一般の冒険者の立ち回り
日は子午線を越えつつあった。
全身は黒で覆われ、巨大な口の中には赤く大きな目が六つあり、無数の黒い触手がうねうねと蠢いている。
その全長は大型船の倍ほどの大きさであり、一飲みで大型船を呑み込んでしまえるであろう。
そんな存在がその巨大な口を開いてこちらに向かって来る様は地獄が近づいてくるような錯覚に襲われる。
そんな悪夢のような存在がゆっくりと港から家々を押しつぶして陸に上がってきていた。
足元には海魔獣の破壊した家々の残骸がある。
それに対するはこのライラックを仕切る警備兵と冒険者。
彼等は海魔獣を取り囲むように多数の冒険者たちが対峙していた。
海魔獣の攻撃手段は主に触手。触手を振り回してぶつけるという攻撃手段。
その触手は早いがそれほどの力はない。とはいってもぶたれても盾でガードしていれば無事であるだけだ。
ただの人間がもろに当たったのなら即死していてもおかしくはないレベルである。
「触手にはそれほどの力はないぞっ」
「恐れるな、このまま一斉に接近して…」
そう言いかけていた冒険者が足元を触手につかまれ、そのまま口の中に投げ込まれた。
悲鳴を上げていたが、ぐしゃりという音を最後に悲鳴は途絶える。それを見ていた誰もがその光景に戦慄する。
「足りない魔素の代わりに人を食うことでヨウブンを補ってやがるのか…」
ボウラットは顔をしかめ、状況を分析する。遠洋の海から海魔獣は出てくることはない。
それは魔の森のある陸地の付近にはその巨体を維持できる魔素がないためだ。
ただ魔素を代替できる手段があるのならばそれは違ってくる。
戦況を覆すだけの決定打はこちらにはない。ならば被害を最小限に抑えつつ、守ること。ボウラットはそう判断する。
「前衛は後退。海魔獣に不用意に近づくな。盾を隙間なく構えろ。
盾がねえならそこら辺に転がってる扉でもいい。触手に直接触れねえようにしろっ」
ボウラットの指示に前衛にいた冒険者と警備兵は一目散に逃げだすように一斉に後退し、反転し盾を構える。
それは古代ギリシアで使われたファランクスでという形態である。
鉄の盾や木の盾、果ては破壊されたドアなど一様ではない。いびつな盾の壁。
ある程度の冒険者はさまざまな戦場を経験しているために即席でも形になっている。
これは対峙してからの海魔獣の情報から導き出された戦術である。
人を密集させ、周囲を盾で固められた冒険者たちの集団がいくつか海魔獣に近づいていく。
触手の打撃が容赦なく降り注ぐも、どうにか冒険者たちはそれを防ぎ、接近し、各々手持ちの武器をつき立てる。
海魔獣の黒くぬめりのある表皮は刃物を通さない。
「だめだ。奴の表皮は刃を通さねえっ」
斧を手にした男が周りに聞こえるように声を上げる。声を上げるのは周囲にいる仲間と情報を共有するためだ。
数本の触手がまとまり、固まっていた冒険者たちを打ち砕く。
冒険者たちはばらばらに吹き飛ばされるもすぐさま集まり陣形を組みなおした。
弱い奴から殺されるのではない。集団からはみ出た者が真っ先に殺されるのだ。
魔物の討伐の経験者ならば、一人で魔物の前に放り出される危険を知っている。
情報に応じてその戦いの戦術を変える。それは集団戦を経験した冒険者ならば大抵できる。
特に未知の相手と戦う場合はその対応力が要求される。
一般的に魔物との戦いの経験の多い上位の冒険者ほどその対応力は優れているとされる。
「後退だ」
「後退、後退」
それぞれが口々に後退を叫びながら、固まって陣形を取っていた人間たちが海魔獣と距離を取る。
「盾の壁を作れ。魔法使いは詠唱をはじめろ」
ボウラットの呼び声に海魔獣を囲むように盾の壁が形成される。
「一斉掃射」
盾の後ろから無数の魔法が放たれる。海魔獣に魔法が着弾し、無数の爆発が起きる。
目もくらむような爆発。爆発は周囲を煙で満たした。
「やったか…?」
爆発の煙が落ち着くと、そこには変わらぬ黒い巨体が蠢いている。
「…いいや、だがダメージはあるようだ」
海魔獣は明らかに攻撃を嫌がっており、海魔獣の肉体の一部が爆発により変形しているのが視認できる。
(効果があるのは魔法だけかよ。じり貧じゃねえか)
ボウラットはその絶望的な状況に内心舌打ちをする。
魔法使いの魔力は有限である。魔力を使い切れば一般の人間と変わらない。
ライラックの近くには魔の森はないし、何らかの魔物の発生源もない。
高ランカーたちは金回りの良い都市部、もしくは魔の森に近い最前線を拠点にすることが多い。
理由は金回りである。高ランカーの装備は特殊なものが多く、片田舎ではその装備を直す手段がない。
