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そして修学旅行が始まる。(3)

        5

 苦しそうな声を上げ、柳谷が眼を覚ました。

 深く安堵の息を吐いて、柳谷が伏せていた眼を上げた。韮山の存在に気付いた柳谷が、ふっと皮肉な笑みを浮かべた。

 よほど沈痛な夢だったらしい。

〈テロリストとして護送されている現実よりも酷い状況が、柳谷の中にはあるのか?〉

 韮山は柳谷の懊悩は当然だと思った。革命の大義を掲げて柳谷が繰り返した非情な殺戮は、当然の報いとして死ぬまで苦悶を続けるべきだ。

このまま、のうのうとして何事もなく投獄されるだけでは、不運と扱われ、無念のままで死んでいった被害者たちが浮かばれない。

 韮山は、自分が訓練を受けたSPであってよかったと痛感した。同様に拳銃を所持し、柳谷を追う立場ならば、対峙した状況では、憤怒に負けて射殺もしかねない。

 狂気に導くほどの不遜な雰囲気を柳谷は持っていた。

 何を思ったか、柳谷が北叟笑んだ。手錠に繋がれた手首を見つめ、顔を上げると、柳谷が口を開いた。

「刑事さん、あんた、狂おしいほど激しく、一人の女を愛した経験があるか?」

 韮山の眼をじっと見つめ、柳谷が訊いた。韮山は、柳谷を無視した。

〝愛〟とは、柳谷の口から出るにしては不似合いな言葉だった。

 テロリストが狂おしいほどの愛を語る。過去の伝説的なテロリストには、多くに情熱的な女性関係の逸話が残されている。

 だが、どれも、儚く消え入る者に向けたセンチメンタリズムに過ぎない。柳谷が信じる愛情など、生命の危険に晒され、極限状態に追い込まれた男女が描く幻想にすぎない。

〈狂おしいほど愛する女がいるなら、愛する女を命懸けで護ればいい。殺戮を続ける柳谷が語る愛情は、自己防衛のために作り上げた虚構の盾だ〉

 韮山が無言でいると、柳谷が嘲り笑って言葉を続けた。

「俺には、愛した女がいた。身分的に格差がある女だった。最初は社会的な差別に対する反抗だった。いかにしてブルジョアジーに浸りきった、搾取する者たちを、同じ底辺の境遇に陥れられるか。始まりの思想は、崇高だった。俺には、純愛よりも遥かに純粋な感情による行為だった」

 柳谷の隣に座った大木が、口を曲げて鼻で笑った。

「馬鹿馬鹿しい。お前ら革命家の偏向した考え方など、我々には気持ちが悪いだけだ」

「解らない者に理解してもらおうとは思わない。さっさと居眠りにでも就けばいい。だが、韮山さん、あんたなら、判ってくれるよな。俺たちの純粋な感情の本質が、さ。あんたは俺と同じ匂いがする。俺の立場になれば、間違いなく同じ道を歩んだはずだ」

