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そして修学旅行が始まる(1)

         1

 学習院女子中等科の修学旅行が間もなく始まろうとしていた。

 JR新宿駅五番線ホームに停車した御乗用列車は、中学三年生の生徒と引率の教師を乗せ終えて、出発の合図を待つばかりになっていた。

 東武鉄道乗り入れの東武100系電車スペーシアが御乗用列車に割り当てられていた。

 列車に乗り込む直前に、皇宮警察本部の側衛官、水落洋子は車輛デッキに置いた小さな人形を見つけた。

「ドン・キホーテかしら?」

 キー・ホルダーの一部分らしかった。おそらく外国旅行で買った土産だ。素朴な木彫りで、日本では使わない極彩色で塗り分けられていた。

「生徒が落としたんだろう。踏まないように、端に退けてやれ」

 先輩側衛官の穂村皇宮警部補が、列車の周囲に監視の視線を配しながら、洋子に指示をした。

『花子女王が先に着座された。水落、決して遅れを取らないように』

 イヤホンから、岩脇皇宮警部から叱責の言葉が届いた。洋子は悔しくて眉を顰めた。

 乗車が遅れた理由は、穂村に指示されて、出発時刻の遅れを確認していたためだ。

 皇族の身辺警護は、皇宮警察に所属する男性側衛官二名と女性側衛官一名の三人体制でチームが組まれる。この春から、洋子は東護聖院宮家の花子女王の警護に加わった。

「花子さまは活発であられるから、充分に注意するようにな」

「わかってます。去年の文化祭で単独行動をされた件は、耳にタコができるくらい聞かされてますから」

 厭味ったらしく繰り返した穂村の苦言に、洋子は皮肉で答えた。

 文化祭での騒動は、前任者と穂村のミスだった。ほんの五分程度の失踪劇だったが、宮家の女王を護衛できなかった事実は責任重大だった。

「ずいぶん偉そうな発言だけれど、次は水落が失職しないように気を付けるんだぞ」

「大丈夫。任せて下さい」

 目立ちたがりの性格のせいで、でかい口を叩いたが、自信はなかった。

 花子女王は明るい性格で活動的だ。例えるべきではないが、言ってみれば、一般人の元気な女子中学生と、何ら変わりはない。

 常に監視されて、鯱張しゃちほこばるだけの日常には不満があって当然だった。

 あの手、この手で、護衛から逃れようとするが、女王なりに遣り取りを楽しまれているんだと、洋子は考えていた。

「それにしても、出発時刻が、ずいぶんと押していますね。何があったか、判りましたか?」

「朝から、電車の警報が誤動作を繰り返しているみたいだな。まだ公表されていないが、もっと大きな事件も起きているらしい」

 顔を寄せて、穂村が小声で答えた。

 大きな事件と聞いて、洋子は心が騒いだ。学生の時は皇族を守る価値ある仕事として、皇宮警察本部を選んだが、一番なりたい職業は刑事だった。

 身長180センチ、骨太の体形は、まさに側衛官に相応しかったが、映画のハリー・キャラハンにも憧れていた。

 朝食のホットドッグを食べながら、マグナム銃で凶悪犯をクールに追い詰めていく。

 一匹狼の刑事になりたいとも思っていた。

 ショート・ヘアでも映える整った顔立ちには、自分でも少し自信があった。

 同期の男子からは〝でか女〟とからかわれたが、バレンタインには女子から贈られたチョコレートで下駄箱が一杯になった。

「さあ、急げよ。花子さまに、また逃走されるぞ」

 穂村に煽られて、洋子は御乗用列車のデッキに足を掛けた。


        2

 後方の車輛に乗り込もうとする列の中に、洋子は見覚えのある顔を見つけた。

「韮山さん、だわよね?」

 洋子は思わず独り言を呟いた。韮山巳継、警視庁警備部警護課のSPだった。韮山とは、海外要人を招いた晩餐会で協力を依頼した記憶があった。

「どうして? 特別列車には、花子女王以外に警護対象者はいないはずだけど」

 疑問に思ったが、割り当てられた警護が優先だ。洋子は、足を速めて持ち場に急いだ。

