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その郵便物は直接ポストに突っ込まれたのか、切手も郵便局の消印もなかった。淡いクリーム色の封筒に赤いシーリングスタンプで封がされており、そこにはアルファベットの「H」とおぼしき刻印がされてあった。というのも印面が欠けているのか、どこかお粗末な文字だったからだ。
中を開けると、パソコンで打たれた手紙と一枚のDVD、そして手のひら大の薄型タブレット端末が入っていた。数年前に出たモデルだが、側面の電源ボタンを押しても画面に表示されるのはハートのエースのイラストだけだ。
「密島ユウキ様。前略、この度はリアリティ番組『スポンサーズ!』への出演依頼をご了承いただき、誠にありがとうございます。つきましては、20××年9月5日正午に密島様のご自宅へ迎えの車をご用意させていただきます……、みっちゃん、この番組出るの?」
手紙から顔を上げた初田慎吾の言葉に、密島はきょとんとした顔でふり返った。
「番組?」
「え、知らないの? この『スポンサーズ!』っていうのは……あ、フロントです。カップラーメンがお二つ、ですね。カレー味とシーフード味。はい、そのままお部屋で少々お待ちくださいませ」
慎吾はかかってきた内線電話を切ると、
「みっちゃん、ごめん。二階の202号室までカップラーメン二つ、持って行ってもらえる?」
と、手刀を切った。そのすぐにあとに新しい客がエントランスに入ってきて、慎吾は曇りガラスの下の小さなすき間から顔を出して、接客を始めた。早く行くようにと、背中に回した手を横にヒラヒラとふられる。
「……了解」
戸棚から味のちがうラーメン二つを取ると、それを抱えて密島はスタッフルームから照明の抑えられた廊下に出た。
ここは、密島が住居として間借りしている「ラブホテル・アイボリーファラオ」である。まさかラブホテルという名前のアパート、ではなく、正真正銘のレジャーホテルだ。そんなアパートは借り手がつかない。
このネーミングセンスの欠片もないホテルのオーナー兼店長が初田慎吾である。慎吾と出会ったのは二年前、密島が東京にやってきた晩のことだった。偶然入った飲み屋で意気投合し、密島が安いアパートを探しているという話をすると、ホテルの従業員部屋を格安で借りないかと持ちかけられ、一時間後にはこのピンクのネオンが光るオンボロホテルで鍵をもらっていた。ちなみに今働いているクリーニング屋も慎吾が紹介してくれた店だ。
「リアリティ番組って何?」
スタッフルームに戻ってくると、入店ラッシュをさばき終え、パイプ椅子に座って一息ついていた慎吾に早速訊ねた。
「そっか。みっちゃん、テレビもスマホも持ってないもんな」
「ラジオはあるけど」
「ああ、あの勝手にゴミ捨て場から拾ってきた、古くてでっかいラジカセね」
人の愛用品を粗大ごみのように言うと(仮にゴミだったとしても“元”ゴミだ)、慎吾はテーブルの上のノートパソコンを起動させた。そして、手紙と一緒に送られてきたDVDを挿入した。
再生ボタンをクリックすると現れたのは、赤い緞帳が垂れ下がったどこかのステージのようなセットだった。すぐに両端から二つのスポットライトの丸い光が現れ、その光の中央に一人の男が立っていた。まるで宝塚歌劇団の衣装のような全身スパンコールで飾られた、真っ赤なギラギラと輝くスーツに身を包み、顔にはヴェネツィアのカーニバルに使われる、白地に赤やら金やらのゴテゴテとした装飾が施された仮面をつけている。
「なんかこいつ、『マスク』って映画のジム・キャリーに似てない?」
「わかる」
男は鼻歌を歌いながら、タップダンスのリズムで靴を鳴らした。そしてくるりと一回転、華麗なターンを決めたあと、
『レディースエンジェントルメーン! リアリティショー、スポンサーズへようこそ!』
と叫んだ。まるでアメリカの子供向けアニメーション映画の声優のような、陽気でハリのある、だがどこか胡散臭い様子を匂わせる声だ。
「……ああ、で、リアリティ番組っていうのは、最近流行っているテレビのジャンルの一つなんだ」
説明が途中だったのを思い出したのか、慎吾は来月のシフト表を作りながら言った。
