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「気が付かれましたか?」
心配そうなユウリの顔が近くにあった。
アリスは全身に力が入らず起き上がれない。
暫くぼんやりしていると、アーロンやアーサーとの事が頭に浮かんだ。
「わ、たし……」
「倒れられたんですよ。それから夜中に熱が出て、三日程寝込んでらっしゃいました。アーサー様がきちんと診てくれましたから。もう大丈夫ですよ」
ユウリが静かに語ってくれた。
アリスはまだ霞む思考でユウリの言葉を飲み込んだ。
「し、んぱいかけて、ごめんなさい」
「そんな。良いんですよ。奥様はまずお身体を良くする事だけ考えてくださいね」
「……私、奥様じゃないの。ロン様の一番にはなれなかった」
ユウリが痛々しそうな視線を向けてから、アリスの頭を撫でる。
「それは違いますよ。旦那様にとって奥様はいつでも一番です。それだけは私が保証します」
「でも、本当の夫婦にはなれなかったの」
「奥様、いいえ、アリス様。愛には様々な形があります。どんな形であれ、旦那様はアリス様を大事に思われているのは間違いありません。でなければ、あの頭の切れる旦那様が他家の事情に首を突っ込むような真似をされる筈がありませんから。それにアリス様」
ユウリがアリスの額に己の額を重ねる。
「ゆっくりで良いんですよ。焦らずゆっくり。アリス様が本当に旦那様を思っていらっしゃる気持ちは大切にしまっておけばいいんです。どんな形になるかは、アリス様と旦那様次第なんですから」
アリスはユウリの優しさに胸のつかえが消えた気がした。
ユウリの思い遣りに、溢れる慈愛の気持ちに、涙が止まらなかった。
カイエン伯爵邸に来てアリスはよく泣くようになった。
アンダーソン家で抑圧されて生きてきたアリスの傷付いた柔らかな心は簡単に決壊される。
心無い言葉に傷付けられるのは歯を食いしばって我慢出来る。
透明人間のように無視されても自分の事を塵程も関心の無い人間ならば、こちらも気にしなければいい。
難しい事ではあるが、心にきつい鍵をかけるように遣り過ごせば良いのだ。
しかし、優しさは駄目だ。
無視する事も出来ないし、そもそもアリスに対しての好意を持ってしてくれた気持ちは簡単に入り込んできてしまう。
結果アリスはカイエン伯爵邸に来てから泣き虫になってしまったのだ。
カイエン伯爵邸の優しさに、最早アリスは抗う事が出来ないのだ。
「時間が解決してくれますよ」
ユウリもアーサーもアリスとロンの関係には時間が必要だと言う。
だが、アリスには理解出来ない。
アリスがどんなに早く年を取りたいと願った所で、叶う事は無い。
ロンに似合う女性になりたいと願った所で二十歳差という現実は変わらないのだから。
ユウリとアーサーの言う時間とは、アリスがロンを諦める為に用意された時間の事ではないのかと、ついつい悪い方向に考えてしまう。
いつかこのロンに対する気持ちが思い出という名の元に風化してしまうのでは、と思うと怖かった。
アーロンが居なくなり、もう戻っては来ないのだろうと諦めた時のように。
そうやって風化しつつも、待つ事をやめられない。
期待する事をやめられない辛さをアリスはよく理解しているつもりだ。
あんなに辛い思いを繰り返さなければいけないのかと思うと、また悲しくなった。
「もう一度眠ってください。色々考えるのは後にしませんか?」
ユウリの言葉に素直に頷き目を閉じた。
アリスは微睡みに包まれる意識の中で、アーロンに頭を撫でてもらう夢を見た。
いる筈の無いアーロンのもう朧気な手のひらの感触。
それでも夢の中ではアーロンがアリスの頭を撫でてくれているのだとはっきりと理解出来た。
アーロン。
今また会いたくて恋しい。
私だけの執事。
♢
「アリス、もう起き上がって大丈夫なんですか?」
朝、アリスが食卓に着くとロンは心配そうに伺う。
「も、もう大丈夫。心配かけてごめんなさい」
「謝る事はありません。ですが体調が良くなったのなら本当に良かったです」
まるであの日の事は無かったようにロンは触れずに食事が進んだ。
アリスにとっては大きな事件だと感じていた事が、ロンにとっては些細な事だと突きつけられたようで胸が痛んだ。
こうやって痛みを見ないように目を背けるうちに、思い出に変わっていくのだという事をアリスはよく知っていた。
「食欲がありませんか?」
ロンが食の進まないアリスを心配そうに見る。
「あ、あ、大丈夫です。ぼーっとしただけです」
「そうですか?それならいいのですが。……でも矢張り心配ですから、午後からアーサー先生に来てもらいます。いいですね?」
「そこまでしなくても……」
「いいえ、お願いします。私を安心させる為だと思って診察してもらってください。私は午後は予定がありますので一緒にはいられませんが、必ずアーサー先生に診てもらってくださいね」
念押しするように強引に予定を決められてしまった。
アリスはナイフとフォークを手の中で弄びながら、曖昧に頷いた。




