8 魔獣
「この辺、というかどこにでも出て来る小悪鬼は雑食で、魔力が弱い人間でも食料とみなして積極的に襲ってくるんだ。一匹一匹はそこまで手強くはないが、徒党を組む習性があるから厄介だな。しかも鬼猪や一角兎のように食べる所も無いし、素材にもならないと来てる」
「小悪鬼・・・」
前世でファンタジーと言えばお馴染みのゴブリンだが、ケテル語を漢字に直訳するとその嫌われ感が凄い。
「フーツ村の隣の森にもいるんだよね?なのに私、まだ見たことない」
「狩りの時には結構遭遇するぞ。見掛けたら必ず仕留めるようにしてるんだが、ただ死体を村に持ち帰っても何の役にも立たないから、魔石だけ採って燃やしたり埋めてしまうんだよ。だから確かに狩人以外は見る機会ないだろうなあ」
魔石とは魔獣の体で生成される魔素の結晶で、いろいろな道具や武器などに使われる素材である。魔獣によって魔石の質も大きさも違う。
「人間も食べるなら森から出て来て村を襲ったりしないの?」
「うちの村はまだないが、他所で襲撃されたという話はたまに聞くな。ただゴブリンは用心深いから、人里を襲うとなれば奴らなりに準備するんだ。だからこの段階で気付いて未然に叩くのが大事で、そこが狩人の腕の見せ所ってわけだな」
そう言ってははは、と笑うイベカを「狩人って凄いんだなあ」とヒカリは素直に感心して見つめた。この国の一般的な狩人と言うにはイベカは特殊なのだが、この時のヒカリには知る由もない。
村を出てからずっと鬱蒼と木が生茂る中を走っていたが、話している間に景色が拓けて来て、酷かった揺れが随分とマシになった。もうすぐ街道に合流するとイベカが教えてくれた。
「街道に出るのはどういう種類の魔獣が多いの?」
と聞くと、イベカが苦笑した。
「ヒカリは怖くないのか?そんな事聞いてこれからすぐ街道だぞ」
「襲ってくるかも知れないから先に知っておいた方が良い、って言ったのお父さんじゃない」
何を今更?ヒカリが心底怪訝そうな顔をしたので、それを見たイベカは
「ははは、ごめんごめん。ヒカリはそうだった」
笑いながら謝ると、少し真剣な調子になる。
「よく聞くのは獅子蟻とか火針蜂の昆虫系に、羅刹鳥とか獅鷲子とか・・・要するに空を飛ぶのが多いみたいだな。街道は整備されていて見通しが良い分、空から狙われやすいんだろう。でも比較的多いってだけだ。実際何が出て来てもおかしくない」
「空かー・・・」
そう言って見上げれば、村を出発した頃はまだ薄暗かった空もすっかり明るくなっており、爽やかな風に木々の緑が鮮やかに揺れている。
目の前の穏やかな風景との隔たりが大きすぎて、魔獣の物騒な話がどこか現実味に欠けて聞こえてしまう。
ヒカリはそのまま暫く流れて行く景色をぼーっと眺めていたが、突如背筋にぞわりとした感覚が走った。
「ヒカリ、隠れろ」
ほぼ同時に御者台のイベカが振り返って鋭く言った。ヒカリは反射的に御者台から離れて荷台の中に引っ込んだ。イベカは馬車を道から少し逸れた所に止めた。
街道の先の方、ここからはやっと見えるくらいの所から数人が叫んでいる声と何かがぶつかるような音、そして聞いた事がないような奇声が聞こえて来る。
「ヒカリ、お父さんはちょっと見てくる。お前は絶対に出て来てはダメだぞ」
イベカはそう言うと、弓を掴んで音のする方へ向かって行った。
───魔獣だ
あの奇声は魔獣のものに違いない。姿をまだ見ていないのに、ヒカリの体は硬直してしまっている。荷台からそろそろと外を覗くと、
でか・・・っ
大きな影が地上の、恐らく馬車であろう物に飛び付いているのが見えた。動きは鳥なのだが、問題はそのサイズ感だ。どう見ても馬車に対して大きすぎる。
これがフラグってやつか・・・
まったく先ほどイベカが言っていた通りの状況だ。
ヒカリがそんなことを思いながら見ていると、巨大な鳥魔獣が「ギャッ」と不快そうに啼き、馬車から飛び退いて距離を取った。
「凄い・・・」
弓が放たれ、しかも命中したようだ。よく見えないがきっとイベカだろう。鳥は距離を保ったままホバリングしている。ヒカリからは良く見えないが片方の羽に弓が突き刺さっていて、動きが少しぎこちない。
しかし距離を取られたせいで弓矢が届かないようだ。
魔獣は空中から一気に馬車の方へと滑空した。一呼吸置いて馬車が破壊される音が響き、土埃が上がる。
「!!」
ヒカリは思わず馬車から飛び出し、先ほどまで荷台から外を見るだけでも一苦労だったはずの体は考える間も無く走り出していた。
父さん、父さん・・・・!
