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名無しの異世界喫茶店  作者: 深崎藍一
第一章 異世界喫茶店マスターと店員兼生徒編
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威厳とアイリッシュコーヒー

どうも僕のお店には、個性豊かな面々が集まりすぎる気がする。店で暴れたり、何か直接害があったりするわけではないので、別に気になりはしないのだが、なんというか癖が強いお客さんがどうも多い気がするのだ。


 ティアラにこの話をしてみると、一際大きなため息を吐いたかと思うと「同じ木に生る果実の種類は、どう足掻いても一緒よ?」と言われた。

 どうやらこの世界の格言みたいなものらしいが、どういう意味なのだろうか。今度お客さんにでも尋ねてみようと思う。


 そんなことはさておき、とある日の昼下がり、僕はカウンター席に座る一人の男性と他愛もない話をしているところだった。


「威厳って、どうやったら出ると思います?ウォルツさん」


 僕がそう尋ねると、彼は実に優雅な仕草でコーヒーを口に含むと、端正な顔をほころばせ、こう言った。


「店主さんの年齢では、難しいんじゃあないかな。そういうのは、刻まれた年輪と一緒に身につくものだよ」


 かちゃりとカップがソーサーに置かれる音がした。たったそれだけの仕草にも、威厳と大人な雰囲気が醸し出される。

 それが、僕のお店の常連客の一人、ウォルツさんなのだった。


「ウォルツさんもまだ三十前じゃないですか。それなのに、僕の祖父より威厳が漂ってますよ」


「ははは、それは君の祖父が君に威厳を保つのではなく、朗らかな一面をみせたい人だったというだけだよ。いくら私が取り繕っても、そんな方の年季には勝てないさ」


 ううむ、やっぱり言葉一つを取っても含蓄が違う。灰色の髪を丁寧にオールバックに整た髪型も、スーツなんてろくに着たことのない僕でもわかる、上等なスーツを完璧に着こなしているのも、到底僕があと十数年で追いつけるとは思えない立ち姿だ。

 どこからどう見ても、カウンターにいる人間と客席に座る人間が逆だ。元の世界の人に、どっちが喫茶店のマスターか聞いて回れば、百人中百人ウォルツさんを選ぶと思う。

 冒頭に言った通り変わり者のお客さんが多い中、彼はきっての常識人なのだった。


「なんで店主さんは威厳を出したいんだ?」


「喫茶店のマスターって、そんな感じが理想像なんですよ。渋くて寡黙で、コーヒーを淹れる姿からは威厳がーみたいな」


「なるほど、私は喫茶店なるものをここしか知らないから、わからないが、そういうものなのか」


「そういうものなんです」


 僕は元の世界にいた頃から喫茶店という空間が大好きで、家にちょっと居づらかったのもあり、よく通っていた。

 そこのマスターは、僕が語った理想像そのもので、それはかっこよかったのだ。


「威厳というのは、結局さっきも言ったように人生経験だ。だから気長に毎日を乗り越えていくしかないよ」


 ウォルツさんは、コーヒーをもう一度すすると「それに」と続ける。


「威厳がなくとも、別の武器が君にはある」


「別の武器?」


「親しみやすさだ。さっきの君の祖父の話と同じだよ」


「はあ…」


「この店の魅力は、このコーヒーや珍しい料理などもあるけど、こんなカウンター席に座る常連なんかはね、君に会いに来ているんだ」


「僕に会いに、ですか?」


「そうとも、自分ではわからないだろうけど、君には独特の人を惹きつけるものがある。それがこの店の雰囲気も相まって、外の世界を忘れさせてくれる。それがいいのさ」


 外のことを考えないようにする空間というのは僕の理想だから、望外の尊敬するウォルツさんからの言葉に、胸がジンと熱くなった。


「まだまだですよ」


「そうやって謙虚に毎日を過ごせば威厳もつくよ」


 彼は冗談交じりにそう言うと、コーヒーカップの中身を飲み干した。僕もそれにつられて笑うと、空になったウォルツさんのコーヒーカップを下げ、もう一度お湯を沸かし始めた。


