ハンプティダンプティ塀の上。(2)
3
混乱する女子高生を前にして、荒瀬は手を拱いていた。
銃口が真っ直ぐ荒瀬に向けられていた。奥畑を撃った興奮と動揺で瞳孔が開いたままだ。女子高生は視線が揺れて、定まっていなかった。
「近付かないで!」
自分自身を殺人者と判断して、女子高生が自己批判を始めていた。
〈このままでは、自殺しかねない〉
女子高生の興奮状態を刺激しないように説得する必要を、荒瀬は感じた。同時に、現在の状態が続いた場合のSATの動向にも気を遣っていた。
〈まさか、狙撃など、あり得ないだろうな〉
もしも、女子高生の銃口が運転士の磯崎に大向けられたなら、説得が長引いた場合には、狙撃の可能性もゼロではない気がした。
〈必ず説得するから、間違っても狙撃しないでくれよ〉
荒瀬は、ゆっくりと長く息を吐き出した。
車輛の上から見下ろしている女子高生に向かって、ゆっくりと右手を差し出した。
「渡しなさい。拳銃は、女子供が持つものではない」
荒瀬の言葉に、呆然としていた磯崎が気を取り戻した。鉄道員として、女子高生を説得する必要があると考えた様子だった。
〈困ったな。まだ引っ込んでいて欲しかったが〉
荒瀬の思いに反して、磯崎が女子高生に向かって足を踏み出した。
真剣な表情で、磯崎が言葉を選びながら、女子高生に話し掛けた。
「馬鹿な行動は止めなさい。君は犯人を撃ったが、あれは正当防衛だ。追い詰められて、監禁状態から脱出するために止むを得なかったんだ。刑事さんだって解っていますよね。そうでしょう」
「磯崎さんが言う通りだ。だから、拳銃をこっちに」
相槌を打ちながら、荒瀬は磯崎を見据えて、これ以上は近づくなと、眼で合図をした。
磯崎は気付かなかった。手を伸ばして、女子高生の腕を掴もうとした。
手を払い除けて、女子高生が銃口を磯崎に向け直した。
「邪魔しないで。私は、私の罪を清算しなくちゃならないんだから」
ヒステリックに、女子高生が叫んだ。
足が竦んで動けなくなった磯崎に、荒瀬は言葉を抑えて、ゆっくりと話し掛けた。
「その子から離れて。磯崎さんには関係ない話だ」
「でも、私は、鉄道員として、事件に巻き込まれたお客様が間違いを犯さないように、護る義務がありますから……」
向けられた銃口に怯えながらも、磯崎が逃げようとしない。
苛立った女子高生が、磯崎に命令した。
「あなたも一緒に降りなさい。人質よ。私は何としてでも、ここから逃げ出さなくてはならないの」
〈拙い状況になった〉
荒瀬は横目でSATの動向を探った。
警視庁側と埼玉県警側のどちらも動く気配は見られなかった。相手が女子高生と知って対応に困っている様子だった。
どちらかが強硬な策に出ないうちに、急いで女子高生を説得しなければならない。
磯崎を連れて、女子高生が車輛から線路に降り立った。
4
実際に拳銃を構える女子高生を確認しても、SATのメンバーに動揺はなかった。下手な動きを見せると、追い詰められた犯人が思わぬ行動に走る可能性があるからだ。
表立った動きを抑えてはいるが、狙撃の準備は着実に進められているはずだった。
「いいか、落ち着けよ。君は、列車ジャックの人質だったんだ。同情こそされても、非難されるべき行動は取ってこなかった。やむを得ず犯人を撃ったが、あれは正当防衛だ。今ここで拳銃を渡せば、自分が〝間違いなく正当防衛だった〟と証明してやろう。監禁から解放されるために、発砲は必要な緊急避難だったんだとな」
「嘘を吐かないで。殺人は殺人よ。決して肯定されるべき行為ではないわ」
荒瀬の言葉に反発して、女子高生が激しく首を横に振った。興奮した動きに伴って、拳銃を掴んだ腕が上下左右に揺れた。
「止めろ。拳銃を渡せ」
荒瀬の強い語気に怯えた女子高生が、引鉄を引いた。
銃声が荒川に吹く風に乗って流れた。荒瀬は頬に鋭い痛みと、伝って流れる血の温もりを感じた。
〈頬を掠ったな〉
悪運の強さを信じながら、肝を据えた。荒瀬は女子高生に伸ばした手を、さらに突き出した。
発砲に驚いて、女子高生が放心状態になっていた。眼を見開いて震える女子高生の手を包み込むようにして、荒瀬は拳銃の安全装置をロックした。
力が抜け、女子高生が橋梁の上にしゃがみ込んだ。疲れ切った様子だった。俯いて、乱れた髪が顔を隠していた。
「大丈夫か? 独りで立てるか」
荒瀬は腰を降ろして、女子高生に手を貸そうとした。
急に女子高生が顔を上げた。視線がぶつかった。思いがけず強い表情だった。女子高生は鋭い眼で荒瀬を睨み、口を固く結んでいた。口元が微かに綻んだ。
〈騙したのか?〉
荒瀬は眉間に力が入った。一瞬の隙を突いて、駈け出した女子高生が欄干から宙に飛び出した。
「止めろ! バカ……」
荒川の水面に向かって、女子高生が飛び出した。身体が、放物線を描いてゆっくりと落ちていく。
水音が聞こえた。川面を覗き込むと、広がっていく波紋が見えた。女子高生の姿は消えていた。
イヤホンのマイクに向かって、荒瀬は声を強めた。
「荒川に女子高生が落ちた。救出と確保を頼む」
最後に浮かべた女子高生の笑みの真意が、解らなかった。荒瀬は、女子高生の不可解な行動の一つ一つが、心に引っ掛かっていた。