いつの間にか人の声が聞こえない。もうもうとした土煙はなかなか収まらず何も見えないままだ。
ばさっ
土煙の中から魔獣が出て来た。その大きな羽のばたきでますます土埃が舞って視界がまた更に悪くなる。魔獣は再びホバリングし始めた。
父さんは無事だ、無事に決まってる!
そう念じながらヒカリが近づいて行くと、ようやく何か見えて来た。
「くっそ!!」
馬車はぺしゃんこになっており、色々な物が散乱する中に倒れている人間らしき影がいくつか見える。ヒカリは咄嗟にイベカの姿を探すが見当たらない。
「お父さん!!」
ありったけで叫ぶが、ごうという空気の震える音にかき消されてしまう。
ヒカリは上にいる魔獣を見て、その姿に息を呑んだ。一見鷲だがライオンのような下半身を持つ、獅鷲子だった。
魔獣の方もヒカリに気づいたらしく、ホバリングしながら首がこちらを向いた。
てめえ・・・
恐怖よりも、怒りが湧いた。転生してから感じたことのないような、強い怒り。
ヒカリは素早く深呼吸した。
「俺が魔法を覚えたのはな・・・」
相手が完全にこちらを標的にしたのが分かった。と、小型飛行機並みの巨体が猛スピードで突っ込んでくる。
「このためなんだよぉぉっっっ!!」
叫ぶヒカリの手から、カマイタチが放たれた。ヒカリ目掛けて滑空していた獅鷲子はそれを咄嗟に避けようとしたが間に合わずに、食らった首の下から横一直線に血が吹き出した。忌々しげに啼き声を上げながら、また上空に飛び上がって距離を取る。
「ちっ」
思ったより威力が弱いな・・・。これでも中級魔法なのに
そう思いながらヒカリは舌打ちしたが、獅鷲子もかなりダメージを受けたらしい。空中で旋回をしているがぐらぐらと不安定な飛び方だ。
最初は油断していたようだが今は明らかに警戒している様子の獅鷲子に、ヒカリも覚悟を決める。
落ち着け、落ち着け俺。大丈夫だ、次で絶対決める
今度はゆっくりと深呼吸する。
獅鷲子もこちらの隙を伺いながら旋回している。ヒカリはじっと待つ。深呼吸。
──不意に獅鷲子が動きを変えた。
来る!
獅鷲子が風を切る轟音と共に滑空して向かって来る。刹那、ヒカリは再び魔法を放った。
バリバリバリバリッ
「ギャーーーーーーッッッ」
強い閃光が辺り一帯を包み、獅鷲子の断末魔が爆音とせめぎ合いながら響いた。
ドザーーーッ
次の瞬間、獅鷲子が黒い煙を出しながら墜落した。
・・・成功・・・したか・・・?
墜ちた獅鷲子からは煙と共にしゅうしゅうという音が上がっているが、動き出す様子はない。
あーこの匂いは・・・
辺りに充満する焦げた臭いに一瞬そんなことを考えたが、
「お父さん・・・お父さん!!」
すぐに壊れた馬車の方に駆け寄った。
固有名詞の表記ついてはヒカリによる異世界語の直訳なので、前世で知らないモンスターや、知っていても漢字のイメージが強いものは漢字に、ということにしてます。グリフォンはカタカナと迷いましたが・・・。