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鈴木一族の陰謀  作者: 仲山凜太郎
6/13

【6・暗躍、思惑、裏事情】

 部屋中に弦間の笑い声が響き渡る。

「いい、実に良い気分だ。予想以上の効果だ」

 鈴木家、弦間の部屋。五十畳はあろうかという部屋には、紅葉や聖人といった他の候補やスタッフたちがそろい、テーブルの上に並んだごちそうを囲んで今日の成果を祝っていた。

「今回の濃度はどれくらいだった?」

「七十%」

 紅葉が抑揚のない声で応える。表情も見られず、今の彼女は人形のようだった。

「それであれだけの効果が出たか。技術者の話では、繰り返せば民衆の抵抗感も減ると言うから、ますます効果が期待できるぞ」

「状況を考慮して使えば、九十%越えも可能じゃないかな。そうなれば、他の候補者だって僕たちの味方になるよ」

 ローストビーフを飲み込んだ聖人がうれしそうに

「そうなった時は、舞華ちゃんも僕の言いなり……恥じらいながら服を脱いで『聖人様のものにして』って足を開いて濡れた女の部分をぐげぇっ!」

 弦間の拳がめり込み、吹っ飛んだ聖人はそのまま床に強烈なキスをした。

「私は下品なネタは嫌いだ!」

「僕は大好き……エロネタ万歳……ぐえ」

 白目を剥いた聖人を、同じ顔をしたメイドたちが運んでいった。よく見ると、働いているメイドは全員同じ顔をしている。執事もそうだ。それもそのはず、ここの使用人の大半はアンドロイドである。男性型を執事に、女性型をメイドにしているのだ。

「せっかくの前祝いだというのに」

 苦い表情は、紅葉にも向けられる。

「まだあの男が気になるのか。あいつはお前を捨てたんだぞ」

「まだそうと決まったわけじゃありません」

 紅葉の声は、弦間に反論すると言うより、自分に言い聞かせているようだった。

「だったら、どうしてあいつは式典実行委員に入った? 選挙の手伝いなら、お前の手伝いでも良かったはずだ」

「それは……」

「あいつが式典実行委員になった理由はただ一つ、お前から逃げるためだ。違うか?」

 無言の紅葉に、弦間は満足そうに

「さっさと忘れろ。お前の彼氏にふさわしい男は俺が見つけてやる。何なら、真との婚約を復活させても良い。お前が自分で決めたことはろくな結果にならん。この前の休みの行き先だってそうだ。あんな事故に遭って、あんな男の血を受ける羽目に」

 紅葉の顔が強張ったかと思うと、いきなりテーブルの上の料理を更ごと払い飛ばした。

 料理ごと床に落ちた皿やコップが砕け、カーペットに広がっていく。

 肩で息をしながら、紅葉は弦間を睨みつけると、そのまま一言も発せず、彼女は部屋を出て行った。

 一同が無言で紅葉に視線を向けた。驚き、戸惑い、おびえ……今までとは明らかに違う紅葉に、皆がどう反応して良いか迷っている。

 メイドたちが静かに床に散らばった料理や皿、コップの破片などを片付け始める。

「鈴木喬太か……同じ鈴木の名字を持つものとして、多少は手加減するつもりだったが」

 手近なリンゴを一個取ると、弦間は素手でそれを二つに割り、かじった。

「いや、今は選挙が第一だ。今日の一件を重要視するやつがいないともかぎらん」


 空の主役が太陽から月へと変わって数時間。

 御代氏学園高等部第三校舎の一教室。

 明かりはついているが、窓には分厚いカーテンが引かれているため中の様子は外からは見えない。そんな中で、高橋一佐は一人珈琲をすすりながら、携帯プレーヤーで音楽を聴いていた。ベートーヴェン作曲・ピアノソナタ十四番「月光」

