スナイパーが攻撃を開始した。(1)
1
久喜駅の入構に備えて、御乗用列車が徐行運転に入った。両側に停車した列車の間を走り抜ける前段階だった。
〈〝他の列車と並んで走らない〟お召列車のルールは完全に反故にされているわね〉
不満を覚えている場合ではなかった。不意の攻撃に備えて、洋子は全身で窓を塞いだ。
車窓の広い範囲に、警戒の視線を巡らせる。
「頭を下げて下さい、花子さま。危険です。私が必ず守ります。指示に従ってください」
ポイントの切り換えによって、列車が右に揺れた。御乗用列車が進路を換えていく。
車輪がレールの繋ぎ目を越えていく。ガタン、ガタンという騒音が、普段よりも大きく聞こえた。
車体が大きく横に振られた。
バランスを崩した中学生の中から「キャー」と悲鳴が上がった。
一旦は徐行した御乗用列車が、一気に加速度を増していく。
切羽詰まった状況が、車内に伝わってきた。乗客が不安に陥った。誰もが息を殺していた。車内は、言い知れぬ緊張感で溢れている。
両側に停車した列車の間に、御乗用列車が突入した。停車した車輛から、好奇の視線が御乗用列車に注がれていた。
恐怖に支配された車輛が挟まれていた。目出し帽で顔を隠した外国人のグループに占領されていた。
拳銃とサバイバル・ナイフで脅し、乗客を遠ざけた中央に狙撃手がいた。御乗用列車の方向にライフルの銃口が向けられていた。
近付く悲劇の瞬間に、千佳が気付いた。窓に張り付き、口を開け、悲鳴を上げようとしていたが、声が出なくなっていた。
中学生たちが、不安に怯えて悲鳴が上がった。狙撃手を睨む洋子には、列車のモーター音と車輪がレールの繋ぎ目を越える音だけしか聞こえなくなっていた。
2
窓ガラスの砕ける音がした。車内の空気が、一瞬、凍り付いた。ブシュッと小さな音がした。生徒が被弾した。呆気ない声が、音を失った車内に聞こえた。
洋子は視線を後方に移した。
血飛沫が飛んだ。叩き割られた西瓜のように頭が砕け散った。被弾した少女が、ゆっくりと床に崩れた。
飛散した血糊と共に、大きな悲鳴が巻き起こった。車両内はパニックになった。
「全員、頭を下げて! 座席に伏せなさい!」
韮山たちSPが大声を上げた。
女子学生たちの激しく泣き叫ぶ声で、緊急の指示が掻き消された。
少女が倒れた場所は、柳谷が座った座席横の通路だった。
《柳谷を狙った銃弾が、通路を横切った不運な生徒に命中した》としか、考えられない展開だった。
「花子さま、急いで。座席の間に隠れて下さい」
洋子は花子女王と千佳を座席の間に押し込んだ。次の狙撃から女王を護るために、座席の上に覆い被さった。
大急ぎでデッキから戻った岩脇と穂村が、背広から拳銃を取り出した。窓の外に警戒の視線を巡らせた。
「水落さん。嘘でしょう。悪い夢ですよね。同級生が撃たれて死んだんですよ」
「見てはいけません。花子さま、眼を瞑って!」
警護対象者の精神的な衝撃を、これ以上増し加えるわけにはいかなかった。洋子は花子女王の視線を手で遮った。強い声で、惨状を見るなと指示をした。
泣き叫ぶ声が、列車全体を巻き込んで激しくなった。逃げ惑う声が加わった。
発生した集団パニックが、手のつけられない混乱状態にまで増大した。
洋子の腕の中で、花子女王の身体がヒクヒクと震えていた。噛み合わない口で、千佳が状況を伝えようとする。
「私、見ました。右側の列車の中で、誰かが銃を構えていました。銃口が光って、窓ガラスが砕け散りました。そしたら、後の席で、誰かが、頭が砕け散って倒れたの」
「水落さん、私たち、ここで死ぬんですか? 逃げ出す方法は、ないんですか」
両眼に泪を溜め、花子女王が噦り上げながら、震えていた。ついさっきまでは平気だったのに。身近で被害者が出たために、現実感が増したのだ。
「大丈夫です、殿下。必ず、私がお護りします」
力を込めて、洋子は花子女王に語り掛けた。
御乗用列車は更に速度を上げて、壁となった列車の間を走り抜けていく。
風圧で車体が揺れる。ギリギリで、接触しかねない勢いだった。
車輛間に巻き起こった風が、緊迫した空気を逆撫でするように、被弾によって壊れた窓から、ヒューヒューと音を立てて風が吹き込んだ。
悲鳴が、さらに大きくなる。
久喜駅を過ぎた時点で、中線から本線にポイントが換わった。
車輛が再び、大きく横に振られた。揺れに驚いた中学生たちが、転倒しそうになって座席にしがみ付いた。またしても。絶叫が湧き上がった。
御乗用列車は、このまま東武線乗り入れの栗橋駅まで突っ走る気配だった。
〈東武線乗り入れ時には、乗務員交代や架線の交代のために、停車時間が取られるはず。次の駅で、女王殿下に降車して頂かなければ。これ以上、皇族の女王さまを恐ろしい目に遭わせるわけにはいかないわ〉
騒然としていた車内が、嘘のように静まり返った。乗り合わせた中学生たちが、先行きの全く見えない不安に、声を失っていた。
車輪がレールの継ぎ目を踏む音と、啜り泣く声が列車内に聞こえていた。
韮山たちSPが無線に向かって状況報告する声が、やたらと大きく聞こえてくる。
本来は標的だったはずの柳谷が、ふてぶてしい顔でふんぞり返っていた。
〈さっさと射殺されればいいのに。狙われているのは、あなたでしょう〉
花子女王の気持ちを思うと、冷淡にならざるを得なかった。
洋子は、肩ホルスターに差した拳銃の重みを意識した。警備のたびに拳銃を携帯しても、今までに実戦で抜いた経験はなかった。
ハリー・キャラハンのように、格好良く銃口を凶悪犯に向けられたらと思う。だが、相手が人間だと認識した瞬間から、気持ちが萎えて、威嚇すら困難になるはずだ。
結局、洋子は人間の盾だ。穂村から〝狙撃を警戒して窓を塞げ〟と命令されても当然の人間だ。
花子女王を庇いながら、洋子は滲み出す悔し涙を堪えた。




