大福検事
今日の分の仕事を終え、荷物を鞄に詰めていると、スマートフォンが鳴った。ディスプレイに表示されたのは、大学時代の同期の名前だった。
「もしもし」
「あ、真菜?」
懐かしい声に自然と顔がほころぶ。卒業してからも半年に一度は食事に仲だったが、最近は仕事が忙しく、一年以上連絡もしていない。
「実は小橋先生が来年の三月で退職なさるんだけど」
恩師の退職の前祝いとして、一つ下の代と一緒にお祝いの会を企画していると同期は言った。大学の四年間を通して、ずっとお世話になった教授だ。真菜はすぐさま参加を決めた。
「それでなんだけど、あんた、平松に連絡つく?」
「げっ」
つい漏らしてしまった声に、電話の向こうの同期は耳がおかしくなるほど爆笑した。
「絶対嫌だ!」
「いいじゃん、あれでも一応、元カレでしょ?」
「一応、ね、一応!」
平松こと平松晴太は、真菜が大学時代に一年間ほど付き合っていた元カレだった。真菜より一つ年上だが、晴太が一年留年したため、同じゼミ生になったのだ。
「だって、いい思い出なんかひとっつもないんだもん。初デートで雨の中三時間も待たせられるわ、クリスマスに会えば冬の河川敷連れて行かれるわ、誕生日プレゼントにクソでかい振り子時計持ってくるわ」
「あーはいはい」
真菜が語気を強めるも、同期に適当に流される。真面目に聞いちゃいない。
「でも真菜以外誰も連絡先を知らないからさ。のけ者にできないでしょ? 小橋先生は平松のこと、あれでもかなり気に入ってらっしゃったし」
同期はそう言うと、「ま、連絡がつかないこともないんだけどさ」とつけ足した。
「実はたまたま、あいつのSNSを見つけちゃったんだよね。でも本名でやってるわけじゃないし、繋がってもいないしさ」
それから粘り強く説得され、根負けした真菜は結局晴太に連絡を取ることを引き受けた。代価として約束させたのは焼肉の奢りと、晴太のアカウントだ。
どうせろくなことは書いていないだろうが、せっかくだから検索してこっそり見てやろうと検索窓に教えてもらったアカウント名を入力した真菜は絶句した。
「えっ、フォロワー多っ! っていうかうっそ、相互じゃん!」
見覚えのあるアイコンだと思ったそれは、真菜のいる界隈ではちょっとした有名アカウントだった。二千人のフォロワーを持つ真菜のアカウントの四倍のアカウントにフォローされている。しかも、何度か他愛のないやり取りをしたことのある相互フォロワーだった。
「あり得ない……元カレと気づかずにSNSでやり取りとかマジであり得ない……」
ブツブツと呟きつつ、晴太の投稿内容をくまなくチェックする。すると、真菜はあることに気がついた。投稿が四日前を最後に途絶えているのだ。普通の人であれば、四日間何の音沙汰がなくともまったくおかしくはないが、晴太は一日に平均十回以上投稿するヘビーユーザーだ。フォロワーたちの間でも、晴太を心配する声が聞こえていた。
「まさか死んだってことは……ないよね」
一瞬、背中にヒヤリとした空気が流れ込んだ気がした。だが、さすがにそれはないと杞憂をふり払う。
真菜は家に帰ると、夕飯のレトルトカレーを温めながら、晴太の番号に電話をかけた。この番号にかけるのは、大学三年の冬に別れて以来だ。
十回コールして、もう切ろうとした瞬間、聞き覚えのある間の抜けた声が聞こえた。
「真菜?」
やや緊張気味に、簡潔に用件を伝えると、「たぶん行けると思う」というなんとも頼りない答えが返ってきた。
「たぶん?」
「今の仕事が無事に終わらないと、東京に戻れないんだ」
「ふうん。今何やってんの?」
「……んー、内緒」
いつもこれだ。
とりわけ秘密主義というわけでもないのだが、常に人に言えないようなことをしているのが晴太だった。全然変わってない、と真菜は呆れたような、ほっとしたような複雑な気持ちになった。
「手っ取り早く金が欲しくてさ。高額バイトって文字に惹かれて飛びついたけど、失敗だった。十日間で日給二万。宿アリ、交通費別途支給、体力仕事なし、室内での仕事です。字面だけ見れば結構いいカンジでしょ?」
「十日で二十万ももらえるなら、まあね」
「だけど来てみたら、ほぼ一日中拘束されて、同じ部屋に缶詰めだ」
しかもほぼ一日となると、時給計算すれば確実に最低賃金を割る値段だ。「なにそれ、治験?」と真菜は眉をひそめた。
「いや、ちがう……ああ、でもそんな感じかな」
「どっちよ」
ゼミの教授が心配するのも頷ける。何か危ないことに首を突っ込んでいなければいいが。
「晴太、あのさ、もしよかったら、会の前にお茶でも」
「ん? あっ、ごめん、真菜。仕事だからもう切るわ」
「あ、うん……」
「それじゃ、また連絡する――すみません、みっ」
そうして電話は唐突に切れた。
「ったく、晴太のやつ。話の途中なのに……」
でも一体どんな仕事なのだろう。
十日で二十万、部屋に籠りきりの仕事。何かが真菜の脳裏をかすめたような気がした。だがそれは、掴む間もなく消えてしまった。
そのとき鍋が沸騰していることに気づき、真菜はあわててコンロの火を切った。




