前編
3話完結の第1話です。
霧のロンドンの街で、吸血鬼現れる。
夜。
生温い風が肌を撫でる。
この高さからだと、首都ロンドン、この街がよく見える。
夜でもチラチラと着いている電気が、いかに多くの人々がこの街で暮らしているのかを物語っているようだ。
往来の車は途切れる事なく、酔っ払った男たちが喧嘩をする声まで聞こえてる。
その町で、少女はピーターパンよろしく、時計台の針に座っていた。
肩につかない程度の短めの黒髪、前髪は横に流し、ピンで留めている。
年は13、4歳くらいだろうか。
真っ黒なワンピース、履いているのは真っ黒なローファー、しかし胸元のリボンは異様に赤く見える。
つり目気味の目はどこか猫を思わせた。
「この街ね、ヴィシー」
少女はポツリと呟く。
「ああ間違いない。血の匂いがプンプンするぜ」
少女の隣で答えたのは、真っ黒で小さいコウモリであった。いや、コウモリと呼んでよいのだろうか。
そのコウモリに目はなく、異様に大きな口とぬらぬらと光る牙がこの世のものではない事を如実に表す。
ふっ、と少女は不敵に笑う。
「待ってなさい、吸血鬼」
ビュォオッと風が吹き抜け、彼女の髪をなびかせた。
笑った口元からは、彼女の白い歯が見える。
「このエイプリル様が退治してあげる」
* * * *
「うわー、またですよ、先輩」
そんな後輩刑事の呑気な声が昼間の路地裏に響く。
何事かと覗く野次馬たちが、見張りの警察官に追い払われていた。
ジェームズ・アーカー刑事は現場に到着すると、死体を見てため息をついた。
「これで4件目か、また新聞にに叩かれるな」
彼は190センチ近い高身長から、死体を見下ろす。
短めの黒い髪を後ろに流し、緑色の目は鋭く光る。いかにもやり手の男といった印象だ。
見下ろす死体は、前に見つかったものと同じだ。
「全身の血が抜かれている、か」
一体どうやったらそうなるのか、死体からは全身の血液がなくなっており、しかも生きながら徐々に抜き取られたと言うのだ。
大通りから少し外れた、飲食店が立ち並ぶ通りの路地裏に倒れていた死体を発見したのは、早朝、犬の散歩をしていた中年の女だった。
「巷じゃ、何か吸血鬼の仕業じゃないかって言われてるみたいですよ」
真っ白な若い女の死体を見つめて後輩は言う。
一方の死体の目は見開かれているものの、何も映さず、ただ、虚空を見つめている。
「くっだらねぇ! そんなのいる訳ねえだろうが! 大方、どっかの変態の仕業だろ!」
「先輩、オカルト、ダメですもんね」
「いるわよ」
後輩の声と、ほぼ重なって誰かの声が聞こえた。
ギョッとして、声の主を探すと、死体の側にいつのまにか、少女の姿があった。
真っ黒なワンピースを着ており、黒いローファーを履いている。
胸元の赤いリボンが異様に目立っていた。
少女は目をキラリと光らせると言った。
「間違いないわ。これは吸血鬼の仕業よ!」
ジェームズは、素早い動きでひょいっと少女を小脇に抱えると、規制線の貼られた方へと進んで行く。
「ここは立ち入り禁止だぞ。子供は学校へ行く時間だ」
少女は、がっちりと抱えられながらも、ジタバタと暴れ、顔を真っ赤にしながら大声を出している。
「ちょっと、いきなりなにすんの!! ねえ、どこ触ってんのよ!! 私を誰だと思って……!! 私は頼まれて正当な調査を……!! ちょっと離しなさい!! もう!!! パンツ見えちゃうじゃない!!!」
路地裏を出た通りに、ジェームズが少女をぽいっと捨てると、少女は憤慨してまくし立てる。
「あなた、名前は? 私を誰だと思っているの? あんたの遥か上にいる人に呼ばれてわざわざ来ているのよ? こんなぞんざいな扱いを受けたのは初めてだわ!! 言いつけるから、覚悟しなさい!!!」
フーッフーッと少女は興奮し、ジェームズをキッと睨む。
それは、刑事としてキャリアを積んきたでジェームズでも一瞬怯みそうになってしまうほど迫力あった。
「やぁ、アーカー君、御苦労だね」
不意に、渋いバリトンの男の声がした。
ジェームズがそちらに目をやると、立っていたのは上司であるクリス・ポールだ。
口ひげをはやし、ロマンスグレーの髪をオールバックにしている彼は、厳しいが聡明な男である。
彼に対してはジェームズは一目置いていた。
「警部殿! わざわざ現場に来て頂かなくとも……!」
ジェームズが恐縮していると、ポール警部は口ひげを触りながら言った。
「そういう訳にもいかんよ。今回、これほど立て続けに事件が起きてしまっているからなあ」
警察の威信に関わるのだ、と言ってさらに続ける。
「それに、上が助っ人を呼んだそうじゃないか。直接現場に向かうというから、私も来ない訳にはいかないさ」
……ん?