「よくあるのは何人かの素人たちが無人島だったり、一軒家だったりに集められて、一定期間一緒に生活をさせられるってやつ。視聴者はそいつらがうち解けたり、喧嘩をしたり、または恋に落ちたりする様子をまるでドキュメンタリーやドラマみたいに楽しむんだよ。たいていの場合、台本やヤラセはなくて、出演者たちにも次に何が起こるのかわからないんだ。まあ、ないと言いつつ実際はある場合も多いと思うけど」
「ふうん」
「この『スポンサーズ!』って番組、たしか一年くらい前に一度ネットで放送されて、かなり話題になったやつだよ。参加者たちは、どこかもわからない広大な森の中に集められて、十日間に渡って優勝賞金の五億円をかけたゲームをするんだ」
「五億円?」
画面の中ではちょうど、札束がぎっしり入ったアタッシュケースの山を、仮面の男が芝居がかった動きで披露しているところだった。
「さすがに盛り過ぎだろ」
「嘘か本当かはわからないけどね。ちなみに参加者は集合場所に来た時点で参加料として五千万もらえるらしい。だからたとえ優勝しなくても、最後まで脱落しなければその五千万は手に入るんだって」
「なんだそりゃ。殺し合いでもさせられるのか?」
「さすがにそんなの放送できないでしょ」
まあ見てな、と慎吾はパソコンの音量を大きくした。
森を背景に九人の男女が立っていた。たしかに慎吾の言う通り、あか抜けない、いかにもその辺にいそうな普通の人たちだ。参加者たちの近くに置かれたスピーカーから、さっきの仮面の男の声が聞こえた。
『皆さまに事前にお送りしたカードには、参加料として五千万がチャージされています。十日間、じっと身を潜めて五千万をゲットするもよし、ほかのプレイヤーと勝負をして所持金勝を増やすもよし、このフィールドのどこかに隠された五億円を探すもよし、ゲームを盛りあげてくださるのなら、何でもOKです』
「面白そう。みっちゃん、五億円取ってきてよ」
「そんな簡単に言うなよ」
画面から目を離し、密島は眉をひそめた。
「それにもし五億円がもらえたとしても、お前には一円もやらないからな。っていうか、なんで自分がもらえると思ったし」
「えー、俺、結構みっちゃんの世話、焼いてると思うんだけどなぁ」
「だいたい、選ばれた理由がわからない」
「心当たりないの?」
「ない」
こんなわけのわからない番組に応募した覚えはない。あるとすれば呉田とのやり取りだけだが、そもそも呉田が推薦したのかもわからなかった。
「貧乏だと思われたんじゃない?」
「わたしが?」
「そういえば、今月の家賃、まだもらってないなー」
密島は初田の言葉を無視してノートパソコンの電源を切ると、席を立った。シュン、と小さな音を立てて画面が真っ暗になり、スタッフルームは空調の音だけがやたらと大きく響いていた。
「くだらない。こんなことに付き合ってるほど暇人じゃない」
「どこ行くの?」
「部屋に帰る」
机の上の封筒を掴み、ガンガンと大きな足音を立てて部屋から出ていこうとすると、後ろから慎吾に「みっちゃん」と声をかけられた。
「店の方にはしばらく休むって俺から伝えておくからさ、ゲーム、参加してみたら?」
「だからしないって言ってるだろ」
「でもさ、みっちゃんが欲しいもの、もしかしたら見つかるかもよ?」
乱暴に木のドアを閉めて、すぐ脇の非常階段をかけ上がる。数段上ったところで、密島は手の中でしわくちゃになった封筒と堅いカードを見つめた。
“みっちゃんが欲しいもの、もしかしたら見つかるかもよ?”
「知ったような口を聞きやがって……」
慎吾の言葉を思い出し、密島は小さく唇を噛んだ。
だが結局、密島は次の日に来週から店をしばらく休むことをクリーニング店の店主に伝えた。慎吾の思うつぼのようで癪ではあったが、決めたのは自分だ。そしてこうして今、目隠しをされた状態で車に揺られている。
ふと我に返ると、ガタガタと砂利道のようなところを通っていた車のエンジンが停まった。キーが抜かれ、ドアの開く音が聞こえる。
「お疲れ様でした」
車を運転していた男が、相変わらず怯えながら、密島の顔からアイマスクを外してくれた。明るさに目が慣れ、数回瞬きを繰り返して顔を上げると、そこにはアイボリーファラオのスタッフルームで見た映像とまったく同じ、広大な森の景色が広がっていた。