高ランカーであればあるほど要求されるモノは大きく、それに対応するためにも装備は上質のものを要求する。
そういった装備は特殊な鉱物を使用するものも多く、それを扱える職人も必要とされる。
高ランカーが拠点にするにはそれらの要求を満たせる条件が重要になってくる。
港町ライラックはベルン共和国でも中規模な港町に分類されるものの、その条件を満たしているとは言い難い。
そのために現在、魔剣や魔法など強力な攻撃法をもった有力な冒険者はライラックにはいない。
剣などの刃が通らないのであれば少なくとも海魔獣に傷を与えることのできる手段は、
ライラックに今いる数少ない魔法使いだけということである。
「ローテーションで回して、魔法を絶やすな。
…こうなりゃ持久戦だ。この港町が壊滅するか。それとも相手が腹を空かせて逃げ出すか」
ボウラットは忌々し気に海魔獣をにらみつける。
このボウラットの判断は間違えていない。
海魔獣の力の源は魔素である。本来ならこんな魔素の少ない人間の住む場所にはやってこず、魔素の濃い沖に生息している。
ボウラットの判断は相手の消耗による撤退を促し、出来るだけ被害を少なくしようとするもの。
逃げ出すという選択肢もあるが、未だ避難は完了していない。逃げ出すのは避難が完全に済んだ後だ。
ボウラットの下した判断はとてつもなく困難な方法でもあった。
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俺はボウラットに言われて街の人の救助に奔走していた。
俺は逃げ遅れた子供やお年寄りを両脇に抱え、避難所になっている建物の間を行ったり来たり。
子供を両手両脇に抱え、避難所につくと、先に避難していた母親が子供に走り寄り抱きしめる。
感謝の言葉を受け、俺は再び救助に向かう。それを繰り返していた。
「…海魔獣か」
港の方に黒い塊を見下ろしながら俺は走る。船以上の大きさをもつ大型の魔物だ。
その漆黒の体は丸く、その体からは触手が無数に伸びている。不吉を絵にしたような存在だと思った。
冒険者たちが戦っているのか、爆発のようなものが近くで起きている。だがそれに海魔獣は怯んでいるようには見えない。
魔素はこの星から垂れ流されるものであり、魔素を消費し魔物を発生させるものである。
かつてこの星で反映していた巨大な竜たちはその濃い魔素の中で生きることにより繁栄を謳歌していた。
魔の森と魔孔はこの星から湧き出る魔素を消費するための装置である。
創造主はそれらを大陸中に設置したことにより、どうにか人の住める環境を作り上げたという。
では魔の森や魔孔の無い海底はどうなるのか。大陸から遠く離れた遠洋において海に存在する魔物は巨大化する。
その海を人々は魔海と呼び、近づくことを恐れ、そこに住む魔物を海魔獣と呼んでいるらしい。
俺は状況が果てしなく悪くなってきているのを感じ取っていた。
港の方からは大気を揺るがすような爆音が絶えず聞こえてくる。
本当なら俺も今すぐに討伐に参加したいところだが、一つ引っかかっていることがあった。
もしそれが思い過ごしでなければアレを倒したとしても別の問題が発生する。そっちの方がむしろ深刻である。
エリスとセリアとの約束の時間はそろそろである。どうするか決めるのは二人と合流してからでも討伐は遅くはないと思った。
二人が駆けつけるまで俺は逃げ遅れた人間たちの避難をすることに専念している。
俺は魔族の気配感知と魔神からもらった『天の目』を使って逃げ遅れた人間の位置を確認し、救出していた。
ここで袋小路の奥に一人の男が蹲っているのを目にして足を止めた。
この混乱で逃げ遅れた者だろうかと俺は思い声をかける。
「大丈夫ですか?」
返事はおろか反応すら返ってこない。俺は心配し、その男に一歩一歩近づいていく。
声をかけ続けているもその者は反応すら見せない。
パニックにでも陥っているのか?突如、俺の頭上から何かが降ってきて俺に覆いかぶさる。
「投網?」
落ちてきたのは魚などを捕獲する投網だ。俺を包みこむようにそれは俺にまとわりついている。
なぜそんなものが頭上から落ちてきたのかわからず少しだけ混乱する。
ここで勝ち誇ったような声を上げて袋小路にいた男が立ちあがる。
「やったぜ、兄貴」
ひょろりとした男が頭上から降りてくる。
「よくやった」
兄貴と呼ばれた男は上機嫌で笑う。
俺はここで状況を理解する。どうやら俺はこの二人に捕らえられたらしい。
「はっはっは、いくら大道芸が得意だからって隙を見せちゃいけねえぜ」
