9 不穏な予感
西大陸にあるエン=ケテルコーヤ王国。
王都を眼下に見下ろす豪壮かつ堅牢な王城。その一室ではこの国の王と数名の高官たちとが渋面を突き合わせ、重苦しい空気が漂っていた。
額に手を当てながら王が口を開く。
「マコーツォルン、率直に申せ。神殿もとうとう《災禍の節》が印と認めたのだな」
王の名指しの問い掛けにも動じず、宰相マコーツォルンは粛々と答える。
「は。近々神殿より正式な告示がありましょう。もっとも、各地の魔獣被害は減るどころか時を追う毎に増えている実情、そして文献を当たる研究者たちも前々から間違いないと申しておりましたが」
宰相が微かな苛立ちを以て告げる内容に、黙して侍る他の臣下たちが決まり悪げに身じろいだ。
「く・・・。やっと飢饉の憂き目から立ち直ってこれからという時に・・・」
王は苦しげに呻く。そんな王を鼓舞するように、宰相は毅然とした声で応じる。
「しかし我々にはまだ猶予があります。識者の見積もりでは《災禍の節》が最盛期を迎えるまで凡そ四年。その間に国を挙げて備えに注力すべきと存じ上げます、我が君」
「無論だ。・・・差し当たって我が国が憂慮すべき点はやはり・・・魔法使いだな」
「仰せの通りです陛下。我が国の魔法使いは減少の一途を辿っているにも拘わらず・・・否、だからこそ貴族たちの血統重視にますます拍車が掛かかっているのが現状です。これではたとえ平民が魔法の才を持ったとしても、面倒ごとを嫌って隠匿する者がいるらしいというのも頷ける話ではあります」
この場にいるほんの数人の中にすら、平民という言葉に顔を顰める者が居た。それを横目で見ながら、宰相は溜息を堪えて続ける。
「しかしそうした出自の問題や、何らかの事情で国や領主に直接侍従しない魔法使いもいずれかのギルドに属してさえくれれば、制限はあれどこちらも干渉出来ます」
それを聞いた王は若干声の調子を明るくして言った。
「そうだな。魔獣討伐で冒険者ギルドを始めとした各ギルドの存在感は増している。在野にあるからこその機動力と言うべきか、とにかく心強い味方には違いない。こちらも対応に気を付ける必要はあるがな」
「如何にも。大半の貴族たちも、さすがに彼らとは良好な関係を保とうと努めているのが救いですな。・・・それでも、ギルドの魔法使いへ手出しせんとする輩が一定数居るというのは憂う所ではありますが」
そう言ってとうとう嘆息した宰相を見て王は苦笑し、「鉄の宰相マコーツォルンと言えど流石に疲れているようだ」と宰相以外の者を下がらせた。
「ふう〜。やれやれ・・・」
ぞろぞろと高官たちが退出してから少しすると、王は間の抜けた声を出しながら体から力を抜いた。宰相はじとりとした目を王に向けたが、慣れているのか特に何もいうことなく自身も少し緊張を緩めた。王が如何にも憂鬱そうに呟く。
「隠れ魔法使いか・・・。ギルドは良いとしても、厄介なのは神殿だな」
「はい。前にも増して神殿による魔法使いの囲い込みが目立ちます。神殿以外の回復魔術師が反比例するように激減しているのを鑑みましても、回復魔法を神殿の専売特許にという目論みが神の威光を笠に着た者たちの夢物語とばかり言えませんな」
王は顔を思い切り顰め、憤りの滲む声で言った。
「《災禍の節》にしてもそうだ。火を見るより明らかなものを、神の御心を確かめるなどと公式見解を先延ばしにしよって。この非常事態にどうして己の利しか取れぬのだ、狸どもめ。神の代理人とはよく言う」
「ですが〝魔法使いでありさえすれば身分を問わず即受け入れる〟というのは神殿の強みです。煩雑な手続きを経て漸く引き入れられた先の貴族に、身分差別で酷い扱いをされて神殿に逃げ込むという事も少なからずあるようですし」
それを聞いて、ますます王が脱力した。
「はー・・・どんぐりの背比べか、全く。だが神殿でも修行と称して厳しい労役を課し、死ぬこともあるとも聞いているがな。まあ貴族はともかく、あの伏魔殿に飛び込まれるくらいなら隠れていてくれた方がマシと言うのが情けない。
・・・貴族たちにも、もう良い加減事態の深刻さに気づかせねばならんな。気高さが貴族の証しとは言えど、その誇りも祖国あってこそだと言うに」
深い憂慮が滲む王の言葉を、宰相は痛ましげに聞いている。
「・・・マコーツォルン、この危局が《災禍の節》である旨をすぐに諸侯へ伝達しろ。但し機密扱いとし、臣民の余計な混乱は抑えるべきである」
「御意」
「これを機に、隠れ魔法使いを見出す策も考えねば・・・」
王はそう言って嘆息した。
*
王が頭を抱えて唸っている頃。同じくエン=ケテルコーヤ王国は東、フモリーツ伯爵領にある中規模の町ミズラヒ。ここにも一人、「魔法の才はあるが面倒ごとを避けるために隠匿する平民」そのものズバリの少女がいた。
どんよりと暗い顔をして。
「お父さん・・・」
ヒカリは、目の前のベッドに横たわる父に不安げに声を掛けた。簡素で小さなこの部屋には今、ヒカリとイベカの他は誰もいない。
