1 誕生日
収穫がやっと一段落した小さな農村。繁忙期は過ぎたと言っても、息つく間もなく冬支度が始まる。この国の長く厳しい冬は、大袈裟でなく備えが命を左右する。そんな秋の終わり、農村の一角には明るい声を響かせる家があった。
「おめでとう、ヒカリ!」
質素な暮らしを伺わせるその家の中では、七人の家族がささやかながらも楽しげにテーブルを囲んでいた。
「あ、ありがとう」
ヒカリと呼ばれた少女ははにかんで・・・というより決まり悪げな様子で皆に感謝を伝える。
「6歳になっても相変わらずはしゃがないなあ」
「ヒカリは照れ屋さんだから、主役になるのは苦手なんだよね」
「何はともあれ無事に6歳を迎えられて、めでたいね」
思い思いに少女ついて話す家族を尻目に、当の本人はなにやら物思いに耽り始めた。
――今日でやっと6歳か。・・・・長かったな
本日の主役のはずの少女が、座った目をして黙り込んでいるのだが、彼女の家族にとっては別段珍しいことでもないのか、誰も気にする様子はない。
皆で食前の祈りを捧げて、食事が始まった。
誕生日を祝う席だが、農民の食卓に並ぶものは限られている。それでも普段よりも豪華と言える品々が並んでいた。各自感謝を込めてゆっくりと食事を楽しんでいる。
この家ではハレの日の定番メニューである、ウサギ肉の入ったスープにパンを浸しながら、少女はこの六年間を振り返っていた。
(俺は転生した。それも、異世界に。)
そう心の中で感慨深く呟いた少女―ヒカリ。
ヒカリは、前世の記憶を持っていた。36回目の誕生日の日付変更と共に人生を終えた男、村上光一としての記憶だ。
そう、彼は転生したのである。日本では絶対にない国の、小さな農村の娘・ヒカリとして。
・・・いや、何で女の子!?
意識がはっきりしてまず盛大にツッこんだ。
転生してすぐの頃、意識はあると言えばあったのだが、まるで砂嵐の中にいるかのごとく混沌としていた。いくら記憶があっても赤ん坊の肉体の方が追いついていなかったのだろう、その頃のことはほとんど覚えていない。
記憶の混乱が収まり、論理的な思考ができるようになったのは1歳半の頃。その時にやっと、自分の状況というものを徐々にではあるが把握出来るようになり、どうやら前世の記憶を持ったまま生まれ変わったのだということだけは分かった。
それよりも何よりも。
こういうのって普通男は男に生まれ変わるもんじゃないのか!?
生まれ変わる前に女神様とかに会って色々希望を聞いてもらったりだとか。いや俺も最近の(?)ファンタジーには疎いけどさあ・・・あー・・・
文字通り一からのスタートはまだ良いとしても、女の子とは。これなら下手におっさんの記憶なんぞない方が良かったのではないだろうか。
途方に暮れつつも「ここはどこ、私は誰」状態は落ち着かないので、まずはこの世界の基本情報を掴もうと、中身アラフォーおっさん赤ちゃんは生まれてまも無い頃から情報収集を頑張った。
この村の人間や、時折訪れる外からの人間も皆、ざっくり言って欧米人っぽい風体だ。しかしここの言語は生前聞いたこともないもので、文字も象形文字のような見覚えのないものが使われている。
そして少なくともこの辺りは、現代日本人には衝撃的なほど文化レベルが低い。世界最高水準だった日本と比べるのは酷かもしれないが、それにしてもだ。電気、ガスはおろか、上下水道も無い。おまけに識字率が低い。
ろくに身動きできないながらもコツコツと状況把握に努めていたのだが、暫く経ったある日、ついにここが異世界だと確信するに至る。魔法が存在すると分かったのだ。
しかし魔法を使える人間は少ないらしく、村上が転生したような寒村にそんな希少な魔法使いがいるはずもなく、住民も魔法とは縁のない生活を営んでいたのだ。だから村上は、過去に生まれ変わったのかも知れないとも思っていたのだった。魔法の存在を知るきっかけになったのは、『魔獣』と言う生き物である。
この世界で生きとし生けるもの全てに、『魔力』なるものが宿っていると言う。この魔力は『魔素』という目には見えない元素らしきものを、生き物が体内に取り込むことで生成されるエネルギーらしい。
魔獣はこの魔力を主な糧とし、なんとその多くが魔法も使えるというのだ。
魔獣からは様々な素材が取れるし、種類によっては食糧になる。ヒカリの住む村でも狩りは行われており、魔獣を初めて見たのも、近隣の森にて狩られてきた獲物であった。
いくら役立つとはいえ、前世で言うところの〝モンスター〟がうろうろしているのかと慄いたが、魔獣は魔力の弱いものをわざわざ獲物にはしないらしく、人間の集落を襲うことは稀らしい。肉も喰らうが魔獣の養分のメインは魔力なので、ほとんど魔力が無いいわゆる普通の動物にはまず見向きもしない。人間は魔力量にばらつきがあるし、自分たちを狩る〝天敵〟なので、正面から出くわせば襲ってくるが、基本的には魔獣の中だけで食物連鎖が成り立っているようだ。
魔獣から魔法という、ファンタジーな要素がこの世界にあると知って、ヒカリのテンションは爆上がりした。
社会人になるまではゲームや漫画は人並み以上に好きだったので、『異世界転生』という響きは村上にもグッとくるものがあったのだ。ただし晩年のエンタメ知識といえば、時々深夜アニメを流し観る程度だったために「こんなことなら転生チートものをもっと読んどきゃよかった!」と慟哭したが。
しかし魔法という反則ものの原理がまかり通っているならば、何か他にも大いなる力とかそう言う超自然的なアレやコレやが、地球より身近にあってもおかしくない。少なくとも、人生の可能性は広がったと思う。
おっさん入り少女というトリッキーな状況に絶望すら感じたこともあったが、よくよく考えればこれは幸運ではないか。文字通り、全く新しいスタートを切れたのだから。
村上はここで初めて、本当の意味で腹を括ったのだ。ヒカリとして精一杯生きていくことを。
こうして村上光一の新しい人生は、異世界で始まったのだった。