 学園六大一族のひとつ、高橋一族のリーダーであり、生徒会選挙の本命である彼がなぜこんなところで一人でいるのか。

 教室の扉がノックされ、廊下で見張りに立っていた高橋十兵衛の声が。

「お頭、待ち人だ」

「入れてくれ。それと、頭というのはやめてくれ」

 一佐はプレーヤーを止め、ポケットにしまった。

 扉が開き、数名の男子学生が現れた。教室に入ろうとした彼等の前を十兵衛が木刀で通せんぼし、

「一人だけでお願いする」

 言われた地味な顔をした先頭の男が、一緒に来ていた仲間を押しとどめて自分だけが入る。

 扉が閉められ、教室には、一佐と彼の二人だけになった。

「こんなところに呼び出すなんて、密会みたいだな」

「男女でないのが残念かい。山田一族若頭・山田軍平くん」

「男同士で僕は良かったな」

 途端、一佐が椅子ごと後ろに下がった。

「あいにくだけど、僕が恋愛対象としているのはあくまで異性、女性だ」

「勘違いしないで」

 軍平は渋い顔になり

「恋愛関係は苦手なんだ」

「進級前にふられたそうだけど、まだ立ち直っていないのかい」

「相変わらず高橋一族は地獄耳だな」

「卓越した情報収集力と呼んで欲しいな。情報は大きな力だ。相手の知らないことを知っているというのは、それだけで優位に立てる」

 一佐は立ち上がり、軍兵に握手を求める。

「悪いけど、握手は話がまとまるまで延期するよ。それより、本題に入ってくれ」

「そうだな。でも珈琲ぐらいはいいだろう?」

「いや、自分の分は持っている」

 水筒を見せられ、一佐は肩をすくめて座り直す。軍兵は立ったままだ。

「今日の放課後に起こった鈴木一族と田中一族の乱闘騒ぎは知っているな」

 軍兵の表情も硬くなる。

「止めようとした佐藤一族が負け姿をさらした一件か。痛快だと喜んでいる生徒もいる。佐藤一族の正義の味方っぷりを嫌悪する生徒は少なくない」

「僕は正義の味方は嫌いじゃないな。自分を正義と同一視しないうちは。で、彼女たちがなぜそんな負け姿をさらしたかは?」

「聞いている。その場の生徒達がこぞって鈴木一族に肩入れし始めたとか」

 腰から水筒を取り出すと、簡単に喉をしめらせて続きに入る。

「高橋一族ではどうだ。ご自慢の情報収集力を生かさないのか」

「もちろん、調査中だ」

 一佐はおどけるように肩をすくめ

「しかし未だ情報不足、原因不明、理解不能。山田一族はどうだい? 君たちは我々とはまた違った情報収集法を持っている」

「調査を始めたばかりだ。原因不明である以上、あれが鈴木一族が意図的に起こした現象である可能性がある。というか、その可能性が高い。現象が起こった時の弦間の反応を見ればね」

「鈴木弦間は危険だ。支持率が低いと言ってあなどると痛い目にある」

 軍平は頷き

「鈴木家に何人か潜り込ませようとしているけど、さすがに鈴木一族の本家だ。そう簡単に入らせてはくれない」

「だけどのんびりはしていられない。あの現象が学園全体で、選挙の投票日に起こったら。今回、石をぶつけられたのは佐藤一族だけど、次の目標は僕たちかも知れない」

 二人が真顔で頷き合った。

「そこで提案だが……手を組まないか。あの現象を考えると無族票は期待しない方が良い。そして山田一族の人気では全員落選するのは明らかだ。我々高橋一族も、優勢ではあるものの確実とは言えない。舞華さんは強敵だ。けれど、山田一族の票をもらえれば確実に会長の座を手に入れることができる」

「会長票を高橋一族に回すことで、山田一族に何のメリットがあるんだ?」

「会計か書記の椅子でどうだ。今週中ならば立候補の役職変更ができる。そうすれば確実に生徒会の椅子を一つとれる。今のままだと山田一族は全役職で落選するだろう。あの現象なしでも無族票の取り込みもうまくいっていないようだし」

