残された少女(1)
1
磯崎は客席側のドアを開けた。先頭車両を見回した。一見して誰もいない。80番に銃を突きつけられながら、客席を一つ一つ確認した。
「おや、大変だ。逃げ遅れたお客さんがいるよ」
80番が剽軽な声を挙げた。
制服姿の女子高生が残されていた。窓際のクロスシートに凭れかかっていた。呼吸が荒い。苦しそうにしていた。
顔を附せていた。長い髪が顔に懸かっている。肌が白く、育ちのよい顔立ちをしていた。左目の下にある泣き黒子が、印象的だ。
磯崎は女子高生の肩を揺すり、声を懸けた。
「お客様、歩けますか? ここは危険です。緊急退避をお願いします」
磯崎の言葉は伝わった。呼吸の合間に、女子高生が苦しそうに頷く。
「後部車輛に運びます。少し待って下さい」
頼み込んだ磯崎の言葉を、80番が、あっさりと否定した。
「だめだよ。運転士さんに逃げられたら、人質がいなくなるもの」
「しかし、移動が困難な状態ですよ」
80番が笑って一蹴した。
「大丈夫さ。パニック障害による過呼吸だもの」
何事でもないように言い切って、80番がポケットを手で探った。
捜し物は見つからなかった。今度は、顔を動かして棚の上と座席を探し始めた。
「何か、必要ですか? 私も捜しましょうか」
「紙袋はないかな、ビニールのレジ袋でもいいんだけど」
どちらも見当たらなかった。運転席にも置いた記憶はない。
「まあ、いいか。聞こえるかい? これから口を塞ぐ。構わないから、ゆっくりと息を吸ってくれよ」
女子高生に告げると、80番が悪戯っぽく笑った。
80番が女子高生の下顎に指を掛けた。唇を開かせた。いきなり顔を寄せて、80番が自分の唇で女子高生の唇を塞いだ。
驚いた女子高生が大きく眼を見開いた。唇を少しずらし80番は女子高生に告げた。
「気にしなくていい。君は今、酸素を取り混み過ぎの状態だ。冷静になって、ゆっくりと呼吸してご覧。息苦しさは解消されるはずだ」
女子高生は口を塞がれたままで何度も頷いた。制服の胸がゆっくりと上下した。
次第に女子高生の緊張が解れていく。
過呼吸の状態は脱した。パニック状態から解放された女子高生は、安心して80番の腕に抱かれて眼を閉じた。
2
「嫌ぁー!」
女子高生が置かれた状況に気付いた。両手で80番を突き放した。
「おやおや、ずいぶんな仕打ちだな。でも、元気になってよかった。どうだい、少しは落ち着いたかな」
揶揄って笑いながら、80番が女子高生の顎に再び手を当てた。
女子高生が嫌がって首を背けた。
それでも、しつこく唇を合わせようとする。
80番の横面を、女子高生が思い切り平手で叩いた。
「止めて。近付かないで、気持ち悪い」
顔を背けて、女子高生があからさまに嫌な顔をした。
悪戯っぽく、80番が首を傾げた。顔を近付けて、女子高生に話した。
「逃がしてやろうと考えたけど、考え直したよ。僕の頬を平手打ちした罰だ。君には別の役回りをしてもらうからね」
拳銃を女子高生に向け直した。
「立ち上がってくれるかな」と、80番が語気を強めた。
80番が磯崎に向かって声を懸ける。
「さあ、一緒に運転席に戻ろう。のんびりしている暇はないよ。もうすぐ開幕のベルが鳴るからさ」
再び80番が磯崎に拳銃を突きつけた。
指示された通りに女子高生に手を貸して、磯崎は運転席に移動した。
片手でポケットを探っている80番に向かって、磯崎は問い詰めた。
「本当に大丈夫なのか? お客様に、危険はないんだろうな」
「バッグの危険物が無事ならね。連結器だけが壊れるように火薬を配分したつもりだよ」
ポケットから、80番が無線装置を取り出した。ダイナマイトの起爆装置に違いなかった。
「待ってくれ。どうしても爆破しなければならないのか?」
80番が笑う。
「当然だよ。僕は爆破するために、ここに来たんだ。実行しなければ、舞台は始まらないんだからね」
80番が無線のボタンを押した。連結器に取り付けたダイナマイトが爆発した。
噴煙が激しい勢いで運転席の隔壁にぶつかった。バラバラになった連結器周りの部品が、窓に当たって激しい夕立のような音を立てた。




