ラ・マンチャの軍隊(3)
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御乗用列車は、予定より一時間遅れでJR新宿駅の五番線ホームから出発した。
洋子は緊張した。花子女王が座席の上で飛び跳ねるように振り返って、嬉しそうに洋子に訊いた。
「いよいよ出発ですか。どれくらいで問題の荒川橋を通過するんですかね。水落さん、分かりますか?」
「通常ですと十五分程度で、赤羽駅まで到着いたします。しかし、首都圏で大幅なダイヤの乱れが発生している状況ですから、もう少し時間が掛かるかと思われます」
間違いなく、路線の状況は混乱し切っていた。
安全確保のために山手貨物線の軌道を走行する、と説明を受けた。しかし、具体的に線路上の、どの軌道を走るものか、洋子は解ってはいなかった。
「ねえ、すごいですよぉ、花子さま。山手線がいたる所に停まっていますわよぉ」
「ほんとですね。駅だけじゃなく、駅と駅の間にも電車が停まっていますわね」
千佳に話し掛けられて、花子女王が着座した。洋子は一安心した。横を向いて、千佳と同じ姿勢で、花子女王が窓の外を眺め始めた。
〈最悪の場合は、人間の盾にならなくては〉
洋子は心の中に言い聞かせた。
座席の上に身を乗り出されていては危険だ。
〝他の列車と並んで走らない〟不文律が実行されているから、現状は問題ない。だが、誤って並走状態に陥った場合、姿を確認されて照準を合わせられる可能性も想定できる。
池袋を過ぎ、列車は、しばらく山手線の軌道と並走した。対向する内回りの電車と何度か擦れ違った。風圧を上げて大きな音を立て、御乗用列車が揺れる。
駒込駅を通過して間もなく、軌道は山手貨物線を離脱した。山手線のガードを潜りながらトンネルに入った。
弧を描くトンネルを通過する際に、ウオンウオンと車輪が軋む音がした。
緊張する瞬間が立て続けに訪れた。洋子は、法面の上とトンネルの闇を凝視しながら不意の攻撃に備えた。
トンネルを抜けて上中里に出た。頭上を京浜東北線の線路が走っていた。だが、電車の姿はない。
〝立体交差の場所では、他の列車が上を走らない〟
お召列車の条件が守られていた。
橋脚の上も、トンネルの入口にも不審な人影はなかった。列車が闇に突っ込むと、洋子は耳を澄まし、視力以外、すべての感覚に神経を集中させた。
車輪がレールの継ぎ目を越える音が、定期的なリズムで聞こえる。異音や不審な振動は感じられなかった。
田端保線区に入る寸前で、御乗用列車はトンネルを抜けた。
眩しい光が、視界を白く飛ばした。広がる空が、深い青を輝かせていた。景色が競り上がるように現れてくる。
列車はすぐに京浜東北線のガードを潜った。
ここでも、頭上を走る電車は存在しなかった。橋脚の付近や、保線区の広い操車場に不審な動きは感じられない。
「きちんと、走行のルールは守られている様子だな」
車窓の外を警戒して眺める洋子に、客室車内に入り込んできた穂村が話し掛けた。
「そろそろ、荒川橋梁ですね。状況は、どのようになっていますかね?」
「どうもこうも、状況なんか変わっているはずがないだろう。解らないのか」
形式的に話し掛けた洋子に対して、馬鹿にした口調で穂村が答えた。
話し掛けなければよかったと、洋子は悔やんだ。
駄目押しをするように、穂村が付け加えた。
「どれほど時間が経っていると思う? ほとんど時間なんて経過していないぞ」
洋子は眉間に力が入った。
千佳が振り返って「怖っ!」と洋子をからかった。
花子女王が洋子の顔を見て「ほんと、ほんと」と面白がって笑った。
洋子の表情も気にせずに、穂村が冷たい口調で、短く命令した。
「立て篭もっている犯人の動向が心配だ。水落、貴様、窓を塞げ」
「了解。女王殿下が危険なきよう、全力で護ります」
口唇を曲げて、洋子は席を立った。
「ごめんね。少しだけ、席を換わってくれる?」
花子女王と同じ列の窓際の生徒に声を掛けて、通路を越えて洋子は席を入れ換わった。窓を塞ぐようにして、外向きに立つ。
通路には穂村が立っていた。
〈普通、反対だろう。どうして、私よりも柄の大きな穂村が犯人側の窓を塞がないのか〉
〝女〟を前面に出す気はなかったが、あからさまな嫌がらせに思えて腹が立った。
「そろそろ赤羽ですよね。水落さん、ちょっとだけ、外を覗かせてぇ」
「駄目です。狙撃されたら困ります」
要望を冷たく断ると、花子女王が悲しそうな表情を浮かべた。自由が利かない皇族の生活に同情もしたが、洋子だって、決してすべてに自由なわけではない。
「見たかったなあ。現在進行形の事件現場なんて、めったに遭遇できないのに」
「最初から個室で満足していただけたら良かったんです。防弾ガラスに取り換えた部屋が用意されておりましたのに」
花子女王が小さな口を尖らせて、
「だって、個室で、お友達と離れて修学旅行に参加しても詰まらないんですもの」と不満げに口にした。
「ねえ、思うでしょう」と花子女王が同意を求めると、並んで座る千佳が納得して「そうそう」と頷いた。