 痛いところを突いてきたと軍兵は苦笑い。

 山田軍平は決して無能ではないが、顔がひたすら地味という欠点がある。実際に会って話すことができれば、彼の有能さがわかるが、街頭演説などを見るだけでは、どうしても印象に残りにくい。無族票にアピールするには決定的なパンチ力不足なのだ。

「前の彼女は地味で真面目なところが良いって言ってくれたんだけど」

「選挙が終わったらよりが戻せるよう頑張りたまえ。選挙中は立場上、動くわけにはいかないだろうけど。式典実行委員なんだろう、元カノ」

「みんな調査済みってわけか」

 肩をすくめる一佐だが、その顔は真面目のままだ。

「それで山田軍平氏の答えは?」

「鈴木一族にしっぽを振っておこぼれをもらうという手もあるけど」

 その言葉を一佐は鼻で笑う。

「鈴木弦間はしっぽを振ってきた人をブタめと軽蔑する人だよ」

 口元をほころばせる一佐だが、目は笑っていない。

 軍平は五秒ほど考え、

「書記の椅子をもらおう」

「書記ですか……。わかりました、翔子は僕から説得しよう。ちょっと骨が折れそうだけど」

 彼女のむくれ顔を思い浮かべ、一佐はこれからの難問に苦笑いした。

「それと、会計では協力はしない。会長を君にする以上、それ以外の役職は一つたりとも高橋一族に与えるわけにはいかない。これは僕たちの勝利のためではなく、鈴木弦間を敗北させるための連立だから」

「会計は実力で手に入れればいいだけだ。鈴木紅葉は強敵だが」

 言いながら一佐は右手を差し出した。

 軍平がそれを握り帰す。高橋一族と山田一族が連立を組んだ瞬間だった。


 スピーカーから流れる波の音に混じって、ソロバンをはじく音がする。

 鈴木家。三十畳近い紅葉の部屋は和洋折半、畳敷きとフローリングできれいに半分に分けられている。今、紅葉は畳の上、ちゃぶ台を前に座布団に座ってソロバンを弾いている。

(喬太さん……)

 いくら波の音を聞いても、ソロバンを弾いても落ち着かない。校庭で石をぶつけられ、弦間に叩きのめされた喬太の姿が頭から離れない。

 何より、彼がああなっている原因を自分が担っているという事実が彼女を打ちのめした。

 彼が式典実行委員会に入ったとき、彼女は自分が見捨てられたと感じた。

 紅葉は今まで鈴木一族が用意したレールに乗っていた。特に不満はなかった。レールは彼女の好む方向に進んでいたから。でも、何か物足りなさがあった。そんな中、今回の選挙に立候補というレールが引かれた。たかが高校の生徒会会計といっても、御代氏学園の生徒会予算は年間で億に届く。今までのように何となく、まぁ良いかで引き受けて良いのか?

 それがこの夏、夏休みの過ごし方を自分で決めるという行動に出させた。強い決意があったわけではないが、自分なりに納得するだけ考える時間が欲しかった。誰もいない、一人で考える時間が。

 そして喬太と出会った。

 死にかけ、そして蘇った。喬太の血によって。

 家に帰り、いつもの日常が戻った時、彼女はつくづく喬太との出会いは運命だと思うようになった。彼が鈴木なのも、速やかに自分と一緒にいられるための運命の配慮だと感じた。会計立候補のレールは、実はこっそり彼とつながっていたのだと感じた。あの話がなければ、自分があの別荘に行くこともなかったのだから。

「ソロバンだって、自分で弾かなければ珠は動かない」

 一人頷くと携帯電話を取り出し、喬太にかける。着信拒否されていた。

 目を閉じ、仰ぎ、考える。

 扉が叩かれた。

 誰だろうとドアの脇にあるモニターをつける。映し出されたドアの外側、廊下に真が立っていた。まっすぐカメラに真顔を向けている。

 鈴木真。紅葉のスタッフとして参加しているこの男、昔風の言い方をすれば「気は優しくて力持ち」田中一族にも負けないがっしりとした筋肉質の体。ちょっと幼い印象を受ける四角い顔は、その外見と優等生的な性格のせいで、一部の女の子に「しょくぱんまん」などと呼ばれている。

