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残された少女(3)

        5

 80番が磯崎に銃口を向け替えた。線路に置かれていたバッグの持ち手を摘んで、磯崎に指示をした。

「さあ、運転席を出ようか。荒川の上だから、気持ちのいい風が吹いているよ。一仕事してもらうからね。バッグを持っていてきて」

 指示に従うより他に選択肢はなかった。嫌がる女子高生を小声で宥めた。緊張しながら磯崎は客車に続く扉を開けた。

 吹き抜ける風の音が聞こえた。

 爆発と無謀な走行によって、車輛の後部は損傷が激しかった。ぽっかりと扉があった場所が空いていた。

 川沿いに立ち並ぶ倉庫群と、緩やかに流れる荒川が見えた。

 破損した軌道が、波打ちながら後方にと続いていた。

 復旧には、かなりの日数が掛かりそうだった。動けなくなった車輛の撤去にも時間が必要だ。

「すごい。パトカーが、あんなに集まってる……」

 前後の川岸を交互に見ながら、80番に腕を掴まれた女子高生が呟いた。

 80番を振り返って、磯崎は説得を試みた。

「逃げられないんだから、早いうちに諦めたほうがいい。今のうちなら最悪のケースにはならないぞ」

「最悪のケースって、何かな。僕らは常に最悪のケースに生きている。権力者は弱者から遠慮なく搾取して、媚び諂わない相手を容赦なく切り捨てる。こんな世の中だよ。何もせずに従っていく生き方が、最悪のケースだよね。違うかな?」

 真顔で話した後で、80番が悪戯っぽく笑う。偏向した考え方だが、妙に説得させる力を持っていた。

 自分の言葉に酔うタイプだと、磯崎は思った。

 言葉に詰まった磯崎に替って、女子高生が80番の言葉を非難した。

「呆れるわ。自己陶酔に嵌っているだけで、現実が見えていないわ。私にとっての最悪のケースは、今、ここにいる現実よ。世界を変えようなんて思っている頭のおかしい革命家の戯言に、どうして命まで危うくされなくてはいけないの?」

「君にも、すぐに解るよ。冷静に現実が見られるようになればね」

 片眉を上げて、80番が苦笑した。感情的に流されないタイプらしい。

〈一番扱い難い相手だな〉磯崎は思う。

 今回の行動が、行き当たりばったりで始めた短絡的なものではないと、磯崎は明確に感じていた。

 用意周到に仕組まれた計画が必ずあるはずだ。安易に、自分の判断で行動してはいけない気がした。

「バカみたい。話にならないわ」

 女子高生が呆れ果てた顔をした。

 80番が磯崎に向き直り、当然の口調で話し出す。

「それじゃ、やるべき作業を始めようか。ねえ、運転士さん、バッグを、ここに置いて」

 80番に言われるままに、磯崎はバッグのファスナーを開けた。

 ダイナマイトを取り出した時には気付かなかった。バッグが上げ底だった気がするが、取り出したダイナマイトばかりが心配で、それ以上は確認できなかった。

 磯崎は、恐る恐るバッグの底に付いた、もう一つのファスナーに指を懸けた。

「止めたほうがいいわ。この人、異常だから、信じられないかも」

 怯えた表情で女子高生が少しずつ距離を開けて行く。

「信用ないな。僕は、悲しいよ。でも、急いでくれないと困るんだよね。僕が死んだら、世界を変える人がいなくなる。特殊急襲部隊(SAT)に襲撃されて、射殺されるわけにはいかないんだ」

 磯崎を押し退け、ファスナーを開けた。

 

        6

 80番が左手で中から監視カメラを取り出した。

「なによ、それ。意外に臆病なのね。見かけ倒しで」

「敵わないなあ、君には。要するに僕は、嫌われているんだな」

 80番が女子高生を軽く躱して、磯崎に指示をした。

「粘着テープが付いているからさ、カメラを前後左右の屋根に、それぞれセットしてくれるかい」

 指示されるままに磯崎は窓を開け、監視カメラをセットした。全方位型のカメラだった。

 身体を外に乗り出すと、雲のない青空が見えた。柔らかな日差しが見回せる景色全体を包み込んでいた。川面が光を反射して輝いた。

 川の上を吹き渡る風は少し強いが、穏やかな日常に変わりはなかった。

〈どうして自分だけが……〉

 川岸に集まる警察車両のサイレンが遠くから聞こえていた。このまま荒川に飛び込んで逃げ出せば、と考えた。だが、人質の女子高生がいる。

 磯崎だけ逃げるわけにはいかなかった。

 乗客を、予定した時刻までに、安全に目的地まで運ぶ。鉄道マンの意地を懸けても、職務を全うする必要があった。

 カメラのセットを終えると、磯崎は80番の元に戻った。床に何台ものパソコンを置いて、80番が監視カメラのモニターを見ながら、調整を続けていた。

「御苦労さま。それじゃ、座ってくれるかな。大変だけど、今日一日、僕に付き合ってもらうからね」

 不貞腐れて女子高生が横を向いた。

 80番に指示されるままに、磯崎は三人でパソコンを取り囲むようにして床に座った。

「いまさらだけど。止めてくれないか、こんなこと」

 磯崎は80番を刺激しないように気をつけながら、話し掛けた。

「ごめんね、始まったステージは、途中で投げ出せないんだ。ショー・マスト・ゴー・オンだ。悪いけど、巻き込まれたのが不運だと思って、付き合って」

 80番が、まるでゲームでも楽しむかのように、笑って磯崎に告げた。


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