そんな話をついさっき誰かしていたような……
胸に違和感を覚えたジェームズはまだそこに立っていた少女をちらりと見る。
「ヒラ刑事! わかった!? 私はわざわざ呼ばれて来てやってるのよ!!」
少女は勝ち誇ったように笑い、そして、ビシッとジェームズを指差す。
「覚えておきなさい! 私の名はエイプリル! バチカン市国の正統なエクソシストよ!!」
「これは間違いない、吸血鬼の仕業ね。」
「はぁ」とジェームズは気のない返事をする。
内心、勘弁してくれよ、と思っている。
「エクソシストって、なんでしたっけ?」
後輩が、声を潜めて聞いてきた。
「あれだろ、映画の」
と適当に返事をする。
英国のファンタジー好きは知っていたが、殺人事件までおとぎ話にされたらたまらない。
しかも、こんなガキが正式なエクソシストなどと世迷言もいいところだ。
しかし、ポール警部は協力を惜しむな、と言い残してさっさと帰って行ったのだった。
「首の二つ空いた何かの跡、これは調べてるのかしら?」
死体の首元を見てエイプリルが言った。
答える義務があるのか、と思いジェームズが黙っていると、彼女は物凄く睨みつけてくる。
「あ、それは、何か鋭利なもので刺された跡っす! そこから血を抜かれたみたいで、だから吸血鬼なんて言われてるんすけどね!」
後輩が明るく言う。
妙に高いテンションの後輩をジェームズが見ると、彼は目をキラキラさせていた。
刑事のくせに、オカルトじみた話が好きなようだ。
「なんの跡かはわかっているの?」
「えーとですね……」
後輩が助けを求めるかのようにジェームズを見つめる。
どうやら忘れたらしい。
きちんと覚えとけ!
心の中で突っ込んだ後、しぶしぶ言った。
「まだわかっていない。動物の牙のようだが、特定はされていないんだ。付着している唾液も、解析されていない」
それを聞くとエイプリルは満足そうに頷いた。
「当然よ、吸血鬼の牙だもの。ねぇヴィシー?」
エイプリルが誰かに問うと、突然、コウモリの姿をした何かが現れた。
まるで最初からそこにいたかのようだ。
「ああ、そうだ。間違いなく、吸血鬼の食事後だ。これほど食い散らかしているということは、まだなりたてだろうなァ」
そのコウモリににた生き物はそう言って、ぬらぬらと光る牙を見せながら笑った。
この世のものではないその姿に、後輩は顔が真っ赤になるほど興奮し、逆にジェームズは青ざめた。
その生き物はそんなジェームズを見て、(もっとも、その生き物には目がないが、確かにジェームズは見られたと確信した)ニヤリとしたものだから、気分は最高に最悪だった。
「ふむ、大体の事は分かったわ」
エイプリルはそう言って立ち上がる。
ジェームズはそれに苛立ちを覚えた。
「はんっ! 何が分かったんだ? 犯人でも分かったのか?」
喧嘩腰のジェームズを小馬鹿にしたように見つめながらエイプリルは答える。
「ええ、そうね、犯人が分かったわ」
(まさか犯人は吸血鬼なんて言わねえだろうな)
ジェームズがそう考えていると、エイプリルはふっと口元を緩めて言ったのだった。
「犯人は吸血鬼よ!」
エクソシストと言うものが全く役に立たない事が分かると、ジェームズ他、警察の面々はエイプリルを無視して捜査を続けることにした。
なにやらギャーギャー言っていたが、こちらにもこちらの仕事というものがある。
分かった事。
女性の身元は彼女が持っていた身分証ですぐに割れた。
ジュリアン・プラット、24歳。
すぐさま勤め先の会社に警察が向かう。
同僚の話によると受付の仕事をしている明るい女性だったと言う。
死因は出血多量によるショック死。
暴行された形跡はなく、外傷は首のキズのみ。
犯人の目撃情報、今のところなし。
