嵐の予兆
「せっかくいいことを教えようと思って戻ってきたのに」
パンピーはそう言うと、密島の横に立ち、じっとこっちを見つめてきた。
「なに」
「……やっぱりわたし、密島パイセン、超好みっす!」
「は?」
パンピーは顎の下で手を組むと、はあ、と惚けたようなため息をついた。
「このお人形みたいなぱっちりした二重の目、そして何もしていないのにくるんと上がった長いまつげ、この西洋人みたいに深い目のくぼみに、鼻と口は大きくて男顔っすけど、繊細でバランスの取れた配置が素晴らしいっす!」
キャーと歓声を上げ、パンピーは横や斜めの角度からキョロキョロと密島の顔を観察した。まるで丸いガラスのシャーレに入れられ、顕微鏡で細部まで見られている微生物にでもなった気分だ。
「それに、パイセンってちょっと不思議な体してるし」
「あの、それでいいことっていうのは」
はしゃいでいるパンピーに安藤が小声でそっと尋ねると、パンピーは落ち着いた声で「ああ、そっすね」と頷いた。なんて落差だ。
パンピーは端末を操作すると、密島たちに見えるよう画面を向けた。
「注目度ランキングに微妙な変化が起こってるの、見ました?」
密島が首をかしげると、安藤もわからないというように眉をひそめさせた。そんな二人の反応を見て、パンピーが大きくため息をつく。
「二人とも、もっとDTを教育しないと駄目っすよ。どこの会社が開発したのかは知りませんが、このオペレーターAIは凄まじくよくできた自己学習型人工知能なんすよ。プレイヤーの教育によってどんどん賢くなっていくんです。んで、注目すべきは笠原パイセンの順位です」
赤、青、緑のうち、最後の緑のハートの数字が注目度ランキングだ。表示された笠原のプロフィールページの緑の数字は「6」だった。
「これまでずっと、最下位からせいぜいその上三ランク程度を行ったり来たりしていた笠原パイセンが、六位に急浮上しています。その要因をDTに探らせたところ、やはり理由がありました」
パンピーが見せたのは、どこかの新聞社のネットニュースのようだった。一番上には「元オリンピック選手、指導中に体罰か」という見出しが躍っている。
「この笠原克彦って」
「笠原パイセンの実のお父さまっすよ」
記事には、笠原克彦が若手選手の指導中に、選手を殴ってケガをさせたとある。笠原克彦の体罰は柔道界では有名な話だったという匿名の柔道関係者のコメントが掲載されていた。
「まだ一部のネットニュースで報道されたばかりですが、あと二時間ほどで六時のテレビニュースの時間です。そこで取り上げられれば、たちまち日本中に拡散されるでしょう。笠原パイセン、注目度ランキング一位もあり得ますね」
「じゃあ、笠原に『う~ん』が集まって、ペナルティが課せられる……?」
「いえ」
パンピーは安藤の言葉を遮った。
「笠原パイセンは父親の責任をとって、自らゲームを棄権すると思います」
「そんなわけない。不祥事を起こしたのは笠原さん本人じゃなく、父親だ。笠原さんは関係ない」
「密島パイセンって本っ当甘いっすよね。まあ、そこも好きなんですけど」
パンピーはじっと密島を見つめ、
「人間ってそう簡単には変わらないっすよ」
と言った。
「そうなると、キングのカードが宙に浮くっすから、一体何が起こるのやら」
「え? 笠原ってキングのカードを持ってるんですか?」
パンピーはバカにしたような視線を安藤に送ると、ひらり、と蝶が飛ぶように走って森の向こうへと消えていった。
リップクリームだろうか、ふわりと甘い匂いが風に乗って、やがて消えた。




