後編
これにて、エイプリルとジェームズの話は完結します。
ジェームズは、暗い場所で目を覚ました。
昨日負った傷から流れていた血は、いつのまにか止まっていたが、それでも撃ち抜かれた肩には激痛が走る。
体は椅子に座らされ、鉄の鎖で厳重にも何重に縛られていたが、ジェームズは逃げ出す気力もなかった。
顔を上げ、辺りを見回すと、どこかの地下室であるとわかった。
窓はなく、灯りもない。
しかし、夜目が効くジェームズは、天井に一匹のコウモリがぶら下がっているのに気がついた。
「ヴィシーか」
昨日、体を引きちぎったが、やはりそれだけでは死なないようだ。
ニヤニヤとこちらを見つめている。
「相変わらず不気味な奴だ。俺が吸血鬼だと、初めから疑っていたんだろ。なぜ、お嬢ちゃんに言わなかった」
コウモリは更に可笑しそうに体全体を揺らして笑う。
「エイプリルはオレに質問しなかった。オレは今は使い魔だから、聞かれた事以上の事は、言わない」
(こいつも、一筋縄ではないようだな。)
この世のものではないそのコウモリを見て思う。
「お前、昔は悪魔だったんだろ。今は使い魔なんて、ケチな事してるが。そんな小さな体に押し込められて、エクソシストのガキの使いっ走りか」
ジェームズは皮肉のつもりで言ったのだが、それはヴィシーのツボに入ったのか、ケラケラと笑いだした。
「オレは退屈しのぎさ。お前と同じだ」
本当に不気味な奴だ。
こいつと分かり合う日は永遠に来ないだろう。
しかし、さっきこいつは、聞かれなかったから答えなかったと言った。
なら、命令されていない事も、やらないのではないか。
ジェームズはヴィシーを見る。
そして、部屋を見渡す。
エイプリルは、ここにはいないようだ。
ならば、チャンスは今しかない。
エイプリルは、ロンドン市内の古い教会に入った。
ここは英国国教会系であるが、バチカン市国の協力者でもある。
祭壇の裏の部屋に入り、そこにある地下へと続く階段を降りる。
ジェームズは目覚めただろうか。
問い詰めてやりたいが、本部へ送り届けることが先決だ。
扉を開け、部屋の灯りをつけると、エイプリルは驚愕した。
そこには、イスと壊れた鎖があるだけだった。
エイプリルは、急いで外に飛び出す。
いつのまにか空が晴れたのか、心細いほど細い月が浮かんでいる。
「ヴィシー!」と呼ぶと、さっとコウモリが姿を現わす。
「なんで見てなかったのよ!」
エイプリルが怒鳴りつけるが、ヴィシーが平然と答える。
「お前は見てろと言っただろ、オレは、あいつを見てたぜ。あいつが力を振り絞って鎖を壊し、外へ出て行くのをな」
(くそっ! そう言えばこいつ、こういう奴だった!!)
昨日、ヴィシーを傷つけられて怒りが湧いたことを激しく後悔しながら、エイプリルは命令する。
「あいつがどこへ行ったのか探して教えて!! もちろん、あいつって、ジェームズ・アーカーの事よ!!」
ヴィシーは面白そうにクククと笑うと、街中を検索し始めたのだった。
ポール警部は、仕事を終えた帰り途中に予期せぬ人物に出会った。
テムズ川にかかる細い橋の上で、道を塞ぐように立っていたのは、ここにいるはずのない人物、昨日まで部下だった男、ジェームズ・アーカーであった。
しかし、その風貌は一日見かけないだけで随分変わっていた。
顔はやつれ、クマは酷く、しかし目はギラギラと光っている。
怪我をしているのか、肩を抑えていた。
「銀の弾丸で貫かれた場所は、吸血鬼にとって治りが遅いんだそうだ」
ジェームズはポツリと言った。
「アーカー君。なぜ、ここにいるんだ!」
「あんたを探してた。家にいないんで、職場かと思い、帰り道で待っていた」
そういう事を聞いてるんじゃない。
理由を聞いているんだ。
ポール警部はそう思うが、言葉にできない。
(まさか、彼は……)
「あんた、ワザと俺をエクソシストに付けたのか? 俺を吸血鬼だとあの子に思わせようとして」
ジェームズは一歩、ポール警部に近づいた。
(彼は、気づいたのか……?!)
ポール警部は動く事ができない。
「俺は、気づいているんだぜ……」
足を引きずりながら、ジェームズはポール警部に近づいて行った。
エイプリルがその橋に到着した時、月明かりに照らされ、二人の人物がくっついて立っているのが見えた。
目を凝らすと、一人がもう一人の首筋に噛み付いているようである。
吸血鬼が食事をしているのだ。
「ジェームズ・アーカー!!」
エイプリルがそう叫んだと同時に、一人がどさりと崩れ落ちた。
もう一人は、エイプリルを見据える。
「え……!?」
驚いて、エイプリルの動きが止まる。
口を真っ赤にして、エイプリルを見ていたのは、
クリス・ポール警部その人だったのだ。
「やあ、エクソシストのお嬢さん」
ポール警部が夜の挨拶のように、軽い調子で笑う。
見えた歯はジェームズの血で赤く染まっている。
「残念だったね。彼は正義を愛する善良な刑事、そして人間だったんだ。犯人じゃなかったんだよ。犯人は私だからね」
にこやかに、ポール警部が言う。
ジェームズは、倒れたまま、ピクリとも動かない。
死んだのか。
「……あなたが、本物だったわけ」
エイプリルは手をぐっと握る。
額には汗がにじむ。
(私が、間違えたの……?)
