その13 スポーツ医学
「なっ! アルトが幽霊騎士を連れて来たのです!」
部室棟のいつもの部屋に入ると、俺の姿を見つけたクラリッサが叫んだ。
クラリッサの言葉に怯える会長達。
というか幽霊騎士って何だよ。
「私は幽霊じゃないぞ」
「幽霊が喋ったのです!」
俺の背後に立つ甲冑少女の言葉に驚いて再び叫ぶクラリッサ。
そしてやはり怯える会長達。
俺はクラリッサの頭にチョップを落とした。
「いちいち反応するな。話が先に進まんじゃないか」
「痛いのですよ!」
涙目で文句を言うクラリッサ。
いやいや、そんなに強く叩いてないだろう。
「驚かせて悪かった。私はバルバラ・ルーデン。見ての通り貴族学科の一年生だ」
「どこが見ての通りなのか分からないのですよ」
バルバラの言葉につっこむクラリッサ。
まあ、ここはさすがにクラリッサの言う通りだ。これが見ての通りなら、貴族学科の一年生はみんな鎧を着ているのかよ、って話になるだろう。
ちなみに後日知った事だが、さっきクラリッサが言っていた幽霊騎士というのは、この学園に伝わる怪談話の登場人物なんだそうだ。
異世界の学校にも、いわゆる学校の七不思議的な話があるんだな。
「それでルーデン様はどうしてここに?」
「アルトに案内されて来たんだ。」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
困った顔で俺の方を振り返るローゼマリー会長。
確かに、今の説明で分かる方がどうかしてるよな。
「ええとですね。ルーデン様とはすぐそこで会ったんですが・・・」
◇◇◇◇◇◇◇◇
俺はそのまま甲冑少女の横を通り過ぎようとしたが、俺の腕は彼女に掴まれてしまった。
「あの、まだ何か」
「ああ。済まんが何か食べ物を分けて欲しい」
彼女は朝からずっとここに立っていたので、昼食を食べ損ねてしまったんだそうだ。
「一日中ここに立っていたんですか?!」
「ああ。私が離れた隙に無頼漢が現れないとも限らないからな」
胸を張って言い切る少女だったが、こんな不気味な甲冑人間がいたら仮に無頼漢が来たって近寄らないと思うぞ。少なくとも俺だったらイヤだ。
「食べ物と言われても、俺も教室からまっすぐ来ているから・・・」
「ではどこか食事が出来る所を知らないか? 学生食堂はもう閉まっている時間なのだ」
貴族学科には学生食堂なんてものがあるのか。平民学科は寮までいちいち食べに戻っているけどな。
まあ、平民学科は猫の額ほどの敷地しかないが、貴族学科は建物だけでもいくつもあるほどの広大な敷地だ。
その距離を、いちいち寮まで食べに戻っていたら不便で仕方が無いんだろう。
「そう言われても俺は平民学科の学生なんで」
「じゃあ平民学科でもいい」
いや、いいわけないだろ。アンタどんだけ腹が空いているんだよ。
貴族学科の女子生徒を、俺達平民学科の寮食堂に案内出来るわけないだろう。
「素振りをして喉の渇きや空腹を誤魔化すのももう限界なんだ」
「何やってんのアンタ?!」
俺もサッカー部に入っていたから根性論自体を否定する気はないが、体を鍛えるなら、最低でも危険な鍛え方をするべきではないとは思っている。
アスリートが空腹で運動する事で低血糖状態になる事をハンガーノックという。
ハンガーノックで血糖値が急激に低下すると、体の調子がおかしくなり、最悪、死ぬことすらあるという。
ましてや、こんな全身鎧を着て水分補給もせずに体を動かし続けていたら、脱水症になりかねない。
こちらも放っておくと熱中症となり、大変に危険だ。
誰しも夏場になれば、高齢者の熱中症事故が問題になるのをニュース等で聞いたことがあるだろう。
「なんと! そんな話は初耳だぞ?!」
どうやらこの世界ではスポーツ医学はまだまだ未発達らしい。
まあ日本も昭和の頃とかはそんな感じだったらしいからな。
今じゃ考えられない話だが、炎天下の中、水も飲まずに一日中部活をやっていたんだそうだ。
そうやって考えてみると、最近になるまで人間は自分達の体の事も良く分かっていなかったんだな。
それはさておき、この辺りで俺が知っている場所といえばあそこしかない。
まあ、ローゼマリー会長の執事のゼルマ辺りが上手くやるだろう。
「分かりました。俺が案内するんで付いて来て下さい」
こうして俺は甲冑少女を従えていつもの部室に向かう事になったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「砂糖か何か甘いモノはありませんか?」
「・・・砂糖を知っているのですね、輸入物の高級品なのですが。ゴホン。いえ、砂糖はありません。ですが、甘いモノなら蜂蜜で良ければあります」
俺はローゼマリー会長の執事、ゼルマから、蜂蜜の入った壺を受け取ると適当な量をポットの中の水に溶かした。
「それは塩ですよ?」
「ああ、これでいいんですよ」
