その10 白馬の王子様作戦
リンゴーン リンゴーン
校内に授業終了の鐘が鳴り響く。
あ~、放課後が来てしまったかあ。
俺は読んでいた本から顔を上げた。
ここはメッテルニヒ魔法学園の図書館棟。授業の早く終わった俺は、貴族学科の授業終了まで時間を潰すためにここで自習をしていたのだ。
(あ~、行きたくねー)
俺は耐え切れない思いに衝動的にバリバリと頭を掻いた。
しかし、残念ながら行かないという選択肢は俺には無いのだ。
俺は一つため息をついて不満を飲み込むと、机に積み上げた本を本棚に戻すべく席を立った。
「あ。・・・っつ」
そこで俺は会いたくないヤツに出会ってしまった。
小柄な眼鏡の少女が本棚で本を探している。
相手もこちらに気が付いたようだ。
櫛の入っていないボサボサ頭がこっちを向いた。
先日の実力テストで学年主席だった俺――アルト・ワルドマンに一歩及ばず、学年次席になってしまった少女エバ・ヤンセンだ。
友人のマリオが言うには、ヤンセン商会という有名な商会の娘なんだそうだ。
こうなってしまっては仕方が無い。今更無視すれば、余計に相手の機嫌を損ねてしまうだけだろう。
俺は仕方なく彼女の方に近付いて行った。
「あー、本を探しているのか?」
少女――エバは俺の手元の本をジッと見ている。
「その本、返す所?」
「ん? ああ、そうだけど」
「じゃあ私が借りていいわよね」
俺が本の束を差し出すと、エバは全部受け取った。そしてその重さに尻もちをついた。
・・・・・・。
何事もなかったかのように無言で立ち上がるエバ。
彼女はジッと俺の目を見つめた。
何だ? まだ何かあるのか?
「次の試験では絶対に貴方から主席の座を奪い取ってみせる」
そう宣言すると、エバは本を抱えたまま俺の前から去って行ったのだった。
「よう、アルト。遅かったな」
「ダミアンが張り切っちゃってさ」
「てか、お前ら誰だよ」
貴族学科の敷地の入り口に立つ派手な恰好をした二人組の男子。
・・・いやまあ、ダミアンとマリオなのは分かっているが、それにしたって何なんだコイツらの恰好は。
ギラギラしたド派手なシャツに尖った靴。顔には吊り上がったサングラス。
どこからどう見ても立派な町のチンピラだ。
ダミアンに至ってはどうやって仕込んだのか両頬に大きな傷の跡まで付いている。
「似合ってるだろ?」
「似合い過ぎだ。大体そんな服どこから持って来たんだ?」
「いやいや、アルトが普段着な方がおかしいんじゃない? 顔を覚えられたらヤバいでしょ?」
マリオに言われてハッとする俺。確かにそうだ。
「マズイな。どうしよう」
「僕のマスクを貸してあげるよ。後、髪形も変えた方がいいね」
「俺みたいにツンツンにおっ立てちまえよ、ベイベー」
ノリノリだなダミアンは。
イヤイヤやって来た俺とはえらい違いだ。
昨日の悪役令嬢対策倶楽部の会合で決定した”白馬の王子様作戦”。その内容はこうだ。
先ず、ローゼマリー会長達が事前に目を付けた貴族学科の女子に、放課後に話があるという手紙を渡す。
待ち合わせ場所にのこのこやってきた女子生徒を、偶然を装って通りかかった俺とダミアンとマリオが扮する不良が難癖をつけて脅す。
適当なタイミングで会長達三人が登場してその現場を目撃する。
彼女達は俺達不良を追い払って女子を助ける。
助けられた女子は会長達に感謝する。
そこで会長は「実はあなたとお友達になりたくてお呼びしたの」と打ち明ける。
感激した女子生徒は「是非お願いします」と受け入れ、三人と友達になるのだった。
これが”白馬の王子様作戦”の全貌である。
・・・馬鹿らしいって? 俺もそう思うよ。
でも、なぜかこのアイデアが会長達の間で大盛り上がりだったんだよ。
彼女達が言うには”この展開にときめかない貴族の子女はいない”んだそうだ。
実は貴族学科では毎年この手のやらせで誕生しているカップルがいるらしい。
どうやら、イベントというかある種のお約束となっているみたいなのだ。
何というか、俺達で言うところの「修学旅行カップル」みたいな、ちょっとした憧れなのかもしれない。