 真は紅葉にとって本音を見せられる数少ない鈴木一族だった。体が大きいので目立つが押しが今ひとつ、しかし人は良い。そこを見込まれて、夏までは親同士がいずれは「紅葉と真を結婚させよう」と考えさせていた仲だった。

 そんな親の思惑に、二人もお互いに「別に不満もないし、この人なら」と思っていた。だが、それは紅葉が喬太に出会うまでの話だ。

 紅葉がドアを開け、真を招き入れた。

「どうしたの?」

「僕に手伝えることはないかと思って」

「え?」

「何かする気だよね」

 驚いたように紅葉が見上げると、わかってますと言いたげな真の目があった。

「僕のことは気にしないで。約束していたろう。お互い、別に好きな人が出来たら素直にそれを言って、婚約は解消する。紅葉はその通りにしただけだ」

 紅葉を促すように

「それとも、僕は信用できない?」

 黙って紅葉は首を振った。でも

「お兄様を裏切ることですけど」

「僕は紅葉の味方だ」

 紅葉を見つめる真の目は、どこまでもまっすぐだった。


 それから二日後。

「日本は民主主義だ!」

 御代氏学園最大の広さを誇る第二中央グラウンド。そこで行われている弦間の演説は千人を超える聴衆を集めていた。

 弦間が言葉を切るごとに歓声がうなりを上げ、一斉にウェーブが起こる。

「民主主義の力は数だ! 日本で一番多いのは鈴木の名字を持つ者だ! したがって、日本では鈴木の名字を持つ者が一番強く、正しいのだ!」

 隅で会場の警備をしながら、喬太は頭を抱えたくなるのを必死で押さえた。

「よくここまで勝手な理屈を並べられるよ。日本で一番多い名字は佐藤だろう」

 この疑問は以前、新聞部の一人が弦間にぶつけたことがある。

「佐藤一族がねつ造した見せかけの真実だ。鈴木一族の調査では、鈴木が日本で一番多い名字であり、これが紛うことなきもう一つの真実なのだ。民主主義の根源は多数決だ。多数意見こそが正義なのだ。そして、日本で一番多い鈴木こそが、日本における勝者なのだ!」

 無茶苦茶だという喬太の思いと、聴衆たちの大歓声が重なった。その声は彼にとって不快でしかなかった。

 自分の価値観と周囲の価値観がずれている。それが怖かった。いくら自分は間違っていないと言い聞かせても、周囲の空気は間違っているのはお前だと叫んでいる。空気を読めと嘲っている。ここにいるだけで、自分がどんどん孤立していくように思える。

 一瞬、喬太と壇上にいる弦間の目が合った。

(何を迷っている。お前も鈴木の一人なのだぞ。こっちへこい。紅葉も待っている)

 そう言われたような気がした。

 そうすればずっと楽になれると喬太の胸の奥で何かがささやいた。それだけじゃない。鈴木紅葉という実力者の恋人として優雅な生活ができると。

 壇上から弦間がおり、続いて会計候補の紅葉が上がる。

「よく、お金で幸せは買えない、お金で愛は買えないと言われています。その通りです。でも、お金があったら幸せにはなれないのでしょうか? お金持ちは真実の愛を育めないのでしょうか? そんなことはありません。

 お金がないと手に入らないものはたくさんありますが、お金を持っていると手に入らないものはありません。大事なのはお金を持つ持たないではなく、持っているお金の使い方です」

