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「彼女は……?」


窓の外を眺めていた。

先程まで土砂降りの雨の中、一組の男女が抱き合っていた。

まるで他に見る者は許さないとでも言わんばかりの激しい雨だった。

暫く眺めていると、女の方が意識を手放し崩折れた。

男の方が横抱きに抱えると、窓越しのロンと視線が絡んだ。

鋭く射抜くような視線をロンに向けた。

そして、興味を失ったように視線を逸らす。

男はまるで壊れ物を扱うかのように女の額に口付けを落とすと、屋敷のエントランスの方へ消えて行った。

余りにも似合い過ぎる———。

胸を鷲掴みにされたような衝撃だった。

二人の居た場所から目が離せない。

まるで金縛りのようだ。


「先程休まれました」

「ご苦労」


ユウリは何か言いたげに躊躇した後、頭を下げて退出した。

扉が閉まっても、窓の近くから離れる事は出来なかった。

アリスが何を求めていたのか、ロンに分からない訳ではなかった。

ロンも出来る事なら彼女の求めたように抱いてやりたいと思った。

普通の夫婦になりたかった。

だが、駄目だった。

余りにも思い出が綺麗過ぎる。

綺麗過ぎて———。


人間とは愚かだ。

成人するまでの時間はあっという間で、瞬きよりも短い。

しかし、成人してしまってからの時間はまるで今までの時が止まってしまったようにゆっくりと過ぎる。

身体の成長が止まると共に心の成長もゆっくりと。

緩慢になって行く。

アリスの眩いばかりの青春の日々を傍らで眺めていくのは辛過ぎる。

こんな老いた男では、あの綺麗過ぎる少女には釣り合う訳も無い。

自信が無いとは別だ。

そして、ロンには一番にアリスを本当の妻にする資格など持ち合わせていないのだ。

男性としての機能が働かなくなってしまったのはいつだったか。

戦時下に、捕らえた捕虜の敵兵を拷問した。

屈強な男の忠誠心や尊厳を一発で砕く為に精神的な屈辱を与える。

その方法として強姦する事があった。

勿論、ロンは見ているだけではあった。

紙切れのように扱われる兵士達を見ているうちに、何処か壊れてしまった。

以来、性的興奮もしなくなってしまった。

こんな身体ではアリスの望みを叶えられよう筈も無い。

いくら一時の感情でお互いを縛り付けたとしても、いずれそれがアリスの枷になる時がやってくる。

ロンはアリスよりも多少長生きしている分その所は良く分かっていると思っていた。

幾ら綺麗事を並べたとしても所詮人間とて生物としての本能である肉欲を恋情という一時の渇望で完全に抑え込める筈が無いのだ。

それは生き物としては繁殖という本能的な部分で当然の事なのである。

普通の夫婦であればその本能の部分をお互いの肉体が若いうちに育み、心の成長と共に褥を通した交わりで恋情以外の信頼関係などを作っていくものだ。

しかし、ロンとアリスの場合は年齢的な隔絶の他にロンの身体的な問題もあり、その選択が最初から出来ないのだ。

恋だけで繋ぎ止めておけると信じられるには些かロンは年を取り過ぎた。


ロンは皮肉げに笑った。

窓に映った自身の顔は仮面をしていても情け無く歪んでいた。


人を殺し過ぎた。

ロンは、戦術家としての能力が高過ぎた。

ロンの戦術家の師である男が言った。

戦場以外で生きるように———。

戦争が終わり、ロンは師の言う事が正しく真実であったと悟った。

戦争でロンの策を用いると、容易く敵を一掃した。

その時初めて師の言葉を理解した。

次第に疲弊していく己の心。

そんな時には必ず心の片隅に小さなアリスが居た。


ロンは、仮面を外す。

窓ガラスには自身の顔が映っていた。














アーロンが戦術家としての勉強を終え、自身の適正もあり進路に迷っていた時に父から紹介された職がアンダーソン家での執事見習いとしての仕事だった。

随分と悩んだが師からの勧めもあり、結局アンダーソン家へ行った。

屋敷には、子爵夫人———アリスの実母であるスカーレットが居た。

夫であるマルクは愛人の家に入り浸り帰って来ないと聞いた。

スカーレットは、気丈な人物でアーロンよりも三つ年上の女性だった。

夫であるマルクが投げ出した領地の管理や細々とした付き合いなども総て彼女が切り盛りしていた。

いつも明るく快活なスカーレット。

時折寂しさを見せる横顔。

アンバランスな二つの顔を持つスカーレットに、次第にアーロンは惹かれていった。

しかし、叶うわけも無い夢物語だった。

憧憬に似た儚い思いだった。

その儚い夢が簡単にマルクによって崩された。


ある夜珍しく帰ってきたマルクは酷く酒に酔っていた。

嫌がるスカーレットを無理矢理夫婦の寝室に引き摺り込むと、そのまま朝まで二人は出て来なかった。

アーロンは身を引き裂かれる思いで眠れない夜を過ごした。


翌朝出てきたスカーレットは、顔面に大きな痣が出来ていた。

衣服に隠れた身体はもっと酷い事になっているだろう事は簡単に予想出来た。

怒りに震えるアーロンに、スカーレットは一言大丈夫、と言った。

無力だった。

益々募る想いに身を焦がした。

アーロンの心情など御構い無しに、翌年スカーレットは子を産んだ。

それがアリスだった。

アーロンは、アリスに対して実の子のように大層可愛がった。

スカーレットに似たアリス。

可愛くて仕方なかった。

マルクは相変わらず愛人の家に居る。

スカーレットと、アリス。

少ない使用人。

そしてアーロン。

幸せな時間は長くは続かなかった。


スカーレットは産後の肥立ちが悪く、あっという間に儚くなってしまった。


アリスが生まれてから一年が過ぎた頃、スカーレットは亡くなった。

幼いアリスを残して。

燻る気持ちを抱くアーロンを残して。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] お母さんの名前はクラリス?スカーレット?どちらでしょうか。どちらも、でしょうか?
[一言] そうでしたか。アーロンはアーロンで辛い道を通って来たんですね。
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