「最初は山中や市街地から離れた場所での犯行だったが、手慣れてきたのか随分と大胆になっているな」
ジェームズは隣にいる後輩に向かって呟く。
「だけど、全身の血を抜くまでの間、誰にも目撃されないなんてありますか? やっぱ、人間じゃない者の仕業なんじゃ……」
後輩はそう言って、まだ現場をウロウロしているエイプリルを見る。
「冗談じゃねえよ」
ジェームズはピシャリとそう言った。
そうだ、冗談じゃない。
エクソシストなんて、生涯関わり合いになりたくない人種だ。
そう思っていると、エイプリルは何故かこちらに向かって歩いて来る。
そして言ったのだ。
「ねえ、ジェームズ・アーカーってどの人?」
「……俺ですが、何か」
答えたくはないが、ジェームズは名乗る。
エイプリルはそうなの、と言ってから恐ろしい事を言い出した。
「ポール警部があなたの家に泊まれって。一人暮らし、2LDKだから」
何の理由にもなってねえ!!
ジェームズが声にならない悲鳴をあげると、じゃ、よろしくね、と言ってエイプリルはまた調べ始めたのだった。
「何よこのジュース! 腐ってるわ!」
勝手に取り出したジュースを勝手に飲んだエイプリルは、それを勝手に流しに捨てた。
赤い飲み物がみるみる流れて行く。
「何してんだよお嬢ちゃん! 勝手に捨てないでくれ! ジュースじゃねえよ! 何年ものだと思ってるんだ!」
ジェームズが怒っても、空っぽになったビンをゴミ箱にぽいっと捨ててからエイプリルは悪びれる様子もなく言った。
「ジュースだかワインだか知らないけど、変な味がしたんだもの」
ジェームズは、ビンを燃えるゴミの袋から、資源ゴミの袋に移し替えながら深いため息をつく。
今日まで人として真面目に生きてきた。
何でこんな目に遭わなけりゃならんのだ。
ゴミを片付け終わるとジェームズはソファーで寛いでいるエイプリルに話しかけた。
「なあお嬢ちゃん」
「お嬢ちゃんじゃないわ、エイプリルよ」
「お嬢ちゃん、いつまで泊まる気なんだ?」
ジェームズはエイプリルを無視して尋ねる。
「いつまでって、決まってるじゃない。吸血鬼を捕まえるまでよ」
事も無げに、エイプリルは言ったのだった。
ジェームズ・アーカーは優秀な刑事である、というのは周囲が認める事実である。
今年で30歳になるが、どんな時も冷静で的確な判断を下す彼に、周りの信頼は厚かった。
そのジェームズが廊下に立ち止まり、壁に頭をつけて唸っている光景はいささか異常であった。
彼は今、事件そっちのけでエイプリルをどう追い出すかを考えていた。
昨晩、エイプリルはそれが当然、というように寝室を占拠したため、ジェームズは物置と化している別の部屋に寝るしかなかった。
今朝、起きると既に彼女の姿はなく早朝から何処かへ行っているようだった。
あの不気味なコウモリの姿も見えなかった。このまま帰って来なければいいが。
「おい! ジェームズ・アーカー!」
不意に肩を叩かれ、振り返ると、同僚の刑事がいた。
「何度も呼んだぜ。悩み事か? お前らしくもない」
お気楽に話しかける同僚に、ならお前の部屋にあの子を送るぞ、と言ってから用件を聞くと、どうやらポール警部が呼んでいるらしかった。
(俺を? なぜだろうか)
ポール警部が自分を呼ぶとは珍しい。
基本的に彼は自分の机から動かず、業務の報告を受けることが多いため、あえてジェームズを名指しで呼ぶ事は今まででほとんど無かった。
「エクソシストの状況を逐一報告してくれ」
ジェームズがポール警部の元へ行くと、開口一番そう言われた。
「はあ」
予期していなかった言葉に、思わず間抜けな声を出してしまう。
慌てて咳払いをすると、ジェームズは聞いた。
「それは、スパイをしろという事でしょうか」
「そうだ」
ポール警部は同意する。
「それは、彼女と行動を共にしろという事でしょうか」
