3 初めての・・・
ドットが祖母であったことは、宝くじ並みの幸運だったとヒカリは常々思っている。
豊かな蔵書が物語る通りの見識の深さ、そして彼女の口から語られる昔話をほんの一片聞くだけでも、このドットという人物が、僻地の寒村にはおよそ似つかわしくない傑物であることが窺い知れた。
事実のほほんとした両親と違い、祖母はいち早くヒカリの尋常ならぬ賢さを見抜いた。そしてその豊富な知識を以て教育することを決めたのだ。ヒカリの思っている通り、これはこの世界の農民、しかも女児にとっては紛れもなく奇跡的な幸運と言えた。
ヒカリはドットからこの世界の政治や社会制度、地理、それから魔法についてと多岐に亘って教えを受けていた。とは言えテキストやカリキュラムがあるわけではないので、ヒカリの方から思いつく限りどんどん質問していく形だ。
そうして必要不可欠な基礎知識は大体仕入れたかな、と感じた時点で読書を重点に置いた勉強に切り替えた。ドットも疲れている日があるがこれなら一人で勉強できるし、読み書きも鍛えたいと思っていたのだ。
農民ゆえ子供でも日が出ているうちは勤労時間。勉強に当てられるのは夕食後のほんの数時間だけ。限られた時間を無駄にすまいと、ヒカリは猛烈な集中力で取り組む。
いよいよ本格的に冷え込むようになってきた、ある日。
森に面した村はずれ、人影がない場所で一人、ヒカリは上半身を少し曲げ両手を前に突き出した、やや滑稽なポーズのまま、呆然としていた。
「で、出来ちゃったよ・・・」
そう呟いたヒカリの数メートル先には、この世界ならではの魔獣という生物の一種である一角兎がくったりと倒れている。
冬の冷気にぶるりと身体が震え、ようやく我に返ったヒカリは慌てて一角兎に駆け寄った。恐る恐る触れると、まだ温かいが魔獣はもう息をしていない。
「・・・初めての狩り、だな。しかもま、魔法・・・出来・・・た」
泣き笑いのような顔でそう言うや否や、獲物の亡骸をしっかり持って走り出した。
「・・・・・・・・・・」
その数分後。ドットは仁王立ちで孫娘を睥睨したまま、絶句している。ヒカリはいの一番に祖母の家に報告に来たのだった。
「えと、こ、これどうしたら良い?お、お父さんにあげて来た方が良いよね」
ヒカリが沈黙に耐え切れずそう言うなり出て行こうとすると、
「お待ち!」
ドットの鋭い声が飛んできた。
「とりあえずそりゃイベカに渡してすぐにまたこっち戻って来な。後で捌き方を教えて欲しいって言うのを忘れずにね。た・だ・し!魔法で仕留めましたなんて絶対言うんじゃないよっ!良いね!?」
徐々に剣幕になるドットにコクコクと頷き返すと、ヒカリは一目散に父イベカの元へと飛んで行った。
イベカはイベカで仰天した。
可愛い娘が突然、狩人すら捕らえるのが難しい一角兎を持ち帰ったかと思えば「初めての獲物だよ」などとのたまうのだから当然である。そして一角兎を半ば押し付けるように手渡すと、説明もそこそこにすっ飛んで行ってしまった。取り残された哀れな父は、口をパクパクさせて男前が台無しになってしまっていた。
「ほんっとにあんた・・・どこまでありえない子なんだい・・・」
ぐったりと項垂れた祖母は、言いつけ通り戻ってきた孫娘に力無く言った。
「はー・・・。もう一回聞くよ。何がどうなってああなった?」
頭痛が痛い、みたいなことになっている祖母のの向かいに恐る恐る座ると、ゆっくりと説明を試みる。
「あの、最近『魔法論』読んでてね。それでその、ほんの少し、すこーしだけ練習してみようかなって思って。か、風の魔法ならそんなに危なくないかなーとか思って・・・」
つい声が小さくなってしまう。ドットは項垂れたまま微動だにしない。仕方なく、更に説明を試みる。
「練習してたら一角兎がちょうど見えたから、範囲を絞ってぶつけるイメージで出してみたらどうかなーって。ま、まさか当たるとは思わなくて・・・」
「・・・はっきり的を作ったから成功したってことかい」
顔を上げたドットの目は据わっている。
「それにしても『魔法論』だって?あれは実践書じゃないだろ。魔法の原理をさらっと書いてはいるけど、大部分は魔法を使える貴族を羅列してヨイショする内容だったはずだよ。だからこそ魔法について少し突っ込んで書いてあっても禁書にならなかったんだろうし」
「うん、そうなんだけど、属性ごとの特徴とかイメージの仕方が書いてあったから」
簡潔とはいえ魔法の原理が言及されていたのは大きかった。だがヒカリの言葉にドットは、そのまま床にめり込むんじゃないかというくらい大きく息を吐き出してから、強めにツッコんだ。
「いやお前ね、頭で理解するのと実際に使うんじゃ全然違うだろ!ちょっと本読んだだけで使えるんなら、皆魔法使いだろうがっ!!」
ですよねー・・・。俺もそう思うんだけどさ
だが出来てしまった。
今頃になってやっと、ヒカリにじわじわと嬉しさがこみ上げてきた。
魔法ーッ!出来たんだ!!マジか!マジなのか!?魔法使いか!魔法使いって希少なんだよな?あ、おおお俺もしかして天才?そのうち大魔法使いで大冒険とかそういう展開になる感じ!?