「まあ貴族学科の男子がやるならともかく、芝居とはいえ平民の俺達が貴族の女子生徒を脅した事がバレたらヤバいからな」
「服なんかは有り合わせだけど、小物は今日のために買ったんだからね。約束のバイト代ちゃんと払ってよ?」
「分かっているって。この間の貴族の執事覚えているだろ? アイツが払う事になっているから心配するな」
俺は服をだらしなく着崩すと、髪を後ろに流してマリオから渡された色粉で髪の毛を染めた。
これでマスクを付ければパッと見で俺だとバレる事はないだろう。
「これでいいだろう。急ごう。そろそろターゲットが目的地に到着しているはずだ」
俺達は会長達と打ち合わせておいた場所に三人で向かう。
さあ、一芝居うちますかね。
その女子生徒は部室棟に近い貴族学科の校舎裏に一人で佇んでいた。
幸い周りには誰もいない。その少女一人きりだ。
事前にディアナから「上級生は人によっては実戦レベルの魔法が使えるから、上級生の姿が見えたら絶対に近付かない事」と念を押されていた。
ていうか、おっかないなメッテルニヒ魔法学園。
下級生の主なカリキュラムは一般教育で、魔法も座学だけで実際に魔法が使える者はいないらしい。
簡単に魔法を使いこなすディアナが例外なだけなのだ。
「へえ、中々可愛い子じゃん」
「やめてよダミアン。僕ら平民が貴族にちょっかいなんて出したら、本当にただじゃ済まないんだからね」
ターゲットの女子生徒の可愛さにテンションの上がるダミアン。
そうか。確かに可愛い子だな。コイツに言われて初めて気が付いたわ。
ここの所放課後はとびきりの美少女ばかり見ていたんで、俺の感覚もマヒしているみたいだな。
「よっしゃ、張り切って行くか」
「ホント、やり過ぎないでよ」
「なんつーか、お前ら無駄に頼もしいな」
俺なんていっぱいいっぱいだよ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
その少女はクラスでも比較的地味で大人しい少女だった。
ローゼマリーの執事ゼルマが、今回の作戦のターゲットを選ぶようにと主に言われて選んだのが彼女であった。
実家も土地を持たない小さな男爵家で、その点もゼルマのお眼鏡にかなった。
彼女相手なら妙な派閥争いに巻き込まれる心配は無いだろう、と判断したのである。
ゼルマはコッソリ彼女の机に事前に用意していた手紙を入れた。
ローゼマリーからの伝言で、放課後に部室棟に近い貴族学科の校舎裏に一人で来て欲しい、という内容である。
少女は手紙の不自然な内容をやや訝しんだものの、伯爵家令嬢のローゼマリーの呼び出しを断る理由も無いため、指示通りの場所に放課後一人で訪れたのだった。
校舎裏は人気のない寂れた場所であった。
彼女は手紙を手に一人でポツンと佇むことしばし。
しかし、彼女の前に現れたのはローゼマリーでは無かった。
「ああん。こんな人気のない場所に女が一人でいやがるぜぇ」
「おいおい、危ねえんじゃねえの? 何なら俺らが付き添ってやろうか?」
それは見るからにガラの悪い三人の男達であった。
少女は突然わが身を襲った不幸に真っ青になってガタガタと震える事しか出来なかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「オラ聞こえてねーのかよ! 何とか言えやコラァ!」
「ひいいいっ!」
マリオが手にしたデッキブラシで校舎の壁を叩いた。
ガツンと大きな音がして、うずくまる女子生徒。
恐怖に顔色は真っ青になっている。
ちなみにデッキブラシはさっきそこで拾ったものだ。おおかた貴族校舎の用務員辺りが忘れていったものだろう。
マリオはデッキブラシの柄で校舎の壁をカンカンと叩く。
うずくまった女子生徒の顔をダミアンがヤンキー座りで覗き込んだ。
「おーっ、おめー結構可愛いツラしてんじゃん。なあ俺達と遊ばねぇ? 今ヒマしてんのよ俺達」
「え・・・あ・・・あの・・・」
「あのじゃわかんねーってんだろうがボケがぁ!」
ガツン!