「そうだ」
ポール警部は同意する。
まるで当然の事を聞くなというようだ。
(冗談じゃねえ! なんで俺が……)
「我々の立場として、彼女の話を信じているんでしょうか。その、吸血鬼がどうのという……」
この際、やけくそだと思ってジェームズは気になっていた事を聞いた。
確かに、あの不気味なコウモリがこの世のものと信じられない以上、吸血鬼の存在も認めるのが流れかもしれないが、改めてポール警部の考えを確かめたかった。
「少なくとも、彼女を差し向けた上層部は信じている。ただ、私個人としては、到底信じられる話ではないがね」
その答えに、ジェームズは心底ホッとする。
この人は、きちんと人としての常識を持ち合わせているようだ。
「わかりました、警部殿。私はあのエクソシストに同行しましょう」
ジェームズは決意を固めると、ポール警部に一礼し、去って行く。
天井に、一匹のコウモリがぶら下がっていた事には、誰も気がつかなかった。
さて、どうしたものか。
署を飛び出したものの、現在エイプリルがどこにいるかは検討もつかない。
そう思っていたが、案外簡単に会えた。
というのも、署を出た瞬間に声をかけられたのである。
「待っていたわ」
うわっとジェームズが飛びのくと、エイプリルは彼を思いっ切り睨みつけた。
猫のような大きな瞳は大層迫力がある。
「私と一緒に捜査したいんでしょう? 迎えに来てあげたわ」
多少の齟齬がある。
したい訳ではなく、しなければならないのだ。
しかし……
「なんで知ってるんだ?」
ジェームズが尋ねると、エイプリルの肩にどこからともなくヴィシーが飛んできて、止まった。
キシキシと不気味な笑い声をたてている。
「ヴィシーは優秀な使い魔なのよ」
(なるほど、君にもスパイがいるって訳か)
ジェームズはひとり、ため息をついた。
かくして、エイプリルとの捜査は始まったのである。
エイプリルとの捜査は思った以上に大変だった。
彼女は狭い路地に入り込むし、かと思えばヒラっと屋根の上に登ってみる。
まるでジェームズをからかっているようだ。
「黒猫め……!」
ジェームズは息切れしながらもなんとか着いて行く。
とんっと橋の上から地面に着地するとエイプリルはまだ上にいるジェームズを見た。
挑発するかのようなその視線に、大人げもなく頭に血が登りそうになる。
高さは15メートル程だろうか。
ジェームズも何とか下に降りる。
しかし、着地に失敗して、思いっ切り尻を強打した。
「痛ってえ……! ちくしょう!!」
思わず悪態をつく。
エイプリルほそれを満足げに見つめると、言った。
「さて、刑事さんをからかうのはこれでお終い。ここからが本当の捜査よ」
「おい! やっぱりからかってたのかよ!」
ジェームズが抗議するも、エイプリルはしっと人差し指を突き立てて言った。
「静かに! もう少しで来るわ! 隠れるわよ」
飛び降りた橋の下は短いトンネルになっていた。
ジェームズはエイプリルに言われるまま、トンネルの出口の外側の壁に張り付く。
出口を挟んで反対側には、エイプリルがいる。
二人の間は3メートルほどだろうか。
(何が来るって言うんだ)
ほどなくトンネルの向こうから、ヒタヒタと足音が聞こえてきた。
思わず、ジェームズはエイプリルを見つめる。
エイプリルは静かに頷くと、その人物が出口から出る瞬間に足をかけた。
「ぎゃっ」と短い悲鳴を上げ、その人物は地面に転がった。
「何しやがる!!」
倒れたまま、その人物は顔だけを振り返り文句を言った。
若い、まだ10代と思われる男だった。
だぼだぼのパーカーに、だぼだぼのズボンを履いている。
若い男によく見る服装だったが、何というファッションなのかジェームズは知らなかった。
(こいつが、なんなんだ……?)