「・・・ごめんなあ、ヒカリ」
申し訳なさそうな声でそう言うイベカは、困ったような笑みを浮かべている。ヒカリは慌てて首を振る。
「ううん。お父さんが無事で良かった」
本当にそう思う。
それはホントそうなんだけど・・・
二人の間に微妙な空気が流れる。
ヒカリは何と続けて良いか分からずちらりとイベカを見れば、心なしか叱られた仔犬のような目でこちらを見上げていた。
前世で見たギリシャ彫刻ばりの雄々しい体でそんな可愛い顔されても。・・・てかイケメンは本当ズルいわ
ヒカリは若干遠い目になりながらも
「・・・お、お父さんが悪いんじゃないよ」
と言ってやる。
しかし、困ったことになったのは確かだ。
ばあちゃんが知ったら血管ぶっちぎれるほど怒られそう・・・。うはー、考えたくねえぇ
イベカも何よりそれを恐れているのではないだろうか、多分。
「「はあ・・・」」
父と娘は同時に溜め息を吐いた。
**
結局ヒカリが異世界転生後初めての旅路を楽しんでいられたのは、村を出て半日にも満たない僅かな時間であった。
進路に魔獣の襲撃を受ける馬車を見つけた際、イベカはヒカリを残して助けに入ることを決めたが、これは改めて考えれば無謀だと言わざるを得なかった。
いくらイベカが弓に長けた狩人であっても、装備も十分ではない上子連れだったのだから、魔獣がいなくなるまでやり過ごすか、あるいは引き返す方があの場合は賢明だったと言える。
無論、イベカもイベカなりに考慮した上で取った行動だった。
一体の魔獣に対して数名が応戦しているのが見えたが、戦っているのが腕に覚えのある人間たちだろうというのは遠目からでも分かった。それならば自分が加わることで、魔獣を討ち取るのは難しいにしても追い払うくらいは可能だと思われたのだ。
それに隠れてやり過ごすとしてもリスクはあった。基本単体で獲物を襲う鷲獅子だが、後から更なる鷲獅子や他の魔獣が寄って来ることは十分あり得る。そうなると、十分離れているとは言えないイベカたちも気づかれ、次なる標的となる可能性は高かった。
となるとこのまま引き返すのが一番の安全策・・・イベカも一瞬そう考えはしたが、またここから数時間掛かる道中とて危険でないとは言えない。
それに今日は無事にやり過ごせたとして、行商は村の大事な収入源だ。近いうちにまた出直すことは必至で、魔獣が増える一方の状況下では結局、遅かれ早かれこうした場面に遭遇することは覚悟しなければならないのだ。
そして何よりも、目と鼻の先で困っている人を見殺しにするなどイベカの性格上出来なかったのだった。
そうして助太刀に入ったイベカだったが、鷲獅子は一際巨大で予想以上に手強い相手であったため、早々に攻防は諦め撤退に集中することにした。攻撃の合間に動けない負傷者に近づき、彼らを抱えて少しでもその場を退こうとしたその時、空中にいた鷲獅子は馬車を目掛けて猛スピードで突っ込んで来たのだ。幸い攻撃は直撃しなかったが、凄まじい衝撃と風圧でイベカは怪我人共々吹き飛ばされてしまった。
かなりの距離を吹き飛ばされて負傷はしたものの、イベカは無事であった。だがそうとは知らないヒカリは逆上し、訓練のみ、しかも一度試したきりだった風の上級魔法を放ち、見事成功して鷲獅子を丸焼きにしたのだった。
魔獣を倒した後、上級魔法で魔力をゴッソリ持って行かれたヒカリはフラフラになりながら、街道から大分離れた所に倒れているイベカを見つけた。意識は無いが生きているのを確認し、ほっとしたのも束の間。ヒカリは背後から声を掛けられ、飛び上がらんばかりに驚いた。
襲撃現場では二台の馬車が見るも無残に全壊しており、その傍には二名分の遺体があった。それを見たヒカリは彼らの元々の人数を知らなかったため「あの人たちは全滅したんだろう」と漠然と思い込んでしまったらしく、他の人間のことなどすっぽり抜け落ちていたのだ。
馬車二台で二人だけって良く考え無くてもおかしいよなあ・・・あああ、馬鹿だ
自分で思う以上に気が動転していたということだろう。普段なら容易に気付くはずの人の気配にも全く気づかなかった。
そんなヒカリのあまりの驚きように声を掛けてきた方もぽかんとしていたが、先に気を取り直し再度ヒカリに話しかける。
「助けていただき、本当にありがとうございました。あなた方がいらっしゃらなかったら、私たちは全員死んでいました」
中年の男は子供のヒカリにも丁寧に礼を言うと一旦言葉を切り、ふうと息を吐き出した。
襲撃に遭ったのが総じて何人だったのか、この時のヒカリは知らなかったが、少なくともその内の二人は犠牲になっている。ヒカリも動転していたが、この男も抑えているだけで相当ショックを受けているはずだ。
少し落ち着きを取り戻したヒカリは、今更ながらそう思い至る。改めて見れば男は何かを堪えるような表情で、小刻みに震えていた。
ヒカリの手が自然と、優しく男の肩に触れた。
「大丈夫。もう大丈夫ですからね」
本業が修羅場ラバンバしておりまして、亀更新です。すみません・・・