荒川橋梁で路線ジャックが発生した。(3)
5
ガクガクと手足が震えた。後退りしながら、磯崎は相手の姿を確認した。
若い男性だった。南米風の模様が付いた毛糸の帽子を被っていた。
巻き毛のような癖毛が帽子の下から覗いていた。チェック柄のシャツに、数字が大きくプリントされた灰色のトレーナーを着こんでいた。
80番、磯崎はトレーナーにプリントされた番号が強く印象に残った。
どこかニヤけた顔だが、かなりの美男子だ。
黒いデイ・パックを背負っていた。
「そんなに驚いて見ないでよ。運転士さんには、やってもらいたいことがあるんだ」
悪戯小僧のように笑いながら、80番が顔を近付けた。
銃口が、さらに磯崎の顔に近付いた。
磯崎は両手を小さく挙げた。
「解った。解ったから、危険な真似はしないでくれ」
「安心して。僕は、運転士さんが逆らわない限り、強硬手段には出ないから」
ヘラヘラとニヤけながらも80番は眼がマジだった。
「列車の中に戻ってもらおう。線路内は危険だ」
「中に戻る前に、まずは列車の下にあるバッグの中身を、確かめてもらおうかな」
80番の指示に従って、磯崎は床下から引き出したバッグのチャックを開けた。
「爆弾、なのか?」
磯崎は冷や汗を掻いた。剥き出しのダイナマイトを実際に見たのは初めてだった。
「それをね、一両目と二両目の連結器の上に取り付けてくれる?」
「駄目だ。危険なことはやめなさい。君だって、どんな結果になるか判らないわけじゃないだろう」
必死になって阻止しようとする磯崎をからかうように、80番が声を出して笑う。
「大丈夫だよ。乗客の人たちは全員、後ろの車輛に移ってもらうからさ。どうせ、この時間の下り列車だもの、ほとんど乗客だって、いないよね」
「ダメだ。鉄道事業に従事している者として、列車を壊す作業にだけは手を貸すわけにはいかない」
きっぱりと言い切った。磯崎が滑稽だと、80番が面白がった。
「いいよ。じゃあ、残念だけど、今すぐ起爆装置を作動して、運転士さん、あなたが持っているダイナマイトを爆破しましょうか。ついでだけど、バッグの下には、もっと大量の危険物が入っているんだ。誘爆を起こせば、乗客を巻き込んで、たくさんの死傷者が出るけど、それでもいいの?」
「馬鹿を言うな。一人でも死傷者が出て良いはずはない」
磯崎は渋々80番の指示に従った。指定された連結器にダイナマイトを取り付けた。
6
車輛の下から抜け出した磯崎に、80番が今度は、残されたバッグを持って運転席に戻るように指示をした。
背中に突き付けられた拳銃に怯えながら、磯崎は鍵を開けて運転席に戻った。
『運転席、運転席。状況を知らせて下さい。そちらに問題はありますか? 連絡、願います』
異常に気付いた車掌が、通信を続けていた。磯崎が顔色を伺うと、80番が笑顔で〝どうぞ〟と片手を差し出した。
磯崎は頷いてマイクに向かった。
「こちら、運転士。当列車は、ハイジャックされました。犯人は先頭から二両の乗客全員が、13号車より後車に移動するよう要求しています。緊急連絡願います。乗客は全員13号車より後車に移動されたし」
磯崎の要請に答えて、車掌が乗客に冷静な避難を呼び掛けた。
乗客は信じられない表情で辺りを見回した。俄かには移動する気配が見られなかった。乗客の一人が〝冗談だろう〟と独りごちながら運転席を覗き込んだ。
「本当だよ、おじさん。ずいぶん疑り深いね」
磯崎に銃口を向けたままで、80番がおどけた顔を乗客に向けた。
「嘘じゃない、本当だ。みんな逃げろ、殺されるぞ」
バタバタと転がりそうな勢いで、運転席を覗いた乗客が逃げ出した。乗客はパニックになった。




