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射殺(1)

        1

「御乗用列車が停まったぞ!」

 指令室に緊張が走った。

 運行システムにデータ入力する手を止めて、由紀子は列車無線担当者の報告に耳を澄ませた。組み上がった新しいダイヤグラムに、さらなる調整を加えたところだった。

 ベテランの垣内でも、ここまでの混乱は初めての経験に違いなかった。加えて、お召し列車並みの条件を厳守するのだから、さすがに一筋縄ではいかなかった。

 走行する列車の状況は、それぞれ刻一刻と変わる。加えて、御乗用列車が突然、停車した。

 カツカツとダイヤに詳細を書き込む手が、一瞬、止まった。

 すぐに気を取り直した。垣内が定規を当てて、次のスジを引き始めた。

『占拠された列車から、御乗用列車に向けて、不審物が発射された模様。緊急停車して、車掌が現状を確認中』

 スピーカーを通して、運転士の報告が指令室に響いた。

『バカな。非常停止は危険だ。すぐに走行を開始しろ!』

 聞き慣れない声が、無線に加わった。声の主張する通り、車輛が狙撃されたなら、付近での停車は危険極まりない。

 由紀子は心配になって、黙々とスジを引いている垣内に訊いた。

「先に進めて大丈夫ですか? 列車が停まったのでは、スジの引き直しが必要では?」

「大丈夫だ。列車は、すぐに走行を開始する。何もなければ、それぞれ閉塞区間での時間調整だけで走行可能なはずだ」

 垣内が表情一つ変えずに断言した。

念のために、鉛筆の先でチェックしながら、ポイントとなる地点での時刻の変動を確認した。ダイヤグラムを見る限りは、由紀子も、まだ間隔に余裕があると判断した。

〈さすが垣内だ。でも、もし、今ここで垣内が抜けたら、どうなるのだろう〉

 由紀子は、不安に襲われた。

 垣内のような素早い決断は、今の由紀子の能力では下せない。経験の違いかも知れないが、そもそも、持って生まれた才能の違いも否定できない。

「御乗用列車が走行を開始しました!」

 列車無線担当者の報告と同時に、安堵の声が指令室全体に広がった。ダイヤグラムの最終チェックを行い、垣内が難しい表情で鉛筆を置いた。

「ここからは、由紀子ゆっこが運転整理案の調整を行ってくれ」

「私一人じゃ、瞬時の対応なんか、できませんよ。垣内さんも一緒にいてくれるんですよね」

 由紀子は絶望的な心持がした。

 一人前として突き放されるには、まだ早すぎる。実地訓練にしても、現在の状況での押しつけは無謀以外の何物でもなかった。

「申し訳ないが、一人で頑張ってくれ。他の線区のスジ屋は何人もいるから、困った時は相談してほしい。俺は、東武日光線との調整をする必要がある。スペーシアは栗橋駅から東武日光線に乗り入れているからな」

「私も連れて行って下さい。研修中なんですから、連絡線の調整も経験してみたいです」

 呆れた表情で由紀子を見ながら、垣内が冷たく言い切った。

「それでは〝スジ渕の娘〟の名が泣くぞ。恥ずかしくないのか。スジ屋を本気で目指すんだったら、これくらいの混乱を乗り切れないで、どうするつもりだ」

「垣内さんも、最初から、こんな条件で問題解決にあたったんですか?」

 不満を籠めて由紀子が訊ねると、子供扱いした表情で、垣内が笑みを浮かべた。

「問題も何も、伝説のスジ渕の訓練は、もっと厳しかったぞ。間違っても、口答えなんかできなかった。勤め人とはいえ、スジ屋は職人だからな。いつ、どんなときでも、一人で挑戦していかなくては、いつまでも一人前にならないぞ」

「分かりました。一人で頑張ってみます。でも、早く戻ってくださいね」

 決心したと見せかけて、すぐまた甘えた由紀子に、垣内が苦笑した。

「まずは、頑張ってくれ。由紀子の仕事次第で、東武線乗り入れ後の運行にも、影響が残るんだからな」

 背中を向けて片手を挙げ、急ぎ足で垣内が指令室を出て行った。


        2

「先程の狙撃によって、負傷者が出ました。重傷です。次の停車可能な駅で救護処置が必要です」

 御乗用列車、車掌からの入電を聞いた無線係が、大声で状況を説明した。

 指令室内は、再び騒然となった。狙撃された対象が皇族ではないか、との憶測が流れたが〝女王殿下ご無事〟の続報に、ひとまず安堵の声が流れた。

 由紀子だけは別だった。救護措置に掛かる時間如何では、運行再開後のスジも引き直しが必要になる。

〈どうして、このタイミングなのよ。垣内さんがいる間に、負傷者が判れば良かったのに……〉

 垣内の消えた椅子の隣で、由紀子は身体を丸めていた。小柄な由紀子は、いっそう小さくなった。影響が由紀子に及ばないことだけを祈っていた。

 運行指令担当の松浦が振り返り、強い口調で由紀子を問い詰めた。

「溝渕! 運転整理ダイヤ担当として、お前から、確認すべき情報はないのか?」

 無線担当も振り向いて、由紀子に意味ありげな笑み(エール)を送っている。

 誰もが研修の好機として状況を捉えていた。由紀子にも、先輩社員たちの厳しいなりの優しさは解っていた。

「私は……まだ」

「まだ、何だ。周りを見ろ。整理担当は、お前しかいないんだぞ。緊急事態だ。甘えなど通じないんだ。解っているな!」

 松浦の厳しい叱咤が浴びせ掛けられた。

 由紀子は眉間に痛みを感じた。周囲から見れば、かなり困惑した表情をしているはずだ。喉が渇き、身体に大きな震えを感じた。

 武者震いならいいが、怯えている状況には違いなかった。

 修正ダイヤを確認していた変更入力担当が、垣内の残したダイヤグラムを由紀子の前に突き出した。 

「ほら、スジを見直して。ダイヤグラムを確認しなければ、何も始まらないよ」

「確かに、そうですが……」

 震える指で、由紀子は机上にダイヤグラムの用紙を広げた。用紙の余白に、垣内の走り書きが残されていた。

〝ガンバレ、由紀子ゆっこ! お前なら、必ずできる〟

 顔を上げると、整理ダイヤ担当の全員が、優しい眼で由紀子を見守っていた。

 涙が滲みそうになった。由紀子は慌てて眼を瞑り、小さく頭を振った。

〈弱気になっている場合ではない〉

 事態は由紀子だけの問題ではなかった。会社の命運が懸かっていた。国家的な危機にも繋がりかねない一大事だった。

 死ぬ気で乗り越えなければいけない。ここで逃げていては、スジ屋としての由紀子の未来は完全に奪われる。

 乾ききった喉に、由紀子は唾を飲み込んだ。大きく息を吸い込むと、身体中を支配していた〝大きな震え〟は、ようやく治まった。


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