そうだ、ヘンリーが目撃者だと知っていたのは、ジェームズの他に、彼の報告を受けた、この人がいた。
(私は、目先のことに囚われて、ジェームズ・アーカーを……)
ポール警部は、ジェームズの体を踏みつけながらエイプリルに近づく。
エイプリルはとっさに銃を取り出し、素早く撃つ。
しかし、
(弾切れ……!)
昨日、弾を補充していない。
全て解決したと思っていたのだ。
「私は本当に幸運だ!!」
ポール警部が叫ぶ。
その時、エイプリルの耳に、微かな声が聞こえた。
「逃……げろ……、エイ……プリル……」
倒れたジェームズが起き上がろうとしていた。
エイプリルは、驚いてジェームズを見る。
いつも、馬鹿にしたように「お嬢ちゃん」と呼んでいたくせに、こんな時に名前を呼ぶなんて。
エイプリルが肩を撃ったから、碌に動けないくせに。
一人で吸血鬼に対峙して、やられているくせに。
ポール警部はそんなジェームズを振り返り、ふっと笑うと彼の服を掴み、恐ろしい怪力でエイプリルの後ろにぶん投げた。
ジェームズはガンと欄干に頭をぶつけ、またしても動かなくなってしまう。
頭からは血がどくどくと流れ始めた。
エイプリルは歯をくいしばる。
「あなた! 許さない!!」
「許さなくって、どうするかい? ジェームズ・アーカーが死ぬのは私のせいではない。彼を追い詰めた君のせいだ」
エイプリルの目から涙が零れおちる。
クックックとポール警部は笑う。笑いが止まらないのか、やがて大声で笑い始めた。
「たまらんっ! たまらんよっ! 弱いものを踏みにじる事の快感はっ! 私に力を与えてくれたあの方に、感謝してもしきれないっ!」
ポール警部はエイプリルに向き直る。
「さて、エクソシストのお嬢さん。今日のデザートは君にしよう。昨日君に撃たれた足が少しだけ痛むんだ。君を食べれば治るやもしれん」
ポール警部が一歩ずつ近づいてくる。
エイプリルは、動けない。
(くそっ! ジェームズ・アーカーが死んだのは、私のせい……。弾もない。ここで死ぬのか、こんな変態に殺されるんだわ……)
脳裏に、両親の姿が浮かぶ。
また会えると思うと、少しだけ恐怖は和らいだ。エイプリルは、諦め、目を閉じた。
そっと両肩を掴まれる。
ガブリと首筋に歯を立てられる感触がある。
プツリとエイプリルの中に牙が侵入する。
そして、エイプリルの体を流れる血が、後ろから噛み付く吸血鬼に吸われていく。
……後ろから……?
エイプリルは違和感を覚え、目を開ける。
目の前には、目を見開いて自分の後ろを見つめるポール警部、そして後ろには……
すっと立ち上がったのは、ジェームズ・アーカーだった。
「クソガキなんて、俺の趣味じゃねぇが。背に腹は変えられねえ」
ポキポキと手を鳴らす彼は、先程までぐったりとしていたとは思えないほど力がみなぎっている。
「な、なんで……」
エイプリルが彼に掴みかかろうとするが、くらっとし、足から地面に崩れる。
「貧血だ、無理するな」
ジェームズはエイプリルにそう声をかける。
エイプリルは、その優しげな表情に、不覚にもどきりとしてしまう。
ジェームズは彼女とポール警部の間に割って入ると言った。
「ポール警部。ああ、俺はあんたを信頼していたさ。残念だ」
「君も……吸血鬼だったのか……!?」
ポール警部は、信じられないような表情でジェームズを見ている。
「新米のあんたとは年季が違うぜ。あんたはまるで飢えた犬のようだが、俺はもうちょい美学がある」
昨日エイプリルが言ったフレーズが気に入ったのか、ジェームズは得意げに使った。
「……は、はは、はははは! 君も、私と一緒なら、一緒に人間を襲おうじゃないか! そうだ! 好都合だ!! 君と二人なら、何でもできる!!」
ポール警部は良いことを思い付いたかのように興奮してそう言うが、ジェームズは、ピクリとも表情を動かさない。
「あんたの様な下品な奴を見ると虫酸が走るんだよ」
それを聞いた瞬間に、ポール警部は牙をむき出しにしてジェームズに襲いかかる。
その素早い動きにエイプリルはビクッとする。
「危ない!! ジェームズ!」
しかし、ジェームズはポール警部にカウンターパンチを食らわすと、すぐさま胸ぐらを掴み、持ち上げ、橋の外側にひょいと出す。
「や、止めてくれ!! 警察の仲間じゃないか!!」
出鼻をくじかれたポール警部は喚く。
ジェームズが次に何をするかわからないが、きっと自分に良くないことが起きるに違いない。
