A列車で行こう(2)
3
〝空港テロ〟と聞いて、荒瀬は予定を変更した。
杉並に向かって走り出した車を、城田が神田の国豊大学に向けた。交差点でUターンをさせた。
「どうしたんですか? ずいぶん、いきなりですね」
苦笑しながら、城田が訊いた。
記憶を辿りながら、荒瀬は城田に答えた。
「空港テロの実行犯の中に日本人がいた。柳谷という男だ。身元を洗うために、俺も聞き込みに加わった経験がある。国豊大学の助教授が何者かに刺殺された事件があった。匿名の密告によって重要参考人として指名手配された学生活動家が、柳谷だった」
「だから、国豊大学なんですね。事件の関係者は、まだ在籍されているんですか」
荒瀬は前を向いたままで、自ら納得するように頷いた。
「在籍している。アポイントは取った。だが、確認したい相手は、柳谷ではないんだ。当時、密告に絡み、学生活動家と関係を持った女性の存在がクローズアップされた。聞き込みは強行班の刑事が担当したが、記憶が正しければ、外務省のキャリアで、名前は内木美恵子だった」
「もしかして、内木奈美の母親ですか? 空港テロで亡くなった」
驚く城田に、荒瀬は真顔で頷いた。
「さっき高校を出る際に、電話で照会してみた。内木奈美の母親は、やはり刺殺事件当時には外務省に所属していたよ。事件後に自己都合で辞職しているな。辞職後は夫の赴任に同行して海外を転々とし、タイに滞在している間に亡くなっているから。間違いなく同一人物だな。接点が明らかになれば、もう少し深い関係が解ると思うが、今はそこまでだ」
「関係とは、簡単にいえば、不倫ですよね」
話し難そうに、荒瀬は苦笑した。
「まあな、道ならぬ恋だな」
「夫婦で外交官じゃ、不満だって、なかったでしょうにねえ。相手が、活動家の貧乏学生ですか。釣り合わないですよね、格差があり過ぎる」
理解できないと首を傾げ、城田が呆れた声を出した。
「解らないもんだよ、男女の仲ってやつは。思いがけない切っ掛けで親しくなって、登り詰めるときは、あっという間だ」
「頭では理解できないものなんですね、きっと」
話しているうちに、国豊大学のビルが立ち並ぶ一角になった。道いっぱいに広がって歩く学生たちに閉口しながら、城田が守衛の指示を受けて地下駐車場に車を入れた。
法学部研究棟に向かった。アポイントを取った法学部教授を訪ねた。応接までの廊下には、ファッション誌を真似た軽薄な男女学生に混じって、鋭い視線で見詰めている、縒れた背広姿の男たちがいた。
「なんだか、監視されているみたいな気がしますね」
「ほとんどの若い学生に政治意識などないが、遠い昔の遺恨のような活動家が残されている。化石みたいなもんさ。この辺りは遠い昔、〝神田カルチェラタン闘争〟が繰り広げられた激戦地でもあるからな」
応接の手前で研究員が待っていた。
案内されて応接に入ると、間もなく教授が姿を現した。
4
教授は胸にエンブレムの付いたブレザーを着込んで、パフタイを襟元に覗かせていた。
応接椅子に座る直前に、皮肉な顔を見せながら教授が苦笑した。
「〝久しぶり〟と心から喜べる関係ではないですね。まだ、過去の恩讐を掘り返す必要があるのですか。もう、二十年以上も前の事件ですよ」
「掘り返すつもりは、毛頭ないんですがね。不思議なもんで、なぜだか、事件のほうから近付いて来るんです。因果な話ですな」
教授に対抗して、荒瀬はわざとらしく笑って見せた。
荒瀬の言葉に頷いて、城田が事務的に話を切り出した。
「今朝、JR宇都宮線で列車ジャックが発生しました。人質になった高校生について調べています。関連を辿ってみたところ、国豊大学の助教授刺殺事件に行き着きまして」
「高校生の母親が元外交官の内木美恵子だと知って、驚きましたよ。親子してテロリズムの被害に遭うなんて、不運の極みですからね。でもね、感心してばかりはいられない。刑事は因果な稼業ですからね。どんな接点でも調べておかないと、後で手痛い竹箆返しを喰らう破目になりかねない」
荒瀬が話を繋ぐと、教授が諦めた顔で何度も頷いた。
「分かった、分かった。刑事さんから電話をいただいた時点で、刺殺事件の容疑者、柳谷浩平の概要は、思い出しておきましたよ。内木美恵子くんの件ですか。それはまた、思いがけないところに辿り着いたものですね」
「ゴシップ記者じゃないんですが、道ならぬ恋の経緯と結末を、もう一度、浚わせてもらって良いですか」