 喬太は首を傾げた。演説なのにどこか覇気がない。しかも、最後の言葉は聴衆ではなく、自分に向けられたような気がした。

「でも、お金をうまく使うというのはとても難しいこと。一つ間違えば、欲しいものを手に入れるどころか、遠くにやってしまう」

 紅葉と目が合った。彼女は演説を続けながら微かに首を横に振った。

 それが喬太にはこちら側には来ないでと言っているように思えた。

「御代氏学園には、使い道を生徒たちに任されているお金があります。私は、そのお金をうまく使いたい」

 その時、生徒の一人から「財テクでもして増やすのか」と意地悪そうな声が飛んだ。

「増やすというのは手段。何か大きなことをするために増やすのならともかく、増やすこと自体が目的になってはいけません。何かをしたい、そのためにはこれだけの予算が必要、だから何とかそれだけのお金を作る。それが増やすということです」

 いつの間にか紅葉の言葉に力がこもり始まる。無意識にだろうか、紅葉の親指と人差し指がリズミカルに動き始めた。ソロバンの珠を弾く動きだ。

 紅葉の演説は、具体的に生徒会の費用問題に入り始める。知らず知らずのうちに喬太は紅葉の言葉に耳を傾けていた。

「そろそろ時間よ」

 いきなり耳元で言われて、喬太は「ひっ」と驚いた。花崗が立っていた。

 慌てて喬太が持ち時間が終わる合図を送る。

 壇上の紅葉が、喬太の方を見て顔を曇らせる。それが彼には、花崗を見ての反応に思えた。

 紅葉に対する拍手は妙にばらつきがあった。

「堅いこと言うなよな。予算なんかに縛られたら面白いことなんかできねえだろう」

「予算を何とかするのが会計の仕事だろう」

 そんな声に喬太は不愉快になった。家が裕福でなく、生活費を稼ぐために毎日疲れた顔をしている母の姿を目の当たりにしてきた彼は、この手の発言はどうしても好きになれない。希望を叶えるためには、そのための予算を作るべく奔走する人たちがいる。その人達を崇めろとは言わないが、少しは感謝を向けても良いのではと思うのだ。

「喬太くん、式典実行委員会は」

「……すべての候補に中立です。好き嫌いによって差をつけることはしません」

 花崗の言葉に姿勢を正す。

 壇上に書記候補の鈴木聖人(せいと)が上る。喬太は彼についてはよく知らない。ただ彼を知るものは口をそろえて「変態」と語る。

 キノコのような髪型を軽く手櫛で整えると、聖人はマイクを手に

「おっぱい最高ーっ!」

 天まで届けとばかりに叫んだ。途端に聴衆たちからおっぱいコールがわき上がる。

 続いて、より大きな声で

「【式典実行委員会による検閲により削除】ーっ!」


 ……中略……


「頭が痛い」

 山のような書類を前に喬太は頭を抱えた。

 鈴木一族による街頭演説は大混乱で終わった。削除されたセリフに続いて、聖人が有名女生徒たちのスリーサイズやら乳首の色などを語り出し「みんな女生徒の裸が見たい。いつでも見られるように女子の制服を全裸とする校則を」と訴え、弦間が「下品な公約は認めん」と聖人を殴り倒し、

(考えるのも馬鹿らしい……)

 結末になった。

「とにかく、聖人候補には明日にも事情を説明させるわ」

「ただでさえ討論会の準備で忙しいって言うのに」

 三日後に各候補者による討論会がある。午前中の授業を丸ごとつぶして行う、生徒会選挙の山場であり、ここでの成果が当落を決定すると言われている。候補者達はみんなこの討論会にあわせてスケジュールを組んでいる。

