7 お父さんと一緒
ヒカリが魔法の訓練を始めて四年が経過した。
体の成長とともに魔力量も徐々に増大し、中級魔法も全てではないが習得出来た。
しかし同じく後回しにしていた光と闇の魔法については相変わらず苦戦したまま、どちらもまだ初級魔法すら成功していなかった。
それは魔法自体の難しさもあったが、魔法訓練に充てる時間を捻出しづらくなったことが大きな要因だ。
ここ数年幾度となく天候不純や不作に見舞われ、農民の暮らしは苦しくなる一方だった。
知恵者であるドットが村長を務めるフーツ村は、優れた采配のお陰でこの辺一帯でも比較的マシな方ではあったが、それでも苦しいことには違いなかった。
それに加えて魔獣が活発化している事も、人々の生活に暗い影を落としていた。
魔獣は通常魔素の濃い場所、森の奥地や渓谷など基本的に人里離れた所を住処としている。しかし何故かその数が増え始め、町や集落をつなぐ街道に度々出没するようになった。必然物流が滞り、徐々にではあるが経済への影響が拡大している。
フーツ村に隣接する森でも魔獣は増加傾向にあった。幸い村が襲撃されたことはまだ無かったものの、不作や不景気の影響で先の冬はとりわけ厳しい見通しとなった。ただし皮肉なことに、その冬を乗り越えられたのは魔獣狩りの成果に依るところが大きかった。
そうした諸々でひっ迫した生活の中、ヒカリは魔法の訓練をする時間も余裕もろくに持てなかったのだった。
しかしヒカリにしてみれば、悪いことばかりだったわけではない。
その一つが兄弟たちの成長だ。
そもそもヒカリがドットの元で読み書きを習い出した当初、自分たちもと希望してリーネとサシェも共に教わることになった。
ところが初めてすぐに、通常の読み書きどころか古代文字までマスターし、分厚い本を齧り付くように読む妹を見て二人は早々に悟った。「ああ、ヒカリは特殊なのだ」と。
ドットの勧めもあって、結局二人は自分たちのペースで、つまり気が向いた時に基礎的なことを学ぶというスタイルになったのだ。基礎とは言っても、農民の子としては十分すぎる水準ではあったが。
リーネは14歳、サシェは13歳。元から素地の良かった二人は順調に賢く育っており、学んだ事を存分に生かしながら両親や祖母を支えている。弟のロイも7歳から文字の勉強を始めていた。
ヒカリにとって良いことがもう一つ。
季節が春から初夏へと変わる頃、それはいよいよ数日後に控えていた。
「いよいよヒカリも町に行けるね」
一緒に苗の手入れをしていたリーネがそう言った。
最近、元々の美少女っぷりに大人っぽさが混ざり始めた姉の笑顔を、ヒカリは眩しそうに見返して言う。
「うん、楽しみだなー」
リーネが言った行商とは、定期的に村の農作物を代表者が近くの町まで売りに行くことだ。近くの町と言っても、ここから半日以上も馬車を走らせなければならないので、一旦町に着いたら数日滞在することになる。
馬車は村の共有物なので、代表者が委託分をまとめて売りに行く。
なかなか行けない町に行けるとあって、数日がかりの結構大変な仕事でも希望者はそれなりに多い。しかし最近は魔獣のせいで道中が物騒なので競争率は低く、村で一番魔獣狩りに長けたイベカが引き受けることが多くなった。
行商の代表は成人という決まりはあるが、同行者は自由である。だから魔獣騒ぎ以前は、社会勉強として親が子供を同行させることは珍しくなかった。リーネやサシェも何度かイベカに同行している。
ヒカリも、11歳の誕生日を目前にしてついに同行を許されたのだった。
いよいよ出発が明朝に迫ったその夜。
遠足が楽しみすぎて寝られない子供か、俺は
つい自分で突っ込んでしまったヒカリだが、十年越しに念願が叶うのだからなかなか寝付けないのも無理はない。
その上、実はヒカリの同行が決まるまでにはひと悶着もふた悶着もあったのだ。
昨今の状況が状況なので、ドットやマイーナが反対したのは当然ではあった。思うところあって中立のイベカも交え、何度も話し合いがなされた。
だがヒカリももう限界だった。本当にこれ以上待てないという気持ちが高まった結果、・・・泣いた。
気付いたら涙していたのだ。ヒカリも自分でびっくりしたが、家族も大いに動揺した。結果あれほど反対していた二人が折れたほど、ヒカリが泣くというのは珍しい事だったのである。(ちなみに過去三度ほどヒカリも泣いた事はあるのだが、それは全部嬉し泣きだった。ロイが初めて立った時とか)
「〜〜〜〜〜〜っっ!」
一連のやり取りを思い出してしまったヒカリは、布団の中で悶絶する。
四十路のおっさんが泣き落としって!!
恥ずか死にそうになるのを堪え、明日に備えて必死に眠ろうとするヒカリであった。
*
翌朝、少々寝不足のヒカリは父と共に町に向けて出発した。
簡素な荷馬車は思った以上にガタガタと揺れて、快適とは言い難い。けれどそんなことは気にならないくらい、ヒカリの心は浮き立っている。
御者台のすぐ後ろから景色を眺めていたヒカリだったが、地形やら植物やら気になるものがたくさんあって、ついつい前に座る父を質問責めにしていた。そんなヒカリにイベカは優しく答えてくれたのだが、その一つ一つが深い知識に裏打ちされた、的確で淀みない答えだった。
考えてみれば、ヒカリはこうして父と二人きりでじっくりと話をしたことがなかった。
普段聞き役に回ることが多い印象のイベカだが、話してみればやはりあのドットの息子なのだと、今更ながらにヒカリは感心していた。
本当に良い男だなあ、父さんは。
ヒカリはその逞しい背中をぼんやり見つめながら、「企業が欲しがるのはこういう人材なんだよな」などと考えて、思わず苦笑いした。
ヒカリの前世である村上光一は、転職や移動などで職種は何度か変わったが、一番長かったのが人事コンサルタントだった。ざっくり言うと、クライアント企業が求める人材の採用、育成を手伝う仕事だ。
そう言えばそれももう十一年前だもんな
前世の記憶などいっそ無い方が良かったとすら思った事もあったが、あれ程がむしゃらに働いていた事も忘れ掛けていたかと思うと、何だか寂しい気がした。
「ヒカリ?疲れたのか?」
先ほどまで珍しくはしゃいでいたヒカリが、急に老人のような顔をしているのを見てぎょっとしたイベカが、心配そうに声を掛ける。
「え、ううん、あー、っとそうだ、魔獣のことを教えて」
「ヒカリはもうドットから色々聞いているんだろう?」
「うん、でもお父さんの話も聞きたかったの」
確かに魔獣の種類や生態についてドットの話や書物で学んではいたが、村で実際に見たことがあるのはせいぜい一角兎のような小型獣や、食肉として狩られてきた鬼猪くらいだ。
ドットが冒険者として魔獣と相対していたのはかなり前だし、ここ一帯の魔獣の現状についてはイベカの方が詳しいだろう。
ヒカリがそう言うと、
「はは、ヒカリはやっぱり賢いんだなあ」
可愛い娘に「お父さんの話が聞きたい」と言われ、イベカも満更ではないらしい。
「そうだな、考えたくは無いが万が一遭遇する可能性もあるから、予めこの辺りの魔獣について知っておく方が良いかも知れない」