俺は蜂蜜水にほんのひとつまみだけ塩を入れた。
汗で体内に不足した電解質を補充するためだ。
「はい、これを飲んで下さい」
「うむ。助かる」
甲冑少女バルバラは俺からポットを受け取ると直接ポットに口を付けて飲み始めた。
「そんな水じゃなくてお茶を淹れてあげれば良いのです」
「紅茶はどうだったか覚えてないが、確かお茶に含まれるカフェインには利尿作用があったはずだ。脱水症状の人には飲ませない方が良いんじゃないかな?」
カフェインは余分な水分を出すだけなのであまり気にする必要はない、とも聞いたことがあるので、クラリッサの言うようにお茶でも良いのかもしれないが、ここは大事を取ることにしよう。
クラリッサが俺に非難がましい目を向けて来たが、俺も考えなしにこんな事をしているわけじゃない。
蜂蜜水を作ったのだって、脱水症状の時には水を飲んでも体には吸収されずに排出される、と聞いた事があるからだ。
詳しい話は覚えていないが、汗をかいて体からナトリウムが失われた状態で水を飲んでも、体はこれ以上血中のナトリウム濃度を下げないために、せっかく飲んだ水を余分な水分として排泄するんじゃなかったかな。
だから適度に糖分や塩分が含まれている方が体に素早く吸収されるという話だ。
確か糖分は水の吸収を促進するんだったか。
スポーツドリンクや、脱水症状の時に飲む経口補水液も同じ理屈だったはずだ。
「ずいぶん詳しいのですね。庶民の知恵というものでしょうか?」
ローゼマリー会長が感心した様子で俺の方を見た。
興奮して白い頬が桜色に染まっている。
いや、俺のうろ覚えの知識にそんなに感心されると、スゲー恥ずかしいんだけど。
「ぷはーっ。いや、ありがとう。あ、もう一杯もらえるかな?」
ゴクゴクと喉を鳴らしてポットの蜂蜜水をラッパ飲みしたバルバラだったが、まだまだ飲み足りないようでお替りを要求して来た。
丁度良いタイミングだ。
俺は気恥ずかしを誤魔化すために、彼女のリクエストに応えてもう一度蜂蜜水を作ってやる事にした。
「しかし、君達はここで何をしているんだ? それに平民学科の男子生徒まで一緒なんて一体どういう集まりなんだ?」
おっと、ここでそれを聞くのか。
バルバラの最もな疑問に思わず顔を見合わせる会長達。
やがてローゼマリー会長は意を決した表情でバルバラの方へと向き直った。
「興味があるならお話致しますわ。私達は”悪役令嬢対策倶楽部”です」
バルバラはゼルマが用意したサンドイッチを食べながらローゼマリー会長の話を聞いている。
さっきは俺の作った蜂蜜水をラッパ飲みしたので、サンドイッチも手掴みでガッツリいくのかと思っていたら、意外な事にナイフとフォークで上品に口に運んでいる。
サラリとこういうテーブルマナーが出る所を見せられると、コイツらは本当に貴族の令嬢なんだな、と思わされてしまうな。
ラッパ飲みの件は、まあ、あの時はよほど喉が渇いていたんだろうと思うよ。
そんなふうにぼんやりと会長達の方を見ていた俺の服を、ディアナがツンツンと引っ張った。
「何で部室に来なかったの?」
「え? 来なかったって、いつ?」
「そう! そうなのですよ! 来られないなら来られないと連絡を入れるのですよ!」
会長の話も流石にこの短期間に三度目だと飽きが来ているのか、クラリッサも俺とディアナの会話に食い付いて来た。
「ちょっと待ってくれ、今日だって来てるじゃないか。それに、毎日放課後には来ているだろう?」
「昨日は来なかったのです!」
? 昨日って・・・
「休日じゃないか!」
「倶楽部は休日じゃない」
「平民アルト以外はみんな来ていたのですよ?」
マジでか?! ていうか休日の活動って何時から何時まで?
「当然、朝から夕方までなのです」
ウチのサッカー部ばりだったよ! 何それ、お前ら冬の国立でも目指しているの?!
「ローゼマリーが、平民アルトが来るまで倶楽部活動は始められないと言ったから、ずっとお茶をしたり、カードゲームをしていたのです」
「よもや丸一日来ないとは」
いつもの眠そうな目で恨めしそうに俺を見るディアナ。
いやいや、俺がいなくても勝手に倶楽部活動をやっててくれて良かったんだけど?
麻雀じゃないんだから、四人いないと面子が足りないってわけじゃないよね。
ちなみにウチの高校のサッカー部では、一時期部室でカード麻雀が流行った事がある。
練習そっちのけで熱中するヤツが出始めたので、監督によって禁止されてしまったのだが・・・
その時俺達は普通に三人でも遊んでいた。
その場合は萬子の2~8の札を抜いて遊び、「チー」が禁止になる。
四人の時より一人分手番が回ってくるのも早いし、手役が出来やすいので、俺はこっちの方が好きだったな。
「こうして私は溺れ死んでしまったのですわ」
おっと、ローゼマリー会長の話が終わったようだ。
俺達は一先ず話を切り上げて会長達の様子を伺うのだった。




