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ハンプティダンプティ塀の上。(1)

        1

 由紀子は壁に表示された列車の在線状況を確かめた。

 狙撃された負傷者を搬出するために、大宮総合車両センターの車輛を移動させる必要があった。

 在線状況を確認していた運行指令担当の松浦が振り返って、由紀子に意見した。

「点検ブースから退避する列車の運行が、対象車輛の入構に間に合わないぞ。一度、信号を換えて、対象車輛を停車させる必要があるんじゃないか?」

「大丈夫です。事前に御乗用列車の速度を落としていますから、余裕を持って、十秒後に交差が可能になります」

 負傷者搬出が済んだ後、東北貨物線に復帰し、宇都宮線へ速やかに移行する。準備のために、新たな列車ダイヤの引き直しが必要だった。

 スジの引き直しによって、さらに大量のダイヤ変更を入力する必要がある。

 作業を運行再開に間に合わせるために、大宮総合車両センター内の信号機の制御は、一時的に車両センターの制御盤からの直接操作に変更されることになった。

「移動車輛が交差箇所を完全に通過しました。御乗用列車の信号を進行に変えて、通過を許可してください」

 松浦が大宮総合車両センターと連絡を取りながら、御乗用列車の点検ブース入構を指示していく。

 車両センター内の車輛を確認した由紀子は、不審な車輛に気付いた。

「変です。予定外の保守車輛が車両センター内に確認されていますが」

「そうだな。位置的には、対象車輛に影響はないと思われるが、保守計画には該当がないようだな。車両センターに確認するから、少し待ってくれ」

 保守作業の管理は、現場から携帯端末上でじかに行われる。

 保守作業中、作業区間に列車進入できないよう、信号が確実に制御される必要があるためだ。

 信号制御だけではなかった。

 ポイント切り替えに依る保守車輛の進路制御も、作業員が携帯する装置で運用できる。

 ただし、直接管理する対象は実際の作業箇所だけだ。作業の予定は事前に構内作業計画に組み込まれ、列車ダイヤに反映されている必要がある。

 構内作業計画の見落としか作業チームの勘違いでもなければ、予定外の保守車輛が現場に存在しないはずだった。

 しかし、見落としも、勘違いも、想定し難い誤りだ。

 由紀子は、壁に表示された在線状況を再確認した。状況は明らかに異常を示していた。

「保守車輛が動き始めました。転撤器がポイントを切り替えています。保守チームが現場で操作している模様です」

「他車輛に影響はないのか。御乗用列車と交差支障など起こさないだろうな」

 松浦が、心配そうな顔で由紀子に訊いた。

 由紀子は引き直したばかりのスジを確認した。点検作業の位置と切り替えられたポイントを辿った。だが、御乗用列車と交差する可能性は、考えられない。

 由紀子は、ひとまず安心した。

 衝突事故の危険は回避されたが、今度は新たな別の問題が浮かび上がってきた。

「拙いですよ。このままで保守車輛が進行すると、御乗用列車と並走する事態が生じます」

「保守車輛にしても、並走は拙いな。すでに攻撃を受けているからなおさらだ。これ以上、皇族を危険に晒すわけにはいかない」

 由紀子は松浦に要求した。

「転轍器の直接操作を中止してください。保守車輛だけ電力の供給を止められませんか」

「システム上、転轍器の直接操作は、指令室で停止できない。電力供給を止めても、無駄だろうな。大宮総合車両センターに確認したが、保線車輛はトラック型の軌陸車だ。搭載したガソリン・エンジンで走行しているから、電気を停めても走行可能だ」

