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 おはようとおやすみを繰り返して、新しい生活に慣れた頃には、互いに安心して寝息を立てられるようになっていた。

 ジェイクさんを迎えた次の日の朝、僕はいつも通りエルラより先に目を覚まして、彼女の寝顔を眺める。奴隷の役得だ。この為に生きていると言っても、過言ではない。

 起きると気の立ったハリネズミのようにつんけんした彼女だけど、寝ている姿は無害で、異なる種族とは思えないほど、年の近しい童のようだ。かつての世界では制服を来ていた筈だから僕は十代の範疇だろうけど、エルラが何歳かは分からない。問い詰める気にはならなかったし、些細なことだったから。はっきりと分かっているのは、彼女が僕の主人だということ。その不文律さえ確かなら、他は気を留めない。

 彼女さえ、隣に居てくれれば。

 僕は変わらず僕として、今日という日を迎えられる。


 

 朝の手始めは、畑が荒らされていないかの確認からだ。というのも、森に棲む魔物が入って来れないような仕掛け、そういった魔除けは既に施している訳だけれど、これはまた念のためだ。目を巡らせるといった警戒はするも、畑仕事に精を出し始めたのはつい最近からなので、一面の土にはまだ芽が生えてきたばかりだ。種は以前ここを訪れた冒険者から貰った、品種としては前の世界で言う所のジャガイモに近しい。実る楽しみが募る反面、不安もある。素人に毛の生えたような仕事が結果を結ぶのか、自信はない。

 とある町で頂いた――奪ってしまった《農耕》スキルは有しているけど、その使用には至っていない。一緒に流れ込んだ記憶に頼って、その経験を追い掛けている。発動してしまえば、身体は疲れ知らずに動いてくれるけど、スキル任せにはしたくなかった。

 知識を活用している時点で言い訳の余地はないけれど、これは気の持ちようだ。例えズルでも、片手間にしてしまうのではなく、それをゆっくりと血肉にすることが、生きる充実に繋がるから。こと生活においては、その指針を守ることに徹していた。

 早朝。ここで先に水遣りすると、エルラが怒る。彼女の楽しみでもあるのだ、共に畑を耕すのは。僕より土に汚れることだってある。そんな彼女をからかったり、怒られたり、そんな時間を夢想して、僕はその場を後にした。

 家に戻ると、昨夜意識を失って机に頭から倒れ、絶賛放置プレイ中だったジェイクさんが、無理な姿勢からの目覚めに節々の痛みを訴えていた。

 初見屈強な印象を抱いた、僕より一回りは大きい古老の戦士といった風情の彼は、今や見る影もなく顔をしかめている。そうなった原因は僕なのだけど、素知らぬ風で声を掛けることにした。こういう事後処理も、慣れている。


 「おはようございます。ジェイクさん。すみません、眠る場所も用意出来なくて」


 「あ……、ああ。おはよう、カルト君。こちらこそすまないね。随分気が緩んでしまっていたようだ。こんな所で、眠り落ちてしまうなんて」


 ちょっとだけ、驚いた。

 彼が何かしら勘付いて、僕に敵意を向けるなら、いつも通り記憶を《改竄》スキルで捻じ曲げる腹積もりだったのに。ジェイクさんは「これもあのシチューとやらの仕業かな」などと笑顔まで添えている。器が大きいというか、鈍いと言うべきか。

 僕よりずっと勇者らしい。心が、少し痛んだ。

 真朝の小鳥達の囀りを聴き留めてか、ジェイクさんはゆっくりと腰を上げた。


 「やや、外は日の昇り始めといったところか。夜に力を増す魔物はいれど、逆はいないのが好機よな。どれ、老骨に鞭打って、私はここを出るとしよう。結局、なし崩しで宿を借りしてしまったが、お代は魔王の首ということで、儚く期待しておくれ」


 「せめて、朝の食事くらいはご用意出来ますが」


 「ははっ、もう一口でも君の料理を味わったら、居座ってしまいそうでな。改めて、君の腕前と、君を育てた故郷に感謝を」


 「……ありがとう、ございます。大切な、生まれ故郷です」


 もう、幼い頃の記憶は上塗りされてしまったけど。

 “向こう”の料理が出来るのも、旅の際に振る舞って、記憶を記憶しているだけに過ぎない。

 使わない情報は、古びたまま眠ってしまう。起こす方法はあるのかもしれない。けれど、この世界に居着くことを決めたのなら、それはそれで好都合と言えた。

 幾ら合理的に考えても、心に去来するもの寂しさは本当で。

 

