奇妙な視線
果物屋がせっせと品出しして、荷馬車を押して歩く人間も多くいる。
海の方からは魚の腐った匂いの混じった潮風が吹いてくる。
まだ街はまだ起きたばかりなのかどこもかしこも慌ただしい。港町ライラックの朝の風景である。
ただ俺はそんな街の風景の中から妙な視線を感じていた。宿を出た辺りから何者かに見られている。
俺は気づいていないふりをして街を歩くことにした。
魔族という種族になってからそういう妙な感覚は研ぎ澄まされている。
それにずっと旅をしてきたセリアがエルフの先祖返りであり、見目麗しく、貴族や商人に高く売れるという。
人買いや盗賊連中に道中絶えず狙われ続けてきた。そんなわけで俺の気配探知は否応なしに磨かれたのだ。
俺の気配探知によれば俺の後を追ってきているのは二人。気配の消し方や距離からみて結構慣れてると思う。
通りの屋台から魚を揚げたものが売られていてそれを数本購入し座ってほおばる。
港町ならではといったところだろう。港町を動き回るも視線は一向に外れない。俺は近くにある食堂に入った。
立ち寄った食堂は魚料理がメインだった。地元の漁師たちや、船乗りたちが食堂内ではよく見かけた。
俺の頼んだのは香草にオリーブのようなものを使って煮込んだ魚料理である。
価格はそれほど高くはないがなかなかにうまかった。
食堂から出て視線は外れているかと思ったが、その気配はない。
つきまとうようなねちっこい視線を感じる。どうやら因縁を付けられたっぽい。一般観光客を狙う物取りだろうか。
倒すことは簡単だろうが、面倒ごとは起こしたくない。それに訳あって名前だけが知られている状況である。
ユウはその視線から逃れるために、近くにある冒険者ギルドの中に逃げ込むように入った。
ライラックの冒険者ギルド。俺がここの冒険者ギルドに入るのは初めてである。
冒険者登録をしたのも旅の資金集めが目的だったし、手元に資金は十分過ぎるぐらいある。
そんなわけで立ち寄る必要はなかったのだ。
入ってしまった手前、何もせずにいるのは居心地が悪い。ユウは仕方なく依頼票のあるボードを眺めることにした。
ボードには依頼票が数枚貼ってあった。どれも低ランク向けでそれほど難易度は高くない。
冒険者ギルドに入っても背後からの視線は外れない。むしろ増えている。
ここまでつきまとうということは俺に狙いを絞ってきていると考えるのが正しいだろう。
『黒蜥蜴』で変装してやり過ごすか。走って撒くということもできる。
だが逃げ出すにしても追いかけられる可能性もある。
宿から視線があったということは宿まで特定されている可能性が高い。
荒事は嫌いだ。だが、苦手というわけじゃない。人気のない裏路地にでも入れば牙を向いてくるだろう。
俺は嘆息して外に出るべく踵を返す。すると背後にはおっさんが腕組みして立っていた。
もちろんおっさんの顔には見覚えなどない。
「よう、見ない顔だな。今頃仕事を探しに来たのか?」
筋肉質のおっさんが俺に声をかけてきた。身長は俺より高く、分厚い胸板だ。
腰には年季の入った剣が差してある。おっさんの胸にはギルドの職員を示すバッジがつけられている。
どうやらこのおっさんはライラックの冒険者ギルドの職員らしい。
「ええ。まあ」
「冒険者カードを見せてみろ」
「いいえ、今日は忘れてしまって」
俺は愛想笑いを浮かべる。
嘘である。冒険者カードは持っているが、ゴールド、つまりはAランクの冒険者のものである。
以前、旅先で一人の時に冒険者カードを見せたところ、偽造の疑いをかけられて取り調べられた。
エリスやオズマとかがいればそんなことはなかったのだろうが。
それ以来、一人の時には冒険者カードを持っていても持っていないというようにしている。
「おいおい。低ランクだろうが、冒険者ギルドに冒険者カードを持たずに来る馬鹿がいるかよ」
男は呆れたように額をぴしゃりと叩く。その通り。返す言葉もない。
「…ところでお前、明日まで空いてるか?」
「ええ、まあ」
俺に喧嘩でも売ってくるつもりだろうか。そう思ったがおっさんの口からは意外な声が出てきた。
「ポーターをやらねえか?」
「ポーター?」
ポーターというのは荷物持ちのことである。俺には『収納の腕輪』があるので雇ったこともないし、やったこともない。
それにちょっと前まで魔族であることを知られないように人との関りは可能な限り避けてきた。
「ああ。新人の教育に南の森に行くつもりだったんだが、約束してたポーターの都合がつかなくなっちまってよ。
報酬は銀貨一枚。食事付きでどうだ?」
銀貨一枚、大体四千円ほどの価値だと考えればわかるだろうか。少し安いが妥当な値段ともいえる。
土地によって物価に変動があるためにあくまで目安でしかないが。
「新人の研修?南の森って魔の森じゃないですよね」
エリスがチェックしてたので付近の魔の森は把握している。南に一日で行ける魔の森はなかったはずだ。
「かっ、新人の教育にそんなところ行くかっての。はぐれが現れて南の森に棲み着いて付近の畑を荒らしてるらしい。
討伐の依頼が来ててな。新人の研修にはちょうどいいんだよ」
ちなみにここでいうはぐれというのははぐれた魔物のことである。
なるほど。新人に魔物を倒して自信をつけさせようとする意図があるのだろう。
エリスやセリアとの合流は明後日である。二日ばかり体が空いていた。俺は階段をすっ飛ばしていきなりAランクになってしまっている。
それにオズマやエリス、セリアがいるおかげで現状不自由なく冒険者をやれている。だから冒険者の新人教育というものに興味があった。
それに俺にまとわりついているこの視線をどうにかするのにも丁度いいと思う。
「いいですよ」
「俺の名はボウラット。よろしくな」
俺が提案を受けることを伝えるとボウラットがにこやかに右手を差し出してきた。
このおっさん、いかつい顔して社交的らしい。
「ユウです。よろしくお願いします」
俺は差し出された手を握り返した。