俺はここで自分が罠にかかったとを理解した。
「お前たちは?」
「俺たちはダガン兄弟」
ダガン兄弟は用心深い。
初めにユウが広場で捕まえた人間に金を支払うと言ったあたりで身を引いている。
それはユウの自信に満ちた態度に違和感を感じ取ったからだ。
もちろんもし誰かが捕まえた場合であっても白金大金貨を横取りする腹積もりだった。
どんな過程をたどろうとも最終的に勝者であればいい。
その残忍な性格ゆえに冒険者としては上手くいかなかったが、その狡猾さ、計画性、慎重さによって裏社会に適応していた。
ここで俺はちょいと凹む。けが人がいると思い込み、視野が狭くなったのを狙われたのだ。
袋小路に誘い込まれたのも迂闊だった。このぐらいオズマだったら今のはどうにか対応できていただろうなとも思う。
けが人のことしか見えずに袋小路に入ってきてしまったのは俺の失態である。
「そりゃ、大型の魔物を捕獲するのに鋼で編んだ投網だ。お前がどれだけ大道芸が得意だろうと。自力じゃぬけられねえよ」
網の端を足で踏み勝ち誇ったように俺に告げてくる。
俺は二人の姿に見覚えがあった。例の子供の両脇にいた男たちである。
「さて金貨はもってるな。てめえのいた宿の一室を探したがみつからなかった」
なるほど、二人は俺の持っているであろう金貨狙いらしい。
ちなみに金貨は収納の腕輪にしまってある。それを知らなければ俺の周囲をどんなに探しても見つからない。
この男は持っているなと確信めいた言葉を使っていた。
ならば状況から俺がそういった類のものを持っているということを確信していると見た方がいい。
「…お前たちはこの街がどうなってもいいのか?」
俺は低い声でダガン兄弟に問いかける。
「…所詮人ってのは自分が一番かわいいのさ。この街のことなんざ知るかよ。
幸いこの騒ぎでこっちには誰も注目してねえ。金貨のありかを吐く気がねえなら吐く気にさせるまでさ。
まずは足からだ。逃げられなくしてからじっくり痛めつけて金貨のありかを吐かせてやるぜ」
二人は前と後ろからそれぞれ鉈を手にこちらに迫ってくる。
「…そうか。なら容赦しなくても問題ないな」
俺は嘆息し、懐に手を入れる。幸いなことに目撃者はここにはいない。
俺の自身に満ちた態度にダガン弟がたじろぐ。広場での立ち回りに警戒してる様子である。
「びびんじゃねえ。どうせはったりだ。この状況、そいつは何にもできやしねえんだ」
ダガン兄の言葉にダガン弟は動揺する心を落ち着かせた。
「結構いらってきたし、あんたらには容赦はしない」
俺は二人のやり取りを見ながら懐から俺は黒いネックレスを取り出す。
そしてそれを二人が見える位置にかざす。
「なんだそりゃ?俺たちにくれるってか?」
ゲラゲラと下品な笑い声をあげながらダガン兄。
「そいつらが最も恐れる悪夢を見せよ」
俺はそう言ってその黒のネックレスに魔力を込める。ダガン兄弟は意識を失い、どさりと地面に倒れた。
俺が使ったのは魔神ラーベからもらった『魔眼』のネックレス。これは二十四時間に二回だけ『魔眼』の力を使うことができる。
『魔眼』の能力で知っているのは支配、夢見、魔力操作である。
効力はいつまで続くのか。夢の体感時間はどうなのかもわからない。
それというのも怖くて人に向けて使うことが数えるほどしかできなかったためである。
ただ言えることはこれを受けた者は丸一日、その悪夢の中を彷徨い続けなくてはならないということだけだ。
こいつらを見て感じたがこいつらはひどく諦めが悪い。放置しておくとまた何かしてくるような気がする。
邪魔者排除としてはこれが一番いい気がする。
ダガン兄弟は時折、ビクンと体を痙攣させながら地面に伏している。
ちなみにこの最も恐れる悪夢という文言にしたのは、悪人であればあるほどそれは悪いものになるためだ。
自分の妄想、つまりは他者に対する行いが自分に降りかかるのだ。因果応報だし、同情はしない。
「魔獣を捕獲する網か。これはもらっておく」
俺がそういった瞬間、俺に覆いかぶさっていた投網が消える。収納の腕輪に入ったのだ。
実のところ力づくで破ることもできたが、そうしなかったのは何かに使えるかなと思ったからだ。
こいつらはここに置いて避難を継続するか。
俺がそう思って足を踏み出すと空から二つの人影が降ってきた。
その一つの小柄な影が空から降ってきて俺に抱き着いてくる。
「ユウ」
合流予定だった仲間のセリアである。
そして俺の眼の前にもう一つの袋を抱えた見知った人影が俺の前に着地する。
こうして『渡り鳥』のメンバーが集結したのだ。