「あたしは忙しいのは好きだけどね。はい、お疲れ様」

 と花崗がパソコンの電源を落とす。防犯のため、このパソコンはメールなど外部とつながらないようになっている。

 時計を見ると、すでに午後九時を回っていた。

 式典実行委員会の一室。鈴木一族の演説会の後始末と討論会の準備で二人は居残り作業をしていた。とはいってもまだ高校生。午後九時には下校することになっている。

「この時間じゃ、帰っても寮の食堂は閉まっているでしょ。ご飯食べて帰ろう。奢るわよ」

 一時はあの乱闘騒ぎですっかり意気消沈していた花崗だが、今はすっかりいつもの調子に戻っている。それが喬太にはありがたい。花崗の威勢の良さが喬太は好きだから。

「いや、そんな。いいですよ」

「先輩の好意は素直に受けるものよ。奢るっていってもラーメンぐらいだから。西側通りに美味しい店があるのよ。喬太君は味噌と醤油と塩と豚骨、どれが好き?」

「豚骨」

 即答すると、花崗が残念そうに舌打ちし、

「残念、あたしは塩派なのよね。特に肉野菜炒めを山盛り載せた湯麺。あれは良いわ」

「厚めの焼豚を豚骨スープに浸した上で、細麺と一緒にすするのも良いですよ」

 わいわい言いながら校舎を出ると、夏の暑さがすっかり抜けた風が吹いている。林を抜けるせいか適度に勢いが抜けて気持ちいい。

 薄暗い街灯が照らす中、大通りを二人して歩く。夜になると人通りはぱったり途絶え、二人以外に人の影は見えない。見回しても、明かり一つない校舎は物寂しげだ。

 街灯の下に選挙ポスターを貼った看板があった。候補者達のポスターが綺麗に貼られ、通る人たちに訴えようと視線を向けている。

「また増えてる」

 苦々しい花崗の言葉に、喬太も眉をひそめた。

「予備のポスターが間に合いませんよ」

 各候補者のポスターのうち、鈴木一族の候補をのぞいて落書きがしてあった。ここ数日で急に増えた現象だ。最初は鈴木一族の嫌がらせかとも思ったが、犯人を何人か現行犯で捕まえてみると、みんな鈴木一族とは関係のない一般生徒だった。動機はみんな「こいつらがむかつくから」である。

 多くの生徒達が「なんとなく」鈴木を支持し始めている。

 これに困惑しているのが鈴木以外の候補者たちだ。しかし、何となく支持への対抗策は難しい。支持するのにハッキリした理由があれば、それに対する反論、別方面のアプローチもできるのだがそれがない。悪印象を植え付けようと鈴木の悪い面を語ればただの悪口になってしまう。ここ数日、鈴木以外の候補者たちの戸惑いは喬太にもよくわかった。

 特に美しさを強調する渡辺一族は

「私たちの美しいポスターを汚すなど許せません!」

 とポスターを貼り直しては落書きされ、また貼り直しては落書きされ。

「式典実行委員会は何をしているのです!」

 ついには怒りの矛先を喬太達に向けてきた。彼女たち自身、そんなことをしても見苦しいだけというのはわかっているが、どうしようもないのだ。むしろ「汚れたら綺麗にすれば良い」と笑いながらポスターを貼り替え、掲示板を綺麗にしている田中一族の方が好感を持てるぐらいだ。

 その渡辺舞華のポスターには「一票入れたらお●んこ見せます」と落書きがしてある。

 紅葉のポスターが喬太の目に留まった。真剣な目でソロバンを弾く写真で、脇には「お金の問題だから、きちんとしたい/生徒会会計候補・鈴木紅葉」とある。他の一族とは違って、鈴木一族のポスターには汚れ一つ無い。

 たとえポスターであっても、彼女と目を合わすのは喬太にはつらかった。

 例の乱闘騒ぎの時、屋上で見かけた彼女の姿。もしかして、この不自然なまでの鈴木びいきの心理に何か関係があるのではと思って話を聞こうとしたが、何だか顔を合わせづらいうえ、妙によそよそしい態度にどうしても声がかけられない。

 無理に話を聞こうとすると「委員会の横暴だ」と周囲から冷たい視線を向けられる。

 あの日以来、学園の雰囲気が少しずつ変わっていくのが喬太にもわかる。乱闘時のような空気が少しずつ、しかし確実に広がっている。今日行われた弦間の演説会だって、数日前だったら半分どころか一/五すら聴衆が集まったかどうか怪しかった。それが今や、ちょっとしたアイドルのゲリラライブ並みだ。