すると突然、若い男は怒鳴りながら立ち上がりエイプリルに殴りかかる。
「おっと! それは見過ごせねえな。」
ジェームズが男の前にさっと立ちはだかると、男は初めてジェームズに気がついたのか萎縮したようだった。
「なんだってんだ!」
「お前がなんなのかは、俺もこのお嬢ちゃんに是非とも説明願いたい。彼が吸血鬼なのか?」
ジェームズが後ろにいるエイプリルを見ると、つまらなそうな顔をしている。
「助けなんか必要ないわよ。こいつをぶん殴ってやるつもりだったのに」
いつの間にか、手には銀色の拳銃に似たものを持っていた。
殴るのか? 撃つのか?
ジェームズが慄いていると、「ま、いいわ」と言って、エイプリルは男に話しかける。
「貴方、一昨日の夜、見たわよね?」
エイプリルが静かに男に問いかけると、男は急にガクガクと震えだし、その場にへたりと座り込んだ。
「あ、ああ、見た。見た」
男は酷く怯えた様子でそう呟く。
エイプリルは、ジェームズの制止も聞かずに男の側へ行くと、優しく肩を触った。
「友達は信じてくれなかったのよね? 大丈夫。私は信じるわ。話してご覧なさい」
男は頷くと素直に話し始めた。
一昨日、友人宅でドラッグパーティをやった帰りの事だった。
「おい、待て。」
ジェームズは思わず止めに入る。
「なんで止めるのよ。これから話すところじゃない」
エイプリルは男に話すように促すが、ジェームズは譲れない。
「いやいや、俺も警察としてドラッグなんて聞いちゃ見過ごせねーよ!」
「サツ!? い、いや、違った違った。今のは間違いだ」
男は改めて話し始めた。
一昨日、友人宅でマリオパーティをやった帰りの事だった。
深夜、一人で通りを歩いていると、路地裏からヒッと言う小さな声とカタンと言う物音がした。
何とは無しに覗くと、そこには黒いマントの何者かが、女に覆い被さっているようである。
「よく女ってわかったな」
ジェームズが問うと、若い男は「ああ」と言って答えた。
「マントの下から綺麗な足が見えてたんだ。カップルがイチャついてんのかと思ってさ。ちょっと見てたんだ」
だけど、様子がおかしい。
最初はビクビク動いていた女の足はもうピクリともしない。
不思議に思いマントの人物を見つめていると、不意にぐるりと振り向いた。
見えた口元は、血で真っ赤に染まっていた。
「俺は、見られたんだ! だから、昨日から家に帰らずに町を彷徨っている。見つかったら、きっと殺される!」
若い男は恐怖を思い出したのか、再び震え出した。
「あれは、吸血鬼だった……!」
「顔は見たのか?」
ジェームズが聞くと、若い男は首を横に振る。
「い、いいや。帽子を被ってたし、なんか、不気味な仮面を被っててよ……! だけど身長は、そこのあんたと同じくらいデカかったと思う」
そう言って、若い男がジェームズを指さすものだから、一瞬ジェームズはビクリとする。
エイプリルは若い男を落ち着かせるように優しく言った。
「よく話してくれたわ。だけど、大丈夫。今夜は家に戻りなさい。親御さんもきっと心配しているわ。帰り道、怖かったら、エクソシストのこの私と、こっちの強面の刑事さんが送って行くから」
エイプリルが、(というか、ヴィシーが)昨日の昼間に町全体の声を傍受していると(恐ろしい事に、この使い魔にはそういう能力があるという)、彼がが友人に話す声を拾ったのという。
今日は、この彼を探して歩いていたのだ。
「へんなものでも吸って、幻覚を見たんじゃないのか? 後から事件を知って、結びつけたんだろう」
若い男(名をヘンリーというらしい。)を家まで送った後で、ジェームズは言った。
「ま、その可能性は捨てきれないわ」
エイプリルはちらっとジェームズを見ると、珍しく同意した。
「だけど、状況はかなり一致している。今は彼が犯人に辿り着く唯一の手がかりよ」
ジェームズは黙り込む。
その様子をまたいつの間にか側にいたヴィシーが面白そうに見つめていたのだった。