 軌陸車は軌道と道路の走行が、いずれもできる車輛だ。外見は一般道を走行しているトラックと変わらない。

 指令室からポイントを転換しても、軌道から離脱すればタイヤ走行で並走が可能だ。

 保線車輛に関しては、スジ屋には手が出せない状況になっていた。

「待機する警察車両に急いで連絡してください。保守車輛を止めないと、大きな問題に繋がりかねません」

「判っている。直接、話ができないから、車両センターに連絡中だ」

 保線車輛の位置は刻々と御乗用列車に近付いていた。由紀子は壁の在線状況を見ながら、直接現場に立ち会えない苛立ちを感じていた。

〈お願いだから、早く保線車輛を停めて〉

 緊急の立場に立って初めて知った。あくまでも列車を動かすのは現場だ。

 しかし、現場でも時間の推移を線で表して綿密に計画されたダイヤグラムなしでは、安全な列車運行は不可能になる。

 現場で現実の動きを確認する必要はあるが、机上で論理的な整合性を見出さなければ、現場は動かない。ジレンマだった。

 由紀子は考えた。

〈同じような困難にぶつかりながら、父は〝スジ渕〟と呼ばれるまでになった〉

 ただ一度、お召列車を他の列車と並走させてしまった際の父の無念を思うと、由紀子は親子で同じ思いをする因縁の深さを感じて、胸が苦しくなった。

〝もう一度、よく考え直してみなさい。見方を変えると、思いがけない答が見えてくるかも知れないよ〟

 子供のころ、由紀子が困ったときに、父親がいつも口にしていた言葉が思い浮かんだ。

〈もう一度、状況を考えてみて……。何か、手掛かりはないの?〉

 壁の在線状況を指差しながら、由紀子は端から順に確認し直した。


        2

〈車両センターの中で動いている車輛は、御乗用列車と保守車輛だけね。それじゃ、移動可能な車輛は? そうか、点検ブースを空けるために移動させた車輛があるわね〉

 由紀子は思わず口元を緩めた。

 御乗用列車との交差支障を避けて、列車は移動した軌道上に仮停車していた。御乗用列車が再び東北貨物線に復帰した後で、点検ブースに戻す予定だった。

 作業員は、まだ運転席で待機していた。

 大宮総合車両センターに御乗用列車を引き込んだ際に引き直したダイヤグラムを、由紀子は机上に広げた。

 眼を凝らして、網目状に細かく書き込まれたスジを見直した。

 壁の配線状況に表示された保線車輛の番線を確認して、車両センター内のスジと照合した。

〈やはりね。思った通りだわ〉

 御乗用列車との並走を目論んでいる保線車輛の軌道は、交差支障を発生させれば、前進を阻止できる。

 仮停車している移動車輛を元に戻せばいいのだ。

 万が一、保線車両が軌道から離脱し、タイヤ走行しても、間に合わないはずだ。交差して前を塞ぐ列車を回避して、進路を変えるためには、回り込むだけの時間が必要だった。

 タイヤ走行でも、通常の道路の走行と同等のスピードは出せない。レールや枕木、バラストの上を走行するためだ。

 速度は間違いなく制限される。

 保守車輛が交差した車輛を回り込む間に、御乗用列車は点検ブースに到着が可能だった。

 点検ブースには警察が待機している。保線車輛も御乗用列車の深追いはしないはずだ。

「総合車両センターに連絡してください。仮停車をしている列車の後退を願います。転轍器を操作して、先ほど切り替えたポイントを元に戻すように変更を願います」

 由紀子は思いついた回避策を松浦に告げた。

「了解しました。作業員はATSを解除し、目視によって列車を後退させてください」

 在線状況の表示に変化が起こった。仮停止していた列車が指示通り移動を始めた。通過した御乗用列車の後方で、軌道を交差させながら、並走可能な軌道を塞いでいく。

 保守車輛は、完全に前進を阻まれた形になった。

 在線状況の表示から保守車輛が消えた。タイヤ走行に移行したために、軌道内の把握ができなくなったからだ。

 御乗用列車は着々と点検ブースに近付いていた。

〈あと少し、頑張って。工場棟に近付けば、不審車輛だって手出しができなくなる〉

 在線状況の表示上、御乗用列車が点検ブースに入構し終わった。

「御乗用列車、無事に入構終了しました」

 総合車両センターの連絡を受けて、無線担当者が指令室全体に聞こえる声で報告した。

「やったな、ゆっこ。〝スジ渕二世〟誕生だ」

 松浦から賞賛の声が挙がった。

 指令室に詰めていた経営幹部の反応は、今一つだった。

 御乗用列車の安全は、護られて当然だ。僅かばかりでも諦めかけた事実を非難されても、褒められた内容ではないと由紀子は判っていた。

「まだまだです。負傷者搬出が済んだら、東北貨物線に戻って宇都宮線に移行します。栗橋まで無事に到着しなければ。私の責任はまだ続いていますから」

 栗橋から先は、約束通り、垣内に引き継ぎできる。残り半分の行路だが、何が起こるか見当はつかない。

 まずは、お召し列車並みの条件を、以降の行路でも確保しなければならなかった。荷は重いが、条件をクリアするたびに、少しずつ力が付いていると感じていた。

 父親の穏やかな顔が脳裏に浮かんだ。

〈家で寛ぐときとは違い、職場では、緊張して神経を擦り減らす仕事を続けてきたんだな〉

 同じ仕事に就いて、由紀子は初めて知った。

 由紀子は、父に感謝していた。父の言葉が思い浮かばなければ、保線車輛の急襲は回避できなかったはずだ。

 途中で諦めていれば、経営幹部の反応は今以上に冷淡だったに違いない。

 由紀子は、すでにプロフェッショナルのスジ屋だった。称賛は初めて一歩を踏み出したときに受けている。

 与えられた仕事を完遂して、さらに特筆すべき付加価値が見出されない限り、称賛の期待はスジ違いだった。

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