嬉しくないはずがない。遥か昔に風化したはずの厨二病が蘇りそうである。
内心で浮かれるヒカリとは対照的に、ドットの顔はどんどん険しくなった。
「まずいね」
思いも寄らない低い呟きが飛んできて、ヒカリはハッと身を硬くした。
「『魔法論』を読んで分かっただろうけど、魔法を使えるのは貴族がほとんどだ。それに貴族で魔法の才があったとしても、子供のうちから何年も家庭教師をみっちりつけて、やっと初級魔法が使えるかどうかってのが殆どなんだよ。それがあんた、こんな片田舎で誰にも教わらずにだって?・・・一体何がどうなってんだろね・・・」
深い深いため息で一旦言葉を切ると、一層深刻な様子で続ける。
「平民から魔法使いが出ることも、まあ稀だが無いわけじゃ無いさ。貴族としては体面を保ちたいところだけど、それ以上に魔法使いは貴重だからね。逆に何の後ろ盾もないならこれ幸いとばかりに取り込もうとするか、タチが悪い奴らだと消そうとさえするかもしれない。
ヒカリ、賢いお前は、あたしの言うことが分かるね?」
とても子供相手とは思えない言い草だったが、中身が大人のヒカリは十分過ぎるほど納得し、しっかり頷いて見せる。
魔法使いは今や減る一方らしい。実際に戦力になるばかりでなく、優秀であれば尚のこと、手駒としてその存在自体が貴族同士のパワーバランスに関わるのは想像に難くない。
・・・面倒くさー
貴族に対する認識は前世でのものと同じと捉えておいていいだろう。ただし前世も今世も、貴族という人種に実際に会ったことも見たことすらないので、実像は分からない。とにかく現状貴族という人種に対して抱く感情は、ただただ「面倒くさそうで関わりたくない」である。
「でもお貴族様なんてこんな所に滅多に来ないし、そんなに心配しなくても見つから無いなら大丈夫なんじゃない?」
生まれてから六年間見たこともないのだから、今後もエンカウント率はとても低いのではなかろうか──そう思って楽観的なことを言ってみたら、ドットにキッと効果音付きで睨まれた。
「何言ってるんだい!魔法使いを感知できる者もいるし、いくらこんな辺境の村だって外との付き合いはあるんだから、誰からどこに伝わるかなんて分かりゃしないんだよ!
とにかく魔法はもう使わないに越した事はないね」
「ええ〜っ!!」
そりゃねえよ!!
ヒカリは思わず憮然としてしまう。
先ほどはつい嬉しさの余り、大魔法使いとか冒険とか、古の厨二病が発動しかけたが、本気でそんな大層なことを夢見ているわけではない。
けれどヒカリは密かに、自分の人生は自分で切り開きたいとは思っていた。農民生活が嫌だというわけではない。前世で常時疲労困憊の会社員生活を送っていた頃は、それこそ田舎でスローライフを夢見たこともあったくらいだ。
だが生まれた時から既に人生が決まっているというのは、耐えられそうもない。せっかく生まれ変わった上に、ここは異世界だ。村の外もいろいろ見てみたいし、体験したい。
そんなヒカリにとって、魔法はまさしく希望の光だ。貴族に目を付けられたら確かに面倒だろうが、才があると分かったのにみすみす封印するなど到底納得出来ない。
尤も前世の記憶がなければ、そういうものだと受け入れていたのかもしれないが。
いくらばあちゃんでもこればっかりは承諾出来ん!
不服な様子を隠さないヒカリにドットも駄目押ししてくる。
「良いかい、ある日突然見知らぬ場所に連れてかれてそれっきり、なんてこともあり得るんだよ。ヒカリはうんと賢いんだから、魔法なんざ使わなくたってきっと良い人生が送れるさ」
孫娘を心から心配して言ってくれているのは、十分分かっている。ヒカリも家族の事はとても大事に思っているのだ。
だからこそ、この場凌ぎの返事はしたくなかった。一体どうすればいいのか。
黙り込んだヒカリとそれを見つめるドット。しばらくそうして沈黙が続いたが。
「・・・はあ、言い聞かせたところで無駄か。ヒカリは意志が強い子だけど、裏を返せば頑固者ってことだからねえ。まあ魔法ったって今日初めて使えたってだけだし、これからどれ程のもんになるかなんて分かりゃしない。下手にあたしの目の届かないところで勝手に何かされるより、見守ってた方がマシってもんか」
「おばあちゃん・・・?」
「良いだろう。魔法の練習がしたいってんならやってみな。た・だ・し!あたしの目が届く範囲でね」
ドットの方から折れてくれたのだ。
「ありがとう!!」
ヒカリは椅子から立ち上がると、大喜びでドットに抱きついた。
「やれやれ・・・いいかい、イベカとマイーナにも相談するからね。だけどそれ以外の人間には、お前が魔法を使えることは絶対に秘密にするんだ。兄弟たちにも黙っておきな」
「うん、分かった!ありがとうおばあちゃん!」
ヒカリは抱きついたまま満面の笑みで頷いた。
「よし。もう遅いからとりあえず家に行くよ。ちょうど夕飯の時間だしね」
疲労困憊の様子でドットがそう言うと、ぐーと盛大にヒカリの腹が鳴った。いろいろあったがほっとして空腹を思い出したようだ。
後に振り返ればこの日こそ、ヒカリの人生を大きく変えた日であった。