 「何か、辛いことを思い出させたかな」


 「……顔に出てましたか」


 「職業柄、人の不安な顔は見ていられないものでね」


 歳つきの数だけ同じ経験を積んできたことを窺わせる、ジェイクさんの温和な瞳。

 それは僕の“目”より力を持って、嘘つきの膜を撫でた。


 「本当に、勇者向きですね。ジェイクさんは。……ただ、お話出来る人とお別れするのは、やっぱり慣れないなって」


 僕の取って付けたような理由でも、ジェイクさんは共感するように深く頷く。

 《毒耐性》スキルを、人を疑わない様にする為だけに鍛えた誠実な人格の在り方は、僕の罪悪感をチクチクと苛んだ。


 「そうさな。この歳になると、より身につまされる悩みだがね。慣れてしまうのも、寂しいものよ。何、全てが終わったら、再びここに舞い戻ろうて。では、また会おう、カルト殿」


 「はい。……ご武運を」

 

 家の戸を開いて、出て行くジェイクさんを見送る。

 扉を手で支え開け放ったまま、僕は朝靄に包まれた森の中に消えて行く彼の背中を見届けた。

 力を無くした彼が、その事実にいつ気付き、いつ魔物に襲われるかは分からない。今すぐかもしれないし、魔王の城に着いてからかもしれない。

 森が屍を飲んでいく様を、僕は手伝っている。

 それが、エルラと共に居る対価だと、自分に嘯いて。


 霧の中の人影が隠れて、ジェイクさんの存在が彼方に消えてしまった頃。

 未だかつて浴びたことのない“圧”を感じ取って、僕の目が熱を持った。


 感知の機能。この一帯に近付く外敵の存在を知らせる、スキルですらない目の能力。力を無くして去ったジェイクさんは、恐らくこの網に引っ掛かるには値しない。

 だとすれば、新手。

 しかも、未だかつてない魔力の総量だ。魔王の追手や、その直属の配下すら、この息の詰まるような魔力を有していた覚えはない。この世界でこれ程の実力を持つ猛者が今まで隠れていたのだとしたら、とんだ職務放棄だと思えた。

 その何者かは、間違いなく、魔王に牙をかけられる存在だ。

 あるいは――頭をよぎった別の可能性は、僕の覚悟の内だった。エルラと共に居ると決めた以上、避ける事は通れない道筋。それが恐らく、今だった。

 

 霧を晴らすように、大木が歩いているかのような、黒の塊が姿を見せた。

 “鎧”が歩いている。そうとでも形容する他ない、おおよそ人では有り得ない圧迫感。

 僕は外に出て、その何者かと対面した。雲を見上げるような身長差に固唾を飲んで、手痛い事実に直面する。兜を被った何者かと視線を交わすことは、この体勢からでは難しい。

 先手で相手を無力化するのは、諦めるしかない。

 酸素さえ薄くなるような重圧の中、僕は口を開く。


 「……おはようございます。旅の方、というわけでもないですよね。たぶん」


 何者かはたっぷりと間を空けて、遥か天から重い声調を降らせた。


 『身構えるな、童よ。――貴殿に問おう。我が愛娘は、息災でいるか』


 愛娘。

 ああ、やっぱりだ。

 決意を芯に、僕はありったけの気力で重圧に抗う。

 何者かの名を、認める。


 「……ええ。今も健やかに眠っておいでですよ。――お初にお目にかかります、魔王様」


 もう少しエルラの顔を目に焼き付けていれば良かったと、ささやかな後悔を胸に。

 生きるために戦うのはいつ振りだろうと、らしくなく考えた。



 ◆



 「道中、古老の戦士に会いませんでしたか?」


 『我の氣に当てられて倒れた者のことなら、今もあそこで伸びておる』


 「命までは取らないんですね。お優しいことです」


 『我より強くなる可能性を持つ者共を、無下に摘み取ることはせんよ』


 「……もし、世界を支配したのもその為で?」


 『然り。我は貴殿にも、その可能性を感じておる』


 出会って五分。魔王様と畑の水遣りをしている。

 これが中々ド派手なもので、魔王様は畑の中空に魔法円を描いて、そこから雨のように水を注いでいる。一家に一台は欲しい万能さだ。出力を間違えそうなのが玉に瑕だけど。

 それはそれとして、彼に興味を持たれていることは、僕の望む所ではないので。

 

