ロンドン橋が落ちた。(4)
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〝他の列車と並んで走らない。他の列車に追い抜かれない。立体交差の場所では、他の列車が上を走らない〟
お召し列車は走行に当たって、以上の決まりごとが守られる。
父親も現役のスジ屋時代は、お召し列車の調整を先頭に立って行ってきた。お召し列車に初めて関わったとき、父親も、こんな緊張感を味わったのだろうか。
由紀子は、父親の時より能力が劣っていなければいいなと思う。せめて、同じレベルのスジ屋にはなりたい。
「荒川橋梁を渡るには、JR貨物との調整が必要ですよね。連絡を取りましょうか」
「その通りだな。上り線だけの相互運転では、時間が多く取られ過ぎる。東北貨物線の軌道を利用して、まずは快速列車を優先で通過させよう。悪いな由紀子。交渉を代行してくれないか?」
垣内に依頼されて由紀子は、こっそり笑みを浮かべた。一人前の扱いだった。混乱しきった状況に風穴を開けるためにも頑張らなければ。
由紀子は緊張しながら指令席に近寄り、直通回線のボタンを捜した。
「わかりました。それでは十三時まで、東北貨物線の軌道を優先的に使用させて頂きます。ダイヤの変更は逐次、連絡いたしますので、よろしくお願いします」
荒川橋梁の事件による遅延回避としか説明は入れなかった。秘密保持は実行されているが、社内の無駄な混乱は回避する必要があった。
電話を切ると、すでに垣内が、出力されたダイヤ図に主要な列車のスジを書き込んでいた。垣内が鉛筆を持った手を突き出して、由紀子に指示をした。
「振替輸送に準備されたバスの状況を調べてくれ。まずは可能な限り、折り返し運転で荒川橋梁前後の閉塞をなくしていくからな」
「了解しました。荒川越えの振替バスの状況を調べます」
由紀子は再び受話器を取り、今度は赤羽駅と川口駅の振替状況を確認した。バスを利用した振替輸送は順調に、滞留した通勤客を減らし始めていた。
「ならば、橋梁上の迂回路線は、まずは下り方面の列車を優先的に展開する。列車が滞留したままでは、後続列車が到着できない。御乗用列車の運行のために、普通列車を通常運転に近付けて、均等な形のスジを引いておかなくてはな」
独り言のように呟きながら、垣内が色鉛筆で太いスジをダイヤ図に引いていく。
大枠のスジが決まると、今度は鉛筆で主要な便の間を縫って、普通列車のスジを書き足して行った。
御乗用列車の運行予定に関しては、まだ検討の中に入っていなかった。
安全確保のために、お召し列車と同様の条件を確保する。まずは、各閉塞区間が順調に、進行に転じられる必要があった。
「番線変更を行うぞ。交差支障が起きないように、由紀子も確認してくれ」
東北本線下りの軌道は、荒川橋梁で遮断され、通行ができなくなる。東北貨物線と上り線の軌道を臨時に使用する必要があった。
ダイヤ回復をスムーズに行うためには、順調な走行を確保しながら、番線変更を行わなければならない。
交差支障が起きないように気を付けて、引くスジを検討した。
番線変更の際は、平行に走る二本以上の軌道を斜めに横切る必要がある。番線変更の間に他の車輛が軌道の間に進入したら、衝突事故に繋がる。
交差支障は列車の全長、停車駅のホーム長も関係する。各車輛と駅の状況を熟知していなければ、スジを引くのは困難だ。
上下線交互に軌道を利用し、都心部に留まる列車を、できる限り速やかに、影響のない場所に移動させなければならない。
「次の便は十五両編成ですから、気を付けてください。走行時間に無理が発生しませんか。発車をあと十秒は遅らせる必要があるかも」
由紀子は、遠慮せずに意見を告げた。
「本来ならばな。しかし、ここは運転士を信じよう。おそらく、この間隔なら無駄な停車はせずに走行できるはずだ」
垣内が頭ごなしの否定を避けている様子が感じられた。
無駄な議論を繰り返している余裕はなかった。何があっても、完璧なダイヤ図を作り上げる必要があった。
由紀子はスジを差す指が、緊張で震えていると感じていた。




