7
アリスはそのロンに対する気持ちだけで、ロンの部屋の前に辿り着いた。
ごくりと唾を嚥下してから扉を二回ノックした。
「入れ」
ロンが短く返答した。
アリスは緊張で震える手を抑えながらロンの部屋の扉を開けた。
ロンは部屋の窓際に立ち、外をじっと見ていた。
窓ガラスに映る影でアリスと気付くとすぐに振り返った。
「アリス?どうしたんです?こんな時間に」
アイアンマスクを付けたロンが驚いた声で聞いて来た。
アリスは拳を握りしめて息を吸った。
「ろ、ろろ、ろ、ロン様!い、いい一緒に寝てもいいですか、か、か?」
一息に言うと、ロンが唖然とする空気が伝わってきて急に居た堪れなくなってしまった。
沈黙が降りる。
どうか、断らないで———。
アリスは懇願するような目でロンを見上げた。
「添い寝、という事ですか?何か恐い思いでもしましたか?」
アリスの元にゆっくりと近付いて来る。
ロンが心配そうにアリスを見ていた。
「ち、ちち、違います、す、す。だだ、抱いて下さい、い、い」
「……本気ですか?」
必死に頷くアリスに、ロンは腕を組む。
考え込むように爪先をコツコツと鳴らしながら思案している。
アリスは断わられたくない一心でロンの胸に縋った。
ロンはアリスを抱き締める。
「アリス、心臓が凄い音を立てていますね」
覆い被さるようにアリスの頸にロンが顔を埋める。
アリスの柔らかな肌に触れたアイアンマスクの冷たさに思わず身を固くする。
その後に触れたロンの唇は火傷する程に熱く感じた。
アリスは初めてのロンの腕の中に、陶酔した。
この広い胸に身体を預け、抱き締められる事に喜びを感じていた。
ロンはアリスを抱き上げると、そっと寝台に寝かせた。
アリスの両膝を跨り、見下ろす。
見上げたロンは、どこか悲しそうだった。
ロンが、屈んでアリスの頭の脇に両肘を付いた。
アリスとロンの距離が息のかかる程に近づいた。
夢のようだった。
ロンがアリスのすぐ近くにいる。
息も触れ合う程に近くに。
しかし、アリスの気持ちを裏切るように、一瞬の躊躇いの後に告げられた。
「すいません、抱けません」
すぐ眼前にあるロンの瞳。
歪められた瞳を見て、アリスは総てを理解した。
ロンがアリスを引き取った経緯も、特別に優しくしてくれた理由も、アリスを抱けない理由も。
総ての点と点が繋がった。
雨は益々勢いが増す。
まるで総てを洗い流すように。
アリスはそれでもロンが好きだった。
ロンはアリスに親のように兄のようにと言ったが、それは即ちロンがアリスを子や妹のように思っているという事だった。
アリスは最初から妻などでは無かったのだ。
無言でロンの部屋を飛び出した。
夢中で走ると自然と足は庭に向いていた。
苦しい。
胸が張り裂けそうだった。
恥ずかしい。
舞い上がっていた自分が。
期待していた自分が。
もしかしてロンも自分を慕っていてくれるのではと勘違いした事実が。
消えて無くなりたい程に、後悔と自責がアリスの中を渦巻いた。
「アリスさん!」
アリスは名を呼ばれ、振り向く。
アーサーが居た。
雨に打たれるアリスの側に寄ると抱き締められた。
「アリスさん」
「ア……サーせんせ、わたし、わ、わたし」
「大丈夫です。私が総て受け止めます」
「ロン様は、わ、わたしを家族にしてくれた。で、でも、わたしは、わたしは……」
「分かっています」
「わ、わたしは子供や妹になりたかった訳じゃなかったの」
アーサーがアリスの背を安心させるように撫でた。
二人、ずぶ濡れになっていた。
どちらも雨に打たれている事など、とうに気にしていなかった。
「愛して欲しかったんですね?」
「あ、いして……。妻になりたかった」
「分かっています。貴女を診てきましたから……」
「わたし、を?」
「はい、貴女を」
「わたし、わたしは何処で間違ったんでしょうか」
アーサーは抱き締める力を強くした。
燃えるように熱かった。
ロンの触れた唇のように。
その事実が、アリスを更に惨めにした。
「間違ってなどいません。貴女は正直に生きただけです。それは、子供時代にだけ許された特権なんですよ。カイエン伯爵は、分別のある大人なのです。理知的な素晴らしい方です。だから、望みのままに貴女を手にする事が出来なかったんでしょう。時間が、貴方達には必要なんです」
「せん、せ、そうじゃないです。わたしと、ロン様はいつまで経っても交わらないんです。真っ直ぐに垂れた糸なら風が吹けば可能性はあります。でも、わたしとロン様は、二本の柱だから。時間の問題じゃ、ありません、ね……」
アリスは意識を失った。
何かがアリスから抜け落ちた。
それは、いつまでも続かない子供時代の終わりを告げるように。
もう子供時代が終わってしまったアリスにロンとの間に残された猶予など無くなってしまった。
アーサーの言っていた時間は、どうやら無さそうだと落ち行く意識の断片で考えた。