ジェームズは、怯えるポール警部の顔をじっくりと見ながら言った。
「俺が刑事になったのは、長い人生の暇つぶしの一つだ。仲間なんていねえよ」
そして、左手でポール警部の胸ぐらを持ち、ポケットから取り出した銀色のナイフを右手で握る。
(純銀製だわ……)
エイプリルはそれを見てすぐにわかった。
純銀は吸血鬼が苦手とするもので、触るだけで激痛だと言うが、ジェームズはしっかりとそのナイフを握りしめ、言った。
「何も、弾丸だけじゃないんだぜ。吸血鬼の弱点は純銀だ。これを食らえば、あんたも終わりだな」
ポール警部は目を見開く。
「や、止めろ……! そ、そんなものを食らったら、ただの人間だって死んでしまうだろ!!」
その言葉に、ジェームズは思わず笑ってしまう。
「こんな時に、常識的なことを言ってんじゃねえ!」
そして、ナイフをポール警部の頭蓋めがけて突き立てると、パッと手を離す。
ポール警部の体からは力が抜け、ポチャリと川に落ち、流れて行った。
「あんなナイフ、よく持っていたわね」
エイプリルはフラフラと立ち上がり、ジェームズに近づく。
「昔、貰ったんだ。100年くらい前だったかな」
ジェームズは右手をふーふーと冷ましながら言った。
その手は火傷後の様に水ぶくれができている。
「あなた、吸血鬼なの? ジェームズ・アーカーなの?」
訝しみながら尋ねるエイプリルに、ジェームズは笑った。
「まさしく、俺は吸血鬼で、ジェームズ・アーカーでもある。架空の戸籍を売ってる奴がいるんだぜ」
そして頭をぽりぽりとかくと言った。
「俺くらい長く生きてると、生活にハリが欲しくなるのさ。刑事は刺激的で天職だと思ったが、犯人の上に死んだ事にされちまったしな」
「足の怪我は?」
「言ったろ、ぼーっと歩いてたら、犬に噛まれたんだ」
彼はズボンをめくると、くっきりと動物の歯型がついている足を見せた。
「あのジュースは? 人間の血でしょ?」
「協力者がいるんだよ、可能な範囲で、提供してもらってる」
熟成させると上手いんだ。とジェームズが言う。
「マントは? 帽子は? 仮面は? あなたの部屋にあったわ」
「知らないが、ポールが俺の部屋に置いたんじゃないのか?」
「ポールが言ってたあの方って、なんなの?」
「さあな、俺も知らない。ただ、吸血鬼にも色々な考えを持ってる奴がいるんだ。仲間を増やして、人間を襲ったりする奴とかな」
「あなたは、人間を襲ったりしないの?」
エイプリルが聞くと、この質問にはジェームズも少し考えた。
300年くらい前は、そんな事をしていた様な気がする。しかし、それをエクソシストに馬鹿正直に答える義務はない。
それに、今は本当に襲っていないのだ。
「今はほら、生物なんとか性って時代だろ?」
「生物多様性?」
「そう! 生物多様性だからな。俺たちも人間の多様性を守っているんだ」
わかる様なわからない様な事を言うジェームズだったが、エイプリルは一応は納得した様だった。
しかし、
「ヴィシー! 縛り上げて!!」
「なっ……!?」
ヴィシーはたちまち体を紐状に伸ばし、ジェームズを縛り上げる。
「何するんだ!」
引き千切っても良いが、またエイプリルの逆鱗に触れると厄介だ。
ひとまずジェームズはおとなしく縛られておく。
「あなたは一応、善良な吸血鬼かもしれないわ。でも、ずっとそうだと言えるのかしら?」
エイプリルはジェームズの目を見つめている。
その頬は、なぜか少し赤い。
「それに、刺激が欲しいんでしょう? それに、私があなたを見張る事で、あなたが善良だと証明できるわ」
ジェームズは彼女が何を言おうとしているのか、まだわからない。
しかしヴィシーは大層面白そうに笑っている。
「あなた、エクソシストになって、私とコンビを組みましょう」
今やエイプリルの顔は真っ赤だった。
先ほどの自分を守ってくれたジェームズを思い出し、なぜか心臓はドキドキと早く脈打っている。
その意味を、彼女はまだ知らない。
ジェームズが口を開けたまま声を出せないでいると、エイプリルが再び言った。
「私、男の人に首筋を噛まれたのって初めて」
ヴィシーは堪えきれず、大きな声で笑った。
その後、エクソシスト界に彗星の如く現れたコンビが、その名を轟かせる事になる。
一人は、その名に春を感じさせる少女、そしてもう一人は……
しかしそれは、ここでは語らない。
また、別の機会に話すとしよう。