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ラ・マンチャの軍隊(1)

        1

 動き出した東北本線の列車を見ながら、荒瀬は崩れた枕木の上を歩いた。

 閉鎖された軌道の上で擦れ違う列車は、経験がないほどの迫力を持って迫ってくる。

 耳が痛いほどの騒音と吹きつける風圧が、荒瀬の足元を、いっそう不安にさせた。

 運行の間隔が、異様なほど短かった。上下線が入り交じり、走行可能な残された軌道を交互に走行していた。

〈いったい、どんなふうに計画すれば、ここまで面倒な組み合わせが可能になるのか〉

 繰り広げられる職人芸を目の前にして、荒瀬は信じられない思いがした。

 荒川橋梁を占拠した列車に、動きは一切なかった。要求は何も出されていなかった。このままではいたずらに時間が過ぎていくだけだ。

 ふと、荒瀬は考えた。動き出した列車に、奥畑の目的があるのではないか、と。

『班長あてに、コロンビアでの奥畑に関する調査結果が届いていますが』

 イヤホン越しに、移動指揮本部に残った曳地からの連絡が入った。

「何か、めぼしい情報は入っていたか? 掻い摘んで読み上げてくれ」

『奥畑は、コロンビアに滞在した期間、現地の革命組織と頻繁に接触を繰り返しています。組織の名称は〝ラ・マンチャ・デレ・ヘルシト〟日本語に訳すと〝ラ・マンチャの軍隊〟です』

〝ラ・マンチャの軍隊〟と〝ドン・キホーテの会〟どちらも意味合いの通じる部分があった。おそらく、同一の思想で組織された集団に違いない。

「しかし、どうしてドン・キホーテなんだ?」

『革命家チェ・ゲバラが両親に宛てた最後の手紙の中で、自らをドン・キホーテになぞらえて表現しています。

 ドン・キホーテ、つまりチェ・ゲバラの思想の元に集まった軍隊を意味しているようです。〝見果てぬ夢を追い求める者〟そんな意味も含まれています』

 荒瀬は言い知れない苦い思いを感じた。

〈くそう、この歳になって、またゲバラか〉

 大学生のころ、愛した女子学生がチェ・ゲバラに傾倒していた。

 三十年以上も前の話だ。

 結局、荒瀬は、親密度を増すごとに限度を超えて押しつけられる左翼思想に馴染めなかった。無断で部屋に貼られたゲバラのポスターを、荒瀬は怒って破り捨てた。

 女子学生との破局の理由は、革命家の幻影に対する荒瀬の嫉妬だった。

 認めたくないが、荒瀬の左翼思想に対する反感は、こんな過去の(いさか)いに端を発していた。

〈女子供は、左翼思想のはかなさに憧れ、嘘っぱちの自由と平等にロマンスを感じるものだ〉

 奥畑の身元が明らかになったときに、荒瀬は強い反発を抱いた。同時に、なぜか真反対の共感シンパシーも覚えていた。

 不安定な心の揺らぎが、荒瀬は気になっていた。

〈立て篭もりに対するオペレーションが、過去の恋愛に左右されないように〉

 捜査の中立性をしっかりと意識していく必要があった。

〝われは知るテロリストのかなしき心を〟

 女子学生が好んで口ずさんでいた詩の一節が頭に浮かんだ。確か、石川啄木の詩だ。

 詩は〝はてしなき議論の後の冷めたるココアのひとさじを啜りて――〟と続く。

〈革命の思想は、冷めたココアのように、ほろ苦い誘いで若い心を捕えていく麻薬だ〉

 眉を顰め、荒瀬は余計な感情を振り払うように、マイクに向かって曳地に訊いた。

「一流商社の営業マンが、そんなに簡単に左翼思想に溺れるだろうか」

『付け加えると、学生時代にも奥畑は、南米大陸の一人旅を経験しています。学生当時の接触は未確認ですが、知人の証言では、帰国後に行動や態度が大きく変わったそうです』

 曳地が告げる情報を、荒瀬は過去の記憶に儗えていた。かつて愛した女子学生も、思想に耽溺たんできするに従って、行動や態度が大きく変わっていった。

「性格が変わったとは、どのような変化だ?」

『初めての南米旅行から帰ると、軽薄な性格だった奥畑に、ストイックな、どこか醒めきった一面が見られるようになったようです。〝肝が据わった〟と表現している友人もいました。〝生死の境でも彷徨さまよったのか〟と、からかわれたとの証言もあります』

 学生時代にテロ組織と接触し、商社マンとしてコロンビアに滞在する間に、テロ組織に加わった可能性は充分にあった。

 今回の列車占拠の手口にしても、素人の思い付きでは、すべてを周到に準備できるはずがない。

 立て篭もりに先立って、列車防護無線の誤発報が頻発した。範囲から見て組織的な行動でなければ説明がつかない。

たった一人で、できる仕事ではなかった。


        2

『関係が薄いかもしれませんが、帰国後の奥畑は、〝チェ・ゲバラの孫〟だと話す機会が多くなったようです』

「チェ・ゲバラの孫だと? 妄想癖でもあるのか、奥畑は」

 厄介な思いがした。妄想癖があるならば、交渉にも細心の注意を払う必要がある。

 走行する他の列車も巻き込んで、橋梁ごと爆破されては、目も当てられない。他にも、思いがけない行動に出る可能性が考えられた。

『念のため調べてみました。チェ・ゲバラは一度だけ日本を訪れています。来日の際、お忍びで広島を訪ねた記録が残っている。奥畑の出身地は広島です。祖母も、広島に住み続けています。チェ・ゲバラの夜伽をして、奥畑の母親が生まれた。眉唾ものの話ですが、吹聴しているのは奥畑ではなく、祖母らしいです』

 荒瀬はかつて破り捨てたチェ・ゲバラのポスターを思い浮かべた。情報として送られてきた奥畑の写真には、どことなくゲバラの面影が感じられた。

「ゲバラか……。最近は、あまり名前を聞かなくなったな」

〝われは知るテロリストのかなしき心を〟

 荒瀬は再び心の中で石川啄木の詩句を繰り返してみた。〝テロリスト〟の退廃的な言葉の響きに、夜に漂うココアのほろ苦い香りを感じた。

 荒瀬は崩れた枕木を踏み越えて、停まっている列車に近付いた。二度目の接触だった。

「第一の要求は聞き入れた。代替として、こちらからは人質の解放を要求したい」

 壊れた車輛に向かって、荒瀬は大声で話した。またも列車の奥から磯崎が姿を見せた。

「近寄らないでくれ。次の要求は、また順を追って話す」

 緊張した表情で話す磯崎を避けるように、荒瀬は身体を傾けた。車輛の奥に向かって、荒瀬は大声で話し掛けた。

「奥畑! 顔を見せてくれ。直接、向き合って話をしよう」

 磯崎は困った顔を見せた。刺激しては拙い相手なのかと、荒瀬は緊張した。

「だから、言っているでしょう。要求は、また改めて話すって」

「奥畑を説得してくれ。交渉は直接したいんだ」

 項垂うなだれて首を横に振った磯崎の後ろから、80番のトレーナーを着た奥畑が姿を現した。

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