「きゃああっ!」
再びマリオが上げた音に怯える女子生徒。
てか、マリオお前そんなキャラだっけ? 額には青筋まで浮かんでいるし、演技とはいえちょっと完成度高すぎなんじゃね?
こっそり気持ちがハイになるお薬とかキメてたりしないよな?
「おめーはさっきからうるっっせえんだよ! 俺がこの女と話てんだろーが! 見りゃわかんだろぉが、アアン!」
「知るか! クソが! イラつくんだよテメエは! 殺すぞコラァ!」
ダミアンは女子生徒の前から立ち上がるとマリオに対してメンチを切った。
そのダミアンに対して一歩も引かないマリオ。
今しも目の前でケンカが始まりそうな気配に、怯えた目で必死で逃げ場を探す女子生徒。
ちなみにこの一連の流れは、事前の打ち合わせ通りのお芝居である。
いくらやらせとはいえ、実際に俺達が貴族の女子生徒に手を出すわけにはいかない。
かと言ってローゼマリー達が来るまで延々と女子生徒に絡み続けるだけでは流石に間が持たない。
そこで俺達だけで勝手にケンカを始める事にしたのだ。
おっと、いかん。俺も見てないで加わらなきゃな。
「何だテメエ、女の前だからってカッコ付けてんじゃねえぞコラァ!」
「アア? 誰がカッコ付けだコラァ。ふざけたこと言ってるとテメエから殺すぞ」
「うるっせえんだよ。テメエにゃ関係ねーだろうが。横から入ってんじゃねえぞ俺らナメてんのか、あーん?」
俺に振り返ると同時にメンチを切る二人。
あ、今カチンと来たわ。
俺はカッと頭に血が上るのを感じた。
ナメてんじゃねえぞこの野郎。
「何だテメエら、俺とやるってのか?」
「テメエこそビビってんじゃねえか? いい気になってデカい口叩いてんじゃねえぞ、アアッ」
「やってやんよ、ああ、やってやんよ」
俺は怒りに駆られて衝動的にマリオの胸倉を掴む。マリオも俺の胸倉を掴み返す。
俺達は互いの胸倉をギリギリと絞り合う。
正に一触即発。いつ誰の手が出てもおかしくないこの状況に、ふと俺の視界の片隅に校舎の陰にひと塊になった少女達の姿が映った。
「ど・・・どうしましょう。酷い事になる前に早くアルト達を止めないと・・・」
「む、無理です、怖いのです。ディ、ディアナが魔法で何とかするのですよ」
「ダメダメ絶対に無理。僕には出来ないから、押さないでクラリッサ、本当にダメだから」
「わ、私を押さないで! 止めてディアナ! ちょ・・・私じゃ無理ですから!」
ガクガクと震えながらおしくらまんじゅうのように互いを押し合う三人。
ていうかディアナの長セリフなんていつ以来だ? どんだけ焦っているんだよ。
どうやら俺達の熱演に、本来止めに入る予定だった会長達までがビビってしまったらしい。
えっ?・・・じゃあどうすんのコレ?
その事実に気付いた時、俺は頭に上った血がすうっと下がったのを感じた。
冷静さを取り戻した俺の背中にイヤな汗が伝った。
俺達はローゼマリー会長達から梯子を外され、着地点を見失ったままチンピラの芝居を続けるしかなかった。
だ・・・誰か助けてくれ。