 特に紅葉への注目度はひときわ高い。ただでさえ鈴木一族で一番評価されていたのが、さらに底上げされたようだ。

「気にしているの?」

 花崗が喬太の背中に声をかけた。

「気にするって言うか、何て言うか……」

「ちょっとした話題になったものね。彼女があなたに貢ぎまくっていたって」

「そんな。鈴木さんが送ったものは本当に中古だったし、それに、授業のデータなんかすげえ役に立ったし」

「そうね。彼女は気になる人に喜んでもらおうって思っただけよね。それが悪意で見られ、貢ぐなんて言葉で表現される」

 気まずそうに目を伏せる喬太。その様子に花崗は微笑み、

「彼女、男の人に贈り物なんてしたことなかったから、加減がわからなかっただけよ。根はすっごい良い子なんだから。あなたの役に立ちたいって気持ちもあっただろうし」

 返事のない喬太の肩をポンポンと叩く。

「選挙が終わったら映画にでも誘ったら」

 喬太の顔が引きつった。

「そんなことして、また贈り物攻撃が始まったら……」

「同じ失敗は繰り返さないわよ。それに喬太くん、前ほど紅葉さんを敬遠していないでしょ。改めてやり直せば良いのよ。何だったら、あたしが間に入ってあげようか」

 屈託のない笑顔に対し、喬太の顔は苦笑い。

「結構です。それにしても、先輩っていつもそうなんですか。問題に首突っ込んで」

「まあね。つくづく思うわ。あたしって裏方体質、根っからの佐藤一族なんだなぁって。あたしの働きによってみんなが幸せになるって考えただけで背筋がぞくぞくと……。

 ああっ、あたしの中の『頼りにされてるカウンター』が上昇していく!」

 肩を振るわせ含み笑いする花崗の姿に、たまらず喬太が数歩下がった。途端、花崗が背筋を伸ばして振り返る。

「まあそれは冗談にしろ」

「冗談には見えませんでしたけど」

 喬太が引きつった笑いを向け、

「もしかして、先輩はそれで正義の味方をやっているんですか?」

「それでって?」

「自分の働きによってみんなが幸せになるって」

 その通りとでも叫びそうに花崗が満面の笑みになる。

「勘違いしないでね。あたしたち佐藤一族は正義の味方であって、正義そのものではないの。あくまでも、正しく生きよう、胸を張って生きようとする人たちのサポート役。当事者達より前に出るのは厳禁」

 風が吹き、花崗の髪が夜空に揺らめいた。

「とにかく、今は生徒会選挙を無事終わらせることに専念しましょ。今、あたし達が動いても却って紅葉さんに迷惑がかかるだけだし。終わってから、君たちのラブラブ化計画発動よ!」

「勝手にラブラブにしないで下さい!」

 喬太の文句にも、花崗は笑いで答えて歩き出す。その背中に、彼はまた言葉をかけた。

「人のことばかり言いますけど、花崗先輩には彼氏はいないんですか?」

 すると彼女は困ったように頭をかき、

「いないのよ。前につきあっていた男はいるんだけど……言われちゃった。デートの時ぐらい、正義の味方じゃなくて、恋人でいて欲しいって」

 花崗と彼氏の間に何があったのか、喬太には少しわかるような気がした。

「彼、結構タイプだったんだけどなぁ。地味だけど真面目で……」

 乾いた笑いが喬太の耳に届く。気のせいか、彼には花崗の目が潤んでいるように見えた。もしも彼にもう少し観察力があれば、花崗の視線が選挙ポスターの一枚に向けられていたのがわかっただろう。

