩くことにレイチェスはいつになく高揚していた。
レイチェスはとある商家の三女である。
かつてはライラックに拠点を置いていたが治安が悪くなり、
かなり前に拠点を別な場所に移していてここに来る理由はない。
ここに来たのはかつての幼馴染のカータに出会うためだ。
レイチェスは若いころから魔法の才能を見いだされ、魔法の教育機関のあるカロリング魔導国に招かれることになった。
カロリング魔導国は苛烈な競争社会だった。魔法の能力が何よりも重要視される。
世界中から才能のある人間が集められ、常に魔法の研鑽をおこなっている。
カロリング魔導国では魔法の能力によってその地位が決まり、議会に対して決定権を握っていた。
だからこそ相手を出し抜くのは当たり前。弟子を潜り込ませて敵対する相手の研究を奪うことも平然と行われている。
生き馬の目を抜く世界だ。
その一方でレイチェスは平民でも対等にみられる実力重視の世界を悪くはないと感じてはいた。
魔法の授業はついていくのが大変だったが、やればやるほど力がついているのを感じ取れて、楽しかった。
だがそんな日々は長くは続かない。彼女は才能を示し過ぎたのだ。
とある出来事がレイチェスにそんな魔法国に見切りをつけさせた。
自身がろくてもない男と婚約させられそうになったのだ。現在魔法国では血統が何より重要視されている。
よりよい血統の組み合わせからはよりよい才能を持った人間が生まれる。
カロリング魔導国の上層階級はその思想の元に近親相姦を繰り返すことになる。
必然的にそれは同時に奇形児を多く生み出すことにもつながった。
上層階級の人間にとって外の血を取り入れることが必須だった。
そこで外の出身者でありながら才能をもっているレイチェスに白羽の矢が立ったのだ。
年ごろのレイチェスに婚約の話が持ち掛けられた。
相手は家柄や血筋を主張する鼻持ちならない男だった。かなりの好条件を提示されたがレイチェスはこれを固辞。
その一件によりレイチェスは権力者に目をつけられるようになる。
権力者に目をつけられたレイチェスは活動を著しく制限されてしまう。平たく言えば嫌がらせを受けることになったのだ。
レイチェスはカロリング魔導国に見切りをつけ、かねてより成りたかった冒険者になることを選択する。
冒険者は自由が保障される。
それは冒険者ギルドという国境を越え、国の武力すら超えると言われる組織の力によるところが大きい。
さらにAランク以上ともなれば、一国の貴族並みの発言を有するとも言われている。
本物だけが残る実力主義の世界。レイチェスの子供のころからのあこがれでもあった。
レイチェスは冒険者になる手前、かつての約束していた幼馴染であるカータを誘った。
さあ冒険者になるぞと冒険者登録をした当日に講習が組まれた。
出鼻をくじかれ、少し不満があったが、この講習自体異例なことで、普通はそんなことはしないという。
ただレイチェスの将来性を考慮したうえで冒険者ギルド側が組んでくれたものであるという。
レイチェスはこれも自身に対する期待なのだととらえ、しぶしぶながらもそれを受けることを承諾する。
冒険者講習にはもう一人、ハルという男も来ていた。最初は常にどこか緊張していて話しかけることもはばかられた。
ただその実力は相当なもので一対一の剣術のみでボウラットを倒したのは驚きだった。
冒険者講習は決して無駄なことではなかったし、受けてよかったとすら思える。
ボウラットから教えられた様々なことはこれからの冒険者としてやっていく上で必須のことであり、重要なことだ。
その上、グランボアの討伐で予定外だが多めの金額を支払われた。
それは危険な目には遭ったが、それを帳消しにするほどの金額。これが命をかけた対価なのだ。
レイチェスは今日はライラックの料理を思い切り食べることを決めていた。
それにハルという男を知れたことが収穫だったとも思う。
レイチェスの前にグランボアの盾として立ちはだかったハルの背中が目に焼き付いている。
人はぎりぎりのタイミングでその本質が出てくるという。
自らの安全を省みずに会ったばかりの人間を助けようとする姿勢をレイチェスは評価していた。
ハルという人間なら信用できる。
今日カータに相談した後、ハルを一緒のパーティに誘ってみようとレイチェスは考えていた。
カータとの待ち合わせ場所は広場の中央付近。だがその広場には人だかりができていた。
今日は平日であり、ライラックで祭りがあるとは聞いていない。
その場にいる誰もが無言で広場の方を見ていた。広場の中央からは声が聞こえる。
どうやら皆広場の何かを観ているらしい。レイチェスはは人垣の中にカータの大きな背中を見つける。
「どうしたの?」
レイチェスがカータに近づいて声をかけるとカータが広場の真ん中を無言で指さす。
カータの指さす方向を見るが人垣ができていて全く見えない。
「見えないわ。カータ、持ち上げて」
そういうとカータはレイチェスをひょいと肩に乗せる。
広場では一人の男が数百人はいるであろうゴロツキ相手と対峙していた。
いや、対峙しているのではない。攻撃のすべてを躱しているのだ。それもすべて紙一重で。
棍棒を振る男や怒声を上げ刀で切りかかる男、また数十人は疲れはてたのか倒れている。混沌とした状況である。
レイチェスはその光景の異様さに顔をこわばらせていく。
全方位からの攻撃をかすらせもしない。あろうことか見えるはずのない死角の攻撃まで見えて避けている。
「何よあれ…」
レイチェスは絶句する。あんな動きをする人間を見たことがない。
「あの避けてる人に見覚えがないですか?」
カータの言葉に私はゴロツキからの攻撃を躱しているその男をよく見れば見覚えがあった。
昨日ポーターとして同行した男である。広場ではボウラットが立ち尽くすようにしてそれを見ている。
「…うそでしょ…」
一人で数百人の攻撃を避け続けているという行為に視線が釘付けになった。
「彼はああして一時間以上攻撃を避け続けているんです」
カータは視線を広場に向けたままその言葉を口にする。
そして、それはこの日レイチェスが目の当たりにする冒険者上位層の一人目となった。