応接椅子に浅く座り直すと、荒瀬は身を乗り出した。
失笑しながら、教授が肘掛に突いた両手を、胸の前で組んだ。一つ一つの出来事を思い返しながら、ゆっくりと教授が話し始めた。
「始まりは、間違いなく最悪でしたね。美恵子くんは、研究室の卒業生として、対外貿易に関する法律の特別講師に招かれていました。講義の途中で、助教授の糾弾を目した学生運動活動家のセクトが乱入して、演壇を奪ったんです。柳谷は、乱入メンバーのメイン・スピーカーでした。美恵子くんの形相は、凄まじかった。まるで、この世のすべての悪を否定する勢いだった」
「結果的に、柳谷と美恵子さんは愛し合ったんですよね。間違いなく」
城田が心配して、口を挟んだ。
荒瀬は城田にそっと目配せをして、黙って首を横に振った。
5
大まかな成り行きは前回の捜査でも聞いていた。教授の話に間違いはない。
教授は頷いて、話を続けた。
「最悪の出会いのはずが、いつの間にか、邪恋のために家庭まで壊し掛けたんだからね。分からないものですね、男女の関係ってやつは。もしかして、柳谷と美恵子くんを結びつけた絆は、激しい嫌悪だったんじゃないかって、僕は思っているんですよ」
教授の話を聞いて、荒瀬は笑った。
「偶然ですね。自分も同感でした」
「柳谷と美恵子くんの関係が引き返せない状態にまで陥った頃でした。柳谷のセクトが糾弾していた助教授を、研究室で刺殺したんです」
話を区切ると、教授が口元だけ微かに曲げて苦笑した。教授が無言で顔を上げた。
「本当に柳谷が犯人だったんでしょうかね?」
教授の顔を覗き込みながら、荒瀬は含みを持たせて訊いた。
「僕には、分かりませんね。捜査は警察がしたんだ。通報があったようだが、信憑性が薄いと、警察だって気付いていたはずだ。柳谷のセクトが殺したんだろうけれども、柳谷が直に手を下してはいなかったとは思いますね。だって、殺害時刻に柳谷は美恵子くんと、書庫に籠っていたはずですからね」
「同じ研究棟だから、アリバイが立証できなかったんですよね。内木夫人は口が裂けても、書庫に隠れて愛し合っていたとは言えなかったでしょうしね。でも、指名手配は間違っていなかったと思いますよ。犯行は柳谷の立案だし、急いだメンバーが計画を先走っただけの話ですからね」
通報については、情報提供者が明らかにならないままだった。
「美恵子くんの夫が柳谷を追い出すためにデマを流布したとは、断定できなかったですからね」
「柳谷の関係した空港テロに内木夫妻が巻き込まれた結果も、あるいは偶然ではなかったのかも知れませんね」
苦笑して、教授が小さく頷いた。
「報復ですよ、空港テロを利用して、柳谷が密告の復讐を謀ったんだ」
荒瀬は俯き、しばらく考えた。教授に向かって顔を上げた。
「復讐ではなく、もしかしたら柳谷にとっては至上の愛情表現だったかも知れませんよ」
教授が、冷ややかな笑みを浮かべた。
「誰にも伝わらない愛情表現だけどね」
城田が戸惑いながら訊いた。
「もしかして、御乗用列車を狙撃するだけの根拠を持った人物は……内木奈美ですか」
「警察の仕事だから、口を挟めないけれど、可能性は否定できないですね」
荒瀬は口に薄く笑いを浮かべながら、教授に頭を下げた。
「ありがとうございました。なんとか、これで確信が持てました」
満足げに笑う教授を残して、荒瀬は立ち上がった。歩きながら従いてくる城田に向かって、荒瀬は告げた。
「内木奈美は、間違いなく生きている。御乗用列車の襲撃は続くはずだ。連絡が必要だ。乗客を護らなければならない」
「我々も御乗用列車を追いますか」
城田の質問に荒瀬は失笑した。
「間に合うはずがないだろう。それよりも、確実にすべき事実が残されている。今度は奥畑と奈美の関係だ。外務省に向かうぞ。車を回してくれ」
「分かりました。兄の内木明憲を洗うんですね」
城田が小走りになって、荒瀬の前を歩き始めた。
〈しかし、復讐だけで、大がかりな列車テロを起こす必要があるかな〉
疑問はあった。しかし、今は一つずつ絡まった糸を解いていくだけだ。焦って、さらに混迷させては、元も子もなかった。
「急いでください、荒瀬さん。休んでいる余裕はないですよ」
振り返って、城田が荒瀬をからかった。
〈城田の言う通りだ。余裕はない〉
歩幅を広げ、荒瀬は足早になって城田を追い掛けた。