「まあ、彼も我慢の限界だったってことで。正義も愛も偉大だけど万能じゃないわ」

「じゃあ、先輩は今、フリーですか」

「まぁね」

 花崗は気合いを入れるように自分の頬を叩き、

「それじゃ、この話題はここまで。ラーメン食べに」

 言いかけた花崗の目つきが変わった。喬太の背後をまっすぐ見つめている。

 瞬間、喬太は振り向いた。

 林の中で黒い影が動いた。その動きは速く、喬太が追いかけ始めたときは、遙か奥に消えていった。体に佐藤一族が使う装甲のようなものが見えた。しかし佐藤装甲とは違う。全身黒ずくめであれはまるで、

「忍者?」

 花崗の表情が厳しくなる。だが、彼女に背を向けていた喬太はそれに気がつかなかった。

「あれじゃ追いつけないか……どっかの一族のスパイですかね」

 振り返ったとき、すでに花崗の表情は元に戻っていた。

「かもね。委員会の動きを探るためだったら、妙なことはしないでしょ。とりあえず放っておいても害はないと思うわ。行きましょ」

 道を行きかけた彼女が足を止め、

「ところで、その前に忠告」

 彼女は喬太を怒ったように指さす。

「恋人の有無を聞くときは気をつけて。うっかりすると『この人、自分に気があるのかな』なんてとられるわよ」

(そう言う意味だったんだけどな)

 そう思いながらも、喬太は花崗の忠告に苦笑いで答えるしかなかった。

 実際、口にしたら気を悪くしそうだったが、紅葉よりも花崗の方が喬太の好みなのだ。しかし、あくまで彼女の方が好みと言うだけで、紅葉が嫌いというわけでもない。

(俺って、こんないい加減だったか……)

 花崗と別れた後。寮への帰り道で喬太は少し冷えた頭で考えた。紅葉の攻勢が嫌で、花崗がいいなと思って式典実行委員会に入ったのに、紅葉とこのままうやむやになるのが嫌な自分がいる。紅葉の態度の変化によっては、やっぱり彼女がいいかなとも思ってしまう。

 視線を感じて振り返ると、紅葉の選挙ポスターがあった。小銭をじゃらじゃらさせながら微笑む紅葉の横には「お金も心も寂しいのは嫌い。だから集まり大きくなるの」とある。

 それが自分を呼んでいるようにも思えた。

「紅葉も寂しかったのかな……」

 たった一度、輸血したと言うだけでここまで自分に尽くしてくれた彼女。それが怖くて振り払った自分。それを自分は後悔している。

「俺も、いつまでも逃げるわけにはいかないか」

 そっと指を伸ばすと、ポスターの紅葉の頬を、唇を撫でた。


 寮の自室に戻った時は、十時を過ぎていた。式典実行委員会でなければ門限破りで反省文を提出するところだ。

 カードキーで鍵を開けて部屋に入る。明かりをつけた途端、目を見張った。

 テーブルの上に白い封筒が置かれている。「喬太さんへ」とある宛名の字には見覚えがあった。紅葉の字だった。

「なんで今更」

 最初は破いて捨ててしまおうかと考えた喬太だったが、すぐに思い直した。

 紅葉は馬鹿ではない。いま、こんなことをするのがどんなに危険なことかぐらいわかるはずだ。一週間もすれば選挙は終わる。何かを話すならそれからでもいい。

 なのにわざわざ手紙を出したのは、今しなければならないからだ。

 喬太は手紙を開け、中身を読んだ。


【次回更新予告】

佐藤花崗「佐藤一族、佐藤花崗です。嵐の前の生暖かい風も終わり、いよいよ事態が動き出しそうね。私も勝負パンツをはいて挑みます」

鈴木聖人「勝負パンツ、どんなかな。やっぱり透けて真ん中からぱっくり割れて」

鈴木弦間「下品はネタは予告でも許さーん!」

佐藤花崗「私の勝負パンツは戦闘用特製スパッツのことよ!」

鈴木聖人「スパッツ、あの人類が発明したもっとも愚かな着衣か!」

鈴木紅葉(……兄さん達がバカしている間に、真、お願い……)

鈴木真(わかった。……次回更新『鈴木の空気』)

鈴木弦間「そこの二人、何をコソコソ予告している!」


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