「勉強代に、というか、威厳への挑戦の第一歩に、一杯サービスしますよ。大人なウォルツさんにぴったりだと思います」


 そう決まればお湯が沸くまでの時間で早速、準備に入ることにした。僕は冷蔵庫から、生クリームを取り出すと、ボウルに注ぎ、泡立て器でかき混ぜる。

 かちゃかちゃと、金属がぶつかる音が店内に鳴り響く。ウォルツさんは何事かと静かにこちらを見ている。


 これを作るときに厄介なのは、この世界には便利なハンドミキサーなんてものは無く、手動でホイップ状になるまでかき混ぜなければいけないところだった。

 腕の倦怠感と戦いながら、お湯が沸くまでかき混ぜ続けると、ツノがたってちょうどいい状態まで持っていくことができた。これで大きな仕込みは終わり。

 あとは、いつもより少し濃い目に、コーヒーを作ると、温めたグラスに先んじて砂糖と、大人の隠し味を入れておく。

 あとは、そこにコーヒーを七割くらい注いでかき混ぜると、その上に生クリームを乗せ、形を整える。これで完成だ。


「お待たせしました。アイリッシュコーヒーです」


「アイリッシュコーヒー?」


「そう、コーヒーをアレンジした飲み物です。上の生クリームとコーヒーは混ぜない方が美味しいです。少し大人の味ですよ?」


「コーヒーはもともと大人の味だと思うけれど、さらにか。頂こう」


 綺麗に二層になっていた生クリームとコーヒーが傾き、少しずつ減っていき、喉が鳴った。

 一口目を終えた、ウォルツさんの顔は無表情で、何も感じ取ることができない。


「どうです?」


 僕が恐る恐る聞くと、彼は口角を上げるとたった一言。


「美味いなこれは」


「ありがとうございます」


「これは面白いな、最初は冷たくて甘い生クリームが口に入ったかと思うと、熱いコーヒーと苦味がやってきて。口の中でそれらが混ざると、また素晴らしい味になるんだ」


 さすがはウォルツさん食レポも完璧だ。惚れ惚れする。


「それに、香りだ。コーヒーの香りがいつもと違う。これはなんだ?」


「気づきましたか、実はこれコーヒーにあるものを混ぜてるんです」


 僕は、戸棚からとあるものを取り出すと、とっておきを見せるみたいに、ウォルツさんの眼の前に掲げて見せた。


「それは、お酒か?」


「そう、ウィスキーです」


 アイリッシュコーヒーとは、カクテルの一種で、コーヒーとウィスキーを混ぜたものだ。偶然昨日、お客さんからお土産でもらったから、作ってみたというわけだ。

 ただ、喫茶店は基本的にお酒は出さないものなので、僕が今作ったアイリッシュコーヒーは、ウィスキーの量を隠し味程度に抑えてある。

 

「驚いたでしょう、コーヒーとお酒を混ぜるなんて」


「ああ、確かに驚いた。お酒を入れるなんてね」


 そう言うと、ウォルツさんは、残りのアイリッシュコーヒーを一気に飲み干した。カクテルなだけあって、その姿がよく似合う。

 ウォルツさんには、薄暗いバーなんかも似合うんだろうな、なんて考えていると、急に耳にパリンと言う音が聞こえた。

 急な音に驚きながら、そちらを振り向くと、グラスが床に転がって割れていた。


 喫茶店ではよくあることだ。本当によくあることだ。だが、困ったことに、今この店にはお客さんは一人しかいない。要するに何が言いたいかと言うと。


「あの、ウォルツさん?」


「えーーー?どうしたんだい、店主くん。ふふふ、はははは」


 僕が振り向いた先には、赤ら顔のウォルツさんがいて、さっきまでの整った表情は何だったのかというくらい、だらしない笑顔を浮かべていた。


「いや、どうしたじゃなくて」


「そんな、ことよりさー…これ、すっごく美味しかったから、おかわりーーー」


 赤ら顔と、突然の奇行、経験したことのない僕でもわかる。この人、酔ってる。え?まじで?本当にちょっとしかウィスキーなんて入れてないよ?それでこれなの?


「ウォルツさん、水です。飲んでください」


「水?何で私が?」


「何ででもです」


 そう言って、僕が無理やり水を飲ませると、驚いたことにウォルツさんは、電源が切れたかのように、机に倒れ伏した。

 さて、酔い潰れた人の処理はしたことがないぞと僕が心底困っていると、ドアベルが鳴る。入ってきたのはクールなパンツスーツに身を包んだ、茶色髪のショートカットに、怜悧な瞳が印象的な女性だった。

 僕は見覚えのあるその人に安堵する。ウォルツさんの秘書さんだ。


「あの、すいません。まさかこんなことになるとは思わなくて」


「いえ、お酒の類を一滴でも飲んでしまうとこの人はこうなってしまうんです。よくあることなのでお気になさらずに」


 そう言うが早いか、秘書さんは完全に力の抜けたウォルツさんを慣れた手つきで引きずって、出て行ってしまった。

 僕はあまりの想定外の展開にぽかんとそれを見送るしかないのだった。


*****************************************


 僕が呆然としていると、もう一度ドアベルが鳴る。入ってきたのは、ティアラだった。


「どうしたの?変な顔して」


 見慣れた顔を見て、何とか脳を起動させた僕は「何でもない、それよりもそこグラス割れてるから踏まないでね」と言うと、ティアラにエプロンを渡した。

 ティアラは足元に散らばるガラスの破片を避けるようにカウンター内に入ってくると、こんなことを尋ねてくる。


「さっき引きずられて行った人とすれ違ったけど、あれお客さん?」


「ああ、お客さんだよ。まだティアラとは会ったことないかな」


 僕がそう返すと、ティアラは何やら思案顔で呟いていた。


「さっき引きずられて行った人、うちの学校の理事長に似てた気が…そんなわけないか」


 残念ながら、その小さな呟きは、グラスの破片の掃き掃除をしていた僕には聞こえなかったのだが、特に問題ないに違いない。

 僕はそう思いながら、決意した。絶対に二度とウォルツさんにアイリッシュコーヒーは出さないと。


 その日の夜、もう一度秘書さんが来て、お勘定を置いて行った際に、もう一度謝っておいたが「三十分ほどするとケロリとしていますのでお気になさらず」と言って去って行った。すごくクールな人だ。

 

 次に来店した時にウォルツさんは僕に「そういえばこの前私は君に何か新しいものを飲ませてもらわなかったかな?」と尋ねられたので、僕は必死で惚けたのだった。

 


これで店に来る常連さんの中では、屈指の常識人という事実

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