荒川橋梁で路線ジャックが発生した。(2)
3
身体中に掛かる重力に抗いながら、磯崎は必死で前方を凝視した。見える限りでは、車輛の存在は確認できなかった。
〈赤羽駅の信号機は、間違いなく青だった。確認したから、発進したはずだ〉
信号機が赤の場合、進行方向手前の信号機は、自動的に黄色に変わる。
線路レールに流れる電流が列車の車軸を通して短絡する状況を感知して、信号機は赤信号に変わる。
同時に赤信号の一つ手前の信号は黄色に変わって、徐行の指示を出す。
一つの閉塞に一車輛以上の列車が同時進行はできない仕組みになっている。故障で無表示になる場合以外に、誤表示は考え難い。
〈見逃したのか? 馬鹿な。そんなミスは、していないはずだ〉
荒川鉄橋に向けて軌道は上り勾配になる。上り切った信号機の手前は、しばし平坦になるが、勾配の下からでは、線路全体の状況が確認不可能だった。
〈もしも傾斜の向こうに車輛が停止していたら、お終いだ。今のスピードでは、次の閉塞信号の手前では、停車できない可能性がある〉
列車は停まり切れずに勾配を上り切った。
荒川に架かる橋梁の手前に、黒いバッグのような不審物があった。
〈人影か? まさか、線路に入った自殺者ではないだろうな〉
足元に吸い込まれるように、黒いバッグが消えていった。何かがバッグの上に置かれていた。
磯崎は咄嗟に身構えた。床下から不審な音が聞こえないか、耳を澄ませた。
ブレーキ音が酷過ぎて、何も聞こえない。何事も大きな異常は感じられなかった。
4
ようやく列車が停止した。金属の衝突し合う音が聞こえ、ぶつかり合っていた連結器が適正な位置に戻った。
「こちら運転士です。信号が変わったために緊急停止しました。線路上に不審物が置かれたためと思われます。降車して不審物の確認を始めます」
車掌に連絡して、磯崎は運転席のドアを開けた。
ドアに施錠して線路上に飛び降りた。
後部車輛に走った。腰を屈めて磯崎は車輛の下を確認していく。
二両目の床下に、捜していた不審物を発見した。磯崎は膝を突いた。不審物に手を伸ばした。
黒い布のバッグだった。小さな人形がバッグの上に置かれていた。
取り上げた磯崎は、思わず苦笑した。
長い槍を抱えた、ドン・キホーテとサンチョ・パンサの人形だった。
バッグを床下から取り出そうとして、車輪の隙間に肩を入れた。手を動かして、磯崎はバッグの持ち手を探った。
無防備になった背中に、誰かが手を触れた。
「ひゃあ」
磯崎は驚いて声を上げた。線路内には誰もいないはずだった。
「ごめんね、運転士さん。悪いけど、この電車を占拠させてもらうよ」
額に向けられた銃口が、大きく視界に飛び込んできた。
恐怖に激しく震え、磯崎は身体が動かせなくなった。




