想定外
その巨体からは湯気が立ち昇り、息遣いは荒く、目は血走っていた。
グランボアは子供を殺されたことに明らかに激怒しているのだ。
ボアはその種類というより大きさで呼び名が変わる。
一般的な大きさのものをワイルドボア。それより大きなものはグランボアと分けられている。
ワイルドボアの中でもグランボアとなる個体はほとんどない。
大きくなるためには年数が必要であり、その前に死んでしまうのがほとんだからだ。
ここでボウラットは村人たちがそわそわしていた理由を理解する。
そわそわしていたのは虚偽の報告をしていたためだ。依頼料を十分に支払えない寒村では虚偽報告をする場合がある。
罠で倒そうとしなかったのはできなかったからだ。
一番の失敗は夕方で足跡の確認作業を行った際、報告と一致していたためと時間の都合ですぐに切り上げてしまったこと。
(この大きさ、少なくともBランク上位。まずいな、子供が殺されたことで気が立っている)
「ちっ」
迂闊な自身にボウラットは舌打ちをする。現役のころにはやらかさなかったであろう失態である。
ボウラットは剣を構え、グランボアと新人の間に立つ。
ボウラットは目の前のグランボア逃げられないことを悟り腹をくくった。
「ひよっこ共は帰ってこのことをギルドに報告しろ」
グランボアと対峙しつつボウラット。
「ボウラットさんは?」
それを問うカータの声は上ずっている。
「ここで奴を食い止める」
ボウラットはそう言って新人を背にして剣を握る手に力を込める。
「どこを見てる、お前の相手はこっちだっ」
ボウラットは声を荒げ挑発する。グランボアは本来ならばBランクの冒険者が数人がかりで仕留める魔物である。
個人で倒すにしてもそれだけの道具や装備が必要になるし、ボウラットは今回それらを持ってきていない。
最悪ここが自身の死地になることをボウラットは覚悟する。
グランボアの巨体がボウラットに向かって動き出す。ボウラットは巨大な岩が動くような錯覚に襲われる。
「腕一本ってところか」
覚悟したボウラットは深く息を吸って吐き出す。普通の攻撃では表皮すら貫けないだろう。
出会いがしらに全体重を乗せた突き、それに相手の突進力を利用し、頭部を一撃破壊。
ボウラットは構えを、静かにグランボアの突進にタイミングを合わせる。
グランボアはボウラットの脇をすり抜ける。ボウラットの狙うのは交差法と呼ばれる技術。
ただし一歩間違えれば確実に大けが、悪ければ死亡する。うまくいったとしても腕は使い物にならなくなるだろう。
この集中力があったためにボウラットは長らく冒険者を続けられたのだ。
だがボウラットがグランボアに接触するかと思われた瞬間、グランボアは軌道を変え、新人の冒険者たちに向かっていった。
グランボアの怒りの矛先は初めから自らの子供たちを殺した新人の冒険者たちに向けられていたのだ。
「逃げろっ」
ボウラットはすぐさま反転し、グランボアを追いかけるも、人間の速度では野生の四足歩行の獣には追いつけない。
カータたちと遮蔽物がないためにグランボアとの距離はどんどん縮まっていく。
そもそも四足歩行の動物と人間ではその脚力に大きな差がある。さらに魔物に警戒して開けた場所に陣を張ったのが仇となった。
新人の冒険者たちとグランボアの巨体の距離がみるみる縮まっていく。
「俺がっ」
このままでは追いつかれる。グランボアの進行を阻もうとカータは足を止めると、
盾を構え、腰を落として、突進するグランボアに立ち向かう。
「がっ」
カータは人間の中では体格がよいほうである。しかしそれはあくまで人間の中での話だ。
武装しているとはいえ、数倍の質量差があるグランボアの突進を受けるには無理がある。
グランボアの突進まともに受けたカータは明後日の方向にあっさりと吹き飛ばされる。
「こいつっ」
カータの作った短い時間でレイチェスは魔法式を組み立てていた。レイチェスが得意とするのは火魔法である。
得意とする火魔法であるためにその威力、構築の速度、精度は他の系統の比ではない。
はじめのワイルドボアの際には近くの森が火事になる可能性があったために使えなかったのだ。
レイチェスが全力で放った火球がグランボアに着弾し、爆発が引き起こされ空気が振動する。
「よし」
手ごたえはあった。咄嗟だったがレイチェスの扱う最も得意な魔法を本気で撃ったのだ。
レイチェスの顔に笑みが浮かぶ。だが、レイチェスの顔は次の瞬間凍り付く。
煙の中からグランボアが姿を現したのだ。多少傷は負っているものの怒りに我を忘れている。
「嘘…」
グランボアの憤怒の視線と困惑したレイチェスの視線が交わる。
レイチェスを次の標的に定め、一直線にレイチェスに向かって突進する。
ハルがレイチェスを守るように彼女の前に立つ。小柄なハルとグランボアではその結果は火を見るより明らかだ。
いくらハルがどれほど優秀な剣士だろうとその体格差は覆せない。ボウラットは接触する直前に目を閉じた。
だが、そこでありえないことが起きた。突如グランボアが体勢を左に大きく崩したのだ。
左にがくっと偏るとそのまま左に転がり、ハルたちを避けるようにくるくると回転をして前進し、木に激突する。
ドスン
あまりの出来事に一同は言葉を失った。一番先に我に返ったのはハルだった。
ハルは昏倒しているグランボアに駆け寄り、手にした剣で首元に突き刺し、その命を絶った。
こうしてグランボアは新人冒険者たちに討伐されたのだった。
ボウラットは討伐が無事に終わったことに胸をなでおろす。グランボアの討伐はBランク任務に相当する。
大概は安全を取るためにB、Cランク冒険者二三人で事前の準備を入念に行い、倒すのが普通である。
ボウラットの心境はグランボアを倒せたことに驚き半分、無事に倒せた安堵半分である。
気が付けば辺りも徐々に白み始めていた。
「カータ」
カータにレイチェスが駆け寄って無事を確認する。
「…不思議と怪我はありません」
派手にグランボアに吹き飛ばされたカータには目立った外傷はなく、意識もはっきりしている。
「全くよ。私についてくるって言った以上このぐらいのことで怪我したら許さないわ」
レイチェスは言葉では悪態をついているもののその表情には安堵の色があった。
「どうやら今ので終わりだな」
ボウラットは周囲への警戒を解く。他に魔物の気配はない。
ハルは納得のいかない様子で俯いて、折れた猪の足を見つめていた。
「今回は運がよかったな。レイチェスの火球の威力で足にダメージを負っていたんだろうさ。
運のあるなしも冒険者の実力の内だ。…まあなんだ。終わったことはあまり深く考えんなよ」
ボウラットはそう言ってハルの頭を軽くたたく。
「…」
ハルは頷いて俯いていた顔を上げる。
「おい、ポーター」
ボウラットが丘にいるはずの俺に声をかける。
「ここです」
すでにボウラットの近くにいた俺は返事をする。
俺は解体道具を背負っていたリュックをおろして解体道具を取り出す。
「わかってるな」
ボアは体内にある魔素が少なく食用としても用いられる。ただ食用とするには血抜きを行わなくてはならない。
ボウラットはぱんぱんと手を叩き、三人の意識を自身に向けた。
「解体用の道具を取り出してくれ。これから解体を行う。先ずは血抜きだ。手際よくやるぞ」
そのあとはボウラットが三人に指示を飛ばしながらグランボアを解体していった。
こうしてボアの討伐は終わりを告げたのだった。