ライディング・レイド
〈さすがです、みっちゃん!〉
歩き出すと、途端にイヤホンからDTの声がした。
〈ライバルである上島さんのピンチを、危険を顧みずに助けるなんて! そのうえ薬草の知識まで披露して〉
「これで『いいね』は倍増か?」
〈もちろんです! ただ……〉
「ただ?」
〈上島さんの質問を無視したのはよくなかったですね〉
「したっけ?」
密島がとぼけると、DTは〈しましたよ〉とむすっとした口調で言った。DTの音声は過度に抑揚が少なく、感情はわかりづらいが、それでもなんとなくではあるが、表情のようなものが読み取れるようになってきた。
〈みっちゃんはただでさえ公表しているプライベート情報が少ないんですから、出し惜しみしていては駄目です。秘密主義もやり過ぎると、拒絶したように受け取られます。あそこはもう少しフレンドリーさを出すべきでしたよ〉
「……努力する」
本当はまったくそんな気はなかったが、密島は口だけはそう答えておいた。
「ところでDT、後藤田ってそんなに危なっかしい奴なのか?」
〈プロフィールを検索します。後藤田充樹、三十五歳、独身。職業不定。一度目の優勝者〉
「ネットのサイトの方には情報は?」
〈調べてみます……多数寄せられていますね。彼には前科歴があるようです。十五歳の頃に度重なる家出と素行不良で少年院に入っています。後藤田氏と同じ少年院にいたという人物の話によると、彼は残忍で怒りっぽい性格だったと。その後も恐喝と強盗で一度逮捕されているようです。実刑判決を受け、服役していますが、その後のことはあまり書いてありません〉
「何にせよ、要注意人物ってわけ、か」
密島は二日前に芝生の上で見た後藤田の姿を思い出していた。
血走った、鋭い目が印象的な男だった。
世の中で最も強いのはルールを無視する者だ。ルールを無視する者は躊躇しない。だから、日々練習場で鍛錬を行う実務経験なしの警察官よりも、一度でも人を撃ったことのあるのろまなヤクザの方が強い。恐らく、後藤田という男はそういった類の人間なのだろう。それに、不意打ちとはいえ特殊部隊で訓練を積んだ上島に怪我を負わせる程度には喧嘩慣れしている。
「でもエースの介入がなかったのは気になったな」
ゲームを管理するのも仮面の男の仕事のはずだ。だが、プレイヤー同士の喧嘩が置き、ケガ人まで出たというのに何のアクションもないのはさすがにおかしい。
〈そうですね。ただ、もしかしたらエース自身も後藤田を制御できず、自由に動かせて勝手に氏が追放されるのを待っているのかも。あと一人でもむやみにほかのプレイヤーを傷つけたら、キングも後藤田を追放するでしょう。いや、でも逆にそれが後藤田側の狙いだったら……〉
「狙い?」
〈後藤田氏についているDTが突き抜けた悪役として氏をプロデュースしているという可能性です。上島さんはちょっと煽ったら殴られたと言っていましたよね。ということは、先に喧嘩を売ったのは上島さんということです。もちろん捻挫はやり過ぎですが、後藤田氏は売られた喧嘩を買っただけ。上島さんにいいイメージを持っていなかった視聴者の中には、後藤田氏の行動によってスカッとした人もいたかもしれません。アンチヒーローは一定の需要がありますから。みんなが好感度を得ようと必死になっているときは特に。でもまあ、決して楽な戦略ではありませんが〉
「めんどくさい……」
ボソリとつぶやくと、DTは励ますように明るい声を出した。
〈すべての人をファンにするというのは無理だということです。地道にコツコツ、頑張りましょう!〉
そのとき、誰かの視線を感じ、密島はDTにだけ聞こえるような音量でつぶやいた。
「誰かに見られている気がする」
たしかに見られているような感じがするのだが、森のいたるところに設置された監視カメラによって、その感覚は鈍くなっていた。
ゴーグルのズームを最大にして、何気なく後ろをふり返ると、人の頭のようなものがちらりと木の陰に隠れた。
「今、遠くに人影のようなものが見えた」
〈プレイヤーでしょうか〉
そのとき、ぽつりと鼻の頭に水滴があたった。
朝は晴れていた空が、いつのまにか鼠色の雲に覆われていた。雨はあっという間に本降りとなり、密島は急いで木の下に駆け込んだ。
「……まずいな。土がぬかるめば、どっちに行ったのか足跡でバレる」
だが、人の気配はどんどん近くへと迫ってくる。しかたなく、密島は足跡を残さないよう笹薮の茂みに入った。多少の音は雨がかき消してくれるのでそこは問題ではない。
しかしそのとき、何かが妙だと気づいた。
足音が一向に聞こえてこないのだ。うるさい雨の音に混ざり、地面に落ちている小枝が折れる音やたまった水を弾く音は聞こえるのに何かがおかしい。
一方、荒々しい息遣いはどんどん大きくなっていった。それも、一人のものではない。
「二人……いや、三人か」
密島は腰を低くし、茂みに身を隠しながら、ふたたび後ろを確認した。だがそこにあったのは予想外の光景だった。
目に飛び込んできたのは回転する黒い車輪だった。木の根を飛び越え、すべるように滑らかな動きで迫ってくる。
〈みっちゃん、昨日深夜の履歴で、三人のプレイヤーがマウンテンバイクを購入しています〉
「今見た!」
密島は一番近い木に登ると、素早く縄梯子を引き上げた。そして木の枝の間に潜り込み、腰のセンサーが狙われないように位置を調節する。そうしている間にマウンテンバイクに乗った三人のプレイヤーが木の下に集まり、一斉に密島に向かって銃を構えた。下から狙い撃ちしようという魂胆だろう。
「まさに袋のネズミってわけだ」
だが、どんどん雨脚が強くなる天気が幸いし、弾はなかなかセンサーに命中しなかった。向こうも連射はできない。
〈どうしますか、みっちゃん〉
「今考えてる」
密島が木に登ることは想定内だったのだろう。プレイヤーたちは密島の位置からは死角になる場所に上手く隠れているため、反撃は難しい。それにさすがに三人は多すぎた。別の木に飛び移ることも考えたが、近くの木との間は距離が空きすぎており、縄でもない限り、それは不可能なように思えた。
どうする?
どう動く?
頭の中でいくつかのシミュレーションを繰り返すが、逃げ道は見つけられなかった。
万策尽きた。密島はため息をつくと、巾着に手を突っ込んだ。中から取り出したあんパンを口に入れる。
〈み、みっちゃん!?〉
「もう無理だ。じきにあいつらが登ってくる。接近戦なら勝てる可能性もある。だからその前に腹ごしらえしておかないと」
雨粒があたってふやけたあんぱんに顔をしかめながら、密島はついでに何か使える物はないかと巾着を漁った。だが、特にめぼしいものはないだろう。
「あ……」
だが、ふいに手にあたったそれを掴み、密島は小さく微笑した。
「いいもの見つけた」