 言っている意味が、韮山には解らなかった。

「くだらない。戯言を口にするのは勝手だが、こちらを引き合いに出さないでくれ」

 韮山は吐き捨てるように柳谷に告げて、窓の外を見た。

〈いつになったら出発するんだ。赤羽で列車ジャックらしいが、解決の見通しはないのか〉

 苛立ちのために、韮山は舌打ちをした。韮山の様子に気付いて柳谷が顔を突き出した。

「焦る必要はないさ、時間は、たっぷりあるんだ。しばらく俺の話に付き合えよ」

「話したければ、話せばいい」

 黙らせる理由はなかった。身を入れて聴かないようにすれば良いだけだ。韮山は鼻で笑って、柳谷をやり過ごした。

 苦笑いを浮かべたままで、柳谷が厭味ったらしい口調で話を続けた。

「気位の高い女だったよ。いつも俺を馬鹿にして見下していた」

 柳谷の話など聴かないふうに片眉を上げて、痩せ形の浅場が窓の外に視線を移す。

 堅物の大木は、強く眉を顰めたままだった。

 韮山は呟く程度に言葉を返した。

「狂おしいほど愛したんじゃなかったのか? 馬鹿にされていたんじゃ、話が違うな」

「馬鹿だな。女は、そこがいいんだ。男は見下され、奴隷のように卑屈になっていく。まるで犬畜生かゴミみたいに蔑むと、ある一線から、軽蔑が同情に変わる。立場が逆転するんだ。一瞬が狙い目だ。女の高いプライドをズタズタにする。地に落としてやるんだ。ところで、究極の愛情表現が何だか、刑事さん、分かるか?」

 かなり偏向した考え方だった。テロリストの訓練の結果で生まれた性格ではなさそうだ。生まれつき、あるいは生い立ちの中で、歪んだ環境に影響されて形成されたものだ。

 反吐が出そうなほどの嫌悪感を覚えながら、何とか堪えて、韮山は柳谷に答えた。

「どうして、偏った考え方をするんだ? 人と人との関係は、そんな悲惨なものばかりではないぞ」

「質問の答になっていないよ、刑事さん。答えたくないなら、俺が代弁してやろうか。究極の愛情表現はな、殺すことさ。殺し方が無残であればあるほど、心の中に深い傷が付く。醜くて痛みの激しい傷だ。傷が癒えていく段階で、傷の深さだけセンチメンタルな感情が残されるんだ」

 柳谷の眼差しが、次第に熱を帯びたように赤く上気していった。明らかに性的な興奮をしていた。

 心が重くなるほどの嫌悪感が、韮山を押し潰そうになる。


        6

「もう止めろ。不愉快だ」

 大木が苛立ちながら、感情のままに怒鳴った。柳谷は大木を無視して、韮山の眼を覗き込みながら話を続けた。

「女はな、俺を売った。国から追放されたんだ。国家の立場にいた女だったからな。嬉しかったよ。愛情の絶頂で、俺を不幸に突き落としてくれたんだ。俺は、いずれ俺の愛情で答えてやろうと思ったよ」

「それで、女を殺したのか?」

 韮山は柳谷の話に引き込まれていると判っていた。引き摺りこまれないようにと考えながらも、耳を塞ぎきれないでいた。

 柳谷が嬉しそうに頷いて話を続けた。

「逃亡した先で、チャンスが訪れた。テロのために空港を襲撃したときに、女がいた。いや、嘘だな。本当は襲撃の開幕時間を、空港に女が現れる時間に設定した。至上の愛に導かれる聖戦ジハードだ。俺は興奮したよ。人生で最大のオーガズムだった」

「止めろ! 止めろと言っているのが分からないのか」

 大木が柳谷に向き合って怒鳴った。今にも掴み掛かりそうだった。

 悪意に満ちた笑みを浮かべて、柳谷が韮山に話し掛けた。

「俺は女に向かって爆弾を投げつけた。俺を売った女の愛情に答える、最高の愛情表現だった。白い閃光の中、女の身体がバラバラに千切れて、消えていった。狂おしいほど哀しかった。同時に俺は、女に対する至上の愛を成就させた」

「黙れ、それ以上しつこく話すと殺すぞ」

 大木が柳谷の襟首を掴んで絞め上げた。

 浅場が、慌てて大木を止めた。

 息が詰まり、鬱血した顔の柳谷が、韮山だけを見詰めて苦しそうに話した。

「刑事さん、あんたなら俺を殺してもいいよ。愛情の形としてな」

 気を失いそうになりながら、柳谷が笑った。

「止めろ、大木。柳谷は嵌めようとしているんだ。分からないのか」

 韮山は、大木の手を柳谷の襟首から離させた。油汗を掻いていた。韮山こそ柳谷の偏向した理論に嵌められそうになっていた。

 柳谷に気付かれないように、韮山は激しくなった呼吸を落ち着かせていた。


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