 「……買い被りですよ。僕はここで命を拾われた、ただの落伍者ですよ」


 『勇者の端くれが、随分と弱音を吐く』


 バレてる。

 出会った矢先、全身全霊の土下座で友好的な態度を示したのに、魔王様の戦意は収まっていないご様子。

 生きる事。それがエルラに命じられた戦いだから。

 僕は喜んで、道化を演じられる。


 「昔のことです。今の僕は、エルラの所有物なんで」


 戯れに僕の畑仕事を奪った魔王様は陽光と水滴に輝く肥沃の大地を一望しながら、厳かに言う。


 『……貴殿に再度問おう。“アレ”のかいなに飼われるほど、貴殿は易い戦士ではない筈だ。何故なにゆえ不自由を選ぶ?』


 「彼女が、僕を選んでくれたからですよ。他に理由が?」


 魔王様の兜が動いて、僕の方を見下ろす。

 やはり、視線は合わない。けれど彼の方からは、僕という存在をありありと視覚出来るのか、仔細を観察されている感覚があった。


 『よい“目”だ。力を秘めておる。故に惜しい。貴殿と鍔迫り合ったのなら、胸も高鳴ったろうにな』


 未だ言葉の矛を収めない彼に応じることはせず、短く返す。


 「……話はこれだけでしょうか」


 『もう一つ、貴殿には礼を』


 「礼?」


 緊張に蝕まれていた意識を、この時ばかりは解いた。

 魔王様はエルラの住まいの方角に首を傾け、何処か神妙に続けた。


 『娘――エルラは、力無き子だ。魔法の才に恵まれず、銀の髪を魔力の抜け殻だと自責したまま、我が娘という重責に屈折して城を出たか弱き子だ。気丈さを振る舞っているが、あれで内面は繊細なのだ。どうか、貴殿の出来うる限りで支えて欲しい』


 酷く、人間臭いことを言うのだなと思った。

 同時に、僕という存在が、エルラと同居出来ている訳が、どうしようもなく附に落ちた。

 エルラからは、奪うものが何も無いのだ。

 この世界で生き抜くには誰かを頼るしかない、魔力を持たない命。志の高い彼女は、守られる側であることを認めたくなかったのかもしれない。

 箱庭のお姫様を気取るのに疲れて、城を飛び出て。

 ――僕を拾った。

 初め、生きることを放棄した僕の有様に、気に食わないと憎まれ口を零した彼女の心境が、少しだけ分かった気がした。

 使命を抱えたまま、未来を断念する僕は、彼女を冒涜していると受け取られても仕方がない。

 誰かの可能性を奪ってきた僕と。

 初めから可能性のなかった彼女。

 そんな両者が日々を暮らせている不可思議が、今更可笑しくなって。

 魔王様の語った人間像も、僕の印象と食い違って、それも二重に可笑しかった。


 「屈折と聞いても、ピンと来ませんね。僕の知るエルラは、何処までも自分に真っ直ぐですよ」


 『貴殿の前では、自分を見せているのだろう。喜ばしいことだ』


 「人の親なんですね、魔王様も」


 『滑稽に見えるか?』


 「いえ、胸を張ってください。お義父さん」


 『死に急ぐか、童よ』


 森がざわめくような魔力が魔王様を中心に広がったので、なんとか踏み留まる。

 彼女との約束を思い浮かべれば、そんな殺気もやり過ごせた。


 「エルラの許可が下りてないので、冥土の切符は願い下げです」


 『……それがエルラの望みなら、我には手出しできんな』


 理解ある父の姿勢で、魔王様が身を引く。

 ここを発つ足取りを見せたので、僕は彼の背に問い掛けた


 「魔王様。一つだけお聞かせてください。貴方の城を訪れた顔触れに、剣士と狩人と巫女の一組はいましたか?」


 たった一つ、かつての僕の名残が、気に掛けていたこと。

 魔王様は足を止めて、記憶の中枢を遡る沈黙に暮れる。


 『……随分と昔に、城の地下に落としたな。まだ心が折れていないなら、再び我の前に現れるであろう。彼の者達は、貴殿の仲間か?』


 ほっと安心が胸を下りた自分の偽善ぶりに、それでもこの感情を嘘にはしたくない。

 目の前のこの人には及ばなくても、僕の仲間だった人達はそれなりに手練だ。そして僕よりも、生きる気力に満ちている。試練に揉まれて必ず這い上がってくるだろうと、確信を持てた。

 そんな彼らに、伝えたいことは。

 たぶん、感謝だ。


 「そんな所です。僕を追い出した人達ですが、それは仕方のない事だったと思っています。もしお会いしたら、伝えておいてくれませんか? 僕は今、結構幸せですって」


 にんまりと、エルラ譲りの悪人ぶった笑顔を携えて。

 魔王様も兜の奥で、せせら笑ったように見えた。


 『奇特な勇者だ。再びまみえたら、生きて貴殿の元に追い返そう。その胸の内は、直に伝えるが良い』


 ……そんな未来もあるのか。

 手痛い切り返しに、今度は心から笑えた。


 「お心遣い、感謝致します」


 僕の言葉を最後に、魔王様は森に帰って行く。

 霧に消える黒い影は、何時までもその存在を消失させない。

 肩の力を抜いて、僕は心底呟いた。


 「……勇者、辞めて良かったな」

 

 エルラと会う前の僕だったら、瞬殺だったろう。

 それなりにスキルを蓄えた今なら、良くて相討ちか。第二第三の姿とか出されたら想定も出来ないので、この妄想は留めておくことにした。もう、終わったことだ。

 

 大事なのは、今も生きているということ。

 

 一つ仕事がなくなって浮いた時間は、エルラと出掛ける口実にしよう。

 そう考えるだけで、足は軽くなった。 


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