 女性皇族の場合、女性側衛官が同室して警護を行う。東武100系電車には、最後尾の車輛に個室が配置されていた。

 もともとは、警護の観点から個室の利用が提案されていた。ところが、御学友と同じ車輛でとの花子女王の強い御希望によって、普通車輛に乗車されると決定されていた。

 花子女王の後ろの席が洋子に用意されていた。友達と親しげに話す花子女王を邪魔しないように気を付けて、洋子は何事もないように無言で会釈をし、席に座った。

「ねえ、ねえ。水落さん、電車が大変な事件になっているみたいですわね」

 携帯電話を片手に、花子女王が背凭れの上に姿を現した。

 小柄な花子女王は、元気な子供のようで可愛らしかった。

 中学三年生にしては、いささか子供っぽいが、護られて育ってきた歴史が判るほど、純粋で構えのない性格をしていた。

「さあ、何も聴いてはおりませんが」

「何を、緊張していらっしゃるの。いつもの水落さんらしくないわ。薄々おかしいと感じていらっしゃるわよね。修学旅行の特別列車が遅れるなんて、前代未聞ですもの」

 洋子は、あくまでも白を切った。公の場所では、表立っての会話は許されていない。

 誰もいないところで、花子女王とはこっそりとガールズ・トークを交わした経験があった。でも、ほんの少しだった。

 花子女王が洋子を気に入って、ことあるたびに話し掛けて来るのだが。

「何も聞いていないですね。自分は、花子さまをお護りするのが仕事ですから」

「防護無線の故障で、中央総武線と東北本線が取り返しがつかないほど大幅な遅れになっているみたいですわよ。ねえ、見て、見て」

 花子王女が手にした携帯電話を捲って洋子の前に差し出した。ツイート情報を確認しながら、嬉しそうに説明した。

「それよりも、正式な情報じゃないんですけどぉ、荒川で列車が爆発して脱線しているって、掲示板に流れていますよ。本当ですかぁ」

 花子女王の隣に座った友達の千佳が、女王の真似をして背凭れの上から顔を出した。同じように小柄で子供っぽい表情をしていた。

 中学生くらいの子供は、いつも楽しそうで羨ましい。しかし、今は列車情報が問題だ。

 列車の爆発、脱線の情報は聞かされていなかった。

 穂村だ。穂村が岩脇からの連絡事項を故意に伝えなかった可能性がある。

「少し待って下さい」

 洋子は無線機に繋いだイヤホン・マイクに向かって、問い合わせをした。すぐにイヤホンから返事する岩脇の声が聞こえた。

『現時点で公式に発表していないが、荒川橋梁で、宇都宮線車輛が不審者によって占拠されている。列車は先頭車輛の連結部分が爆破され、単独で橋梁の中央部まで進んで脱線、走行不能となっている。すでに連絡したはずだぞ。穂村から伝えられていないのか?』

 洋子は返答の言葉を濁した。不満を告げれば、花子女王に気付かれる。対象者に不安を与えるわけにはいかなかった。

〈それにしても、列車ジャックが起こっているなら、修学旅行の中止は、なぜ検討されないのか? 日光を含む東北への旅程だから、荒川橋梁が塞がれたならば、列車の進行自体が無理なはずだけど〉

 御乗用列車が、危険の予想される路線の走行を断念されない。理由が解らなかった。

 座席の上でピョンピョン撥ねながら、花子女王が洋子に訊いた。

「ねえ、水落さん。荒川の鉄橋なら、わたくしたちも近くを通りますわよね。見られますかね、事件の現場を」

「ワクワクしますよねぇ。こんな経験、二度とないわよぉ、ねえ、花子さん」

 花子女王が千佳と一種に面白がっていた。

 冗談ではなかった。

〈何を考えているんだ、上層部は。警察庁にだって、報告は入っているはずなのに〉

 このまま修学旅行が実施されれば、前代未聞の愚行となるはずだ。苛立つままに列車の外を覗いた洋子は、ホームに不審な一群を見つけた。


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