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萩野孝浩

 けたたましく電子音を鳴らす目覚まし時計が憎い。

 毎朝の恒例行事だ。だいたい目覚まし時計を発明した人は何を考えてこんなものを作ってしまったのだろうか。これが開発されたせいで人々は惰眠を貪ることが許されなくなってしまった。

「知らない天井だ……」

 と、反射的に言ってしまう自分もどうかと思ったが、引っ越して最初の朝だ。言っておかねばなるまいし、この使命感が分かってくれる人もきっといるはずだ。

 どうでもいいことを考えてアラーム開発者へのヘイトを軽減し、むくりと体を起こす。部屋はまだ全く片付いていない。大小あらゆる段ボールと中身が部屋の中に散乱し、とりあえずマットレスとお布団を出したような、そんな状態だ。

 涼香さんは部屋の片づけがあるだろうと、夕べは出前を取ってくれた。お寿司美味しかったです。口は悪いけど、歓迎されてるみたいでよかったと思う。

 で、荷物の中から必要最低限の物資を探したり、カーテンを探したりしているうちになんだか面倒になって昨日は寝た。今日は金曜日で入学式だ。昼頃には解放されるだろうし、明日明後日は土日で休み。荷物を片付ける時間はいくらでもある。ひとまずは昨日のうちに薄いブルーのカーテンが見つかってよかった。

 これまた昨日ハンガーにかけておいた制服に手をかける。いわゆる学ラン。いかにも進学校の真面目な高校生と言った感じの詰襟だ。こういう進学校したがるところが嫌いだと涼香さんは言っていたが、すでになんとなく気持ちが分かってきた。青春するには地味な制服。優等生演出仕様。

自分が着る制服が地味でも女子の制服が可愛ければいい、そのほうがなんか青春っぽいと無理やり自分を納得させ、まずは白のカッターシャツに袖を通す。大きめのシャツが新高校一年生を実感させてくれる。中学一年の時も本当に大きめのシャツを着てたなあ、とかつての自分の姿と重ねてみる。待っていたのはスポ根にまみれた汗と涙の時代だけだったので、早々と中学の記憶をしまい込んだ。中学時代と今では求めるものが違うのだ。

 矢継ぎ早に黒のスラックスに履き替え、学ランと学生鞄を両手に持って部屋を出る。部屋を出て右の階段を下り、玄関と反対に進むと、システムキッチンとダイニングテーブル、四十型くらいの大きめのテレビが置いてあるくらいの質素なリビングにたどり着く。昨夜僕が座った席にはカップラーメンと、『月曜から飯当番よろしくな!』と殴り書かれたメモ用紙、あと千円札が置いてあった。昼飯はこれで食えということだろう。しかし一日の飯代に千円なんて。田舎の中学生にとって千円なんてそこそこの大金だ。やることが部活ぐらいしかないから、金も必要ない。千円手に入れたとこで、せいぜい駄菓子屋で使い込んでエセセレブ気分に浸るくらいの事しかできない。いやはや都会ってすげえし、高校生ってすげえ。涼香さんもなんかすげえ人に思えてきた。

 そしてこのカップラーメンである。サッカー部時代は部の方針でなぜか禁止されていた幻の食べ物。実家でも食育がどうとか適当にあしらわれて結局食べそびれていた夢のインスタント食品。それも気の利いたことにシーフード味だ。主に三種類ある味付けの中でこれを好むものが一番多いと思っていたくらいで、味について記憶はほぼ薄れている。これは楽しみだ。僕のテンションは登校前から最高潮。

 すべてが新鮮で、すべてが僕を後押ししてくれている。電子ケトルで湯を沸かし、三分間待っている間に千円札を財布にしまい込みながら、よくわからない優越感に浸る。滑り出しとしては最高だ。登校する前から、何百何千と計画を練ってきた僕の青春行動、そのうち一つ「カップラーメンを食べる」を達成できた。その事実が、僕を浮足立たせている。

 三分が経ち、封を開ける。あたりに立ち込める魚介とスープの匂い。適当にかき混ぜ、いざ食す。

 うん。旨くもねえし不味くもねえ。普通だ。いや、この普通こそが旨さの理由なわけだが、これは期待外れ。カップ麺はカップ麺でしかなかった。無駄に上がりすぎていたテンションがどんどん萎えていく。賢者タイムって怖くね。

 というか、そもそもカップラーメンを食べることのどこが青春だと言うのだ。僕の求めた青春はそんなのじゃない。昼休みに友達とこっそり学校の外に出て、教師にばれないようにコンビニで買ってきたカップラーメンを食べる。これは青春の一コマとして認めてよい。だが、自宅で食べるカップラーメンはただの飯で、それ以上でもそれ以下でもなかった。

 なのでそれからカップラーメンは適当に流し込んだ。歯を磨くべく洗面台へと移動する。僕の朝の戦いは、ここから始まる。しゃこしゃこと五分間ほど歯を磨いたら、それが開戦の合図だ。

 髪型のセット。僕のコンプレックスを隠すべく毎朝行うべき儀式だ。

 毎朝どうしてもやってしまう行動。右手で前髪を掻き上げ、人より少しだけ、ほんの少しだけ、いや人と変わらないんじゃね? と個人的には思うが、少し広いおでこを見る。これを隠すために、特に前髪は長めにカットしている。

 中学時代についた異名は様々だ。「ハゲ」、「デコ助」、「サッカー部のヘッド」、「ヘッドヅライディング」。さすがに笑ってしまったものには「ハゲのデコ広」なんてのもある。萩野孝浩という名前から蔑称をひねり出したセンスに脱帽した。

 それだけ言われ続ければ気にならないものも気になるようになるもので、デコの広さは僕の致命的なコンプレックスだ。とにかく前髪を下ろし、不自然にならないよう隠ぺいする作業に没頭する。よし。今日も完ぺきなカモフラージュだ。初日からクラスメイト達にイジられるようなことはない。と信じたい。

 そもそも初日からハゲキャラに定着するわけにはいかない。なんのために都会に出てきたのか、と聞かれれば青春を謳歌するためと答えるけれど、そんなキャラに定着してしまえば青春どころではなくなる。萩野孝浩のことをハゲのデコ広だと思っている奴らとの決別。そのために都会に出たというのも否定しない。むしろそのために都会に出てきたまである。

 だから今日は念入りに髪形を整えた。洗面所からリビングに戻り、学ランをはおり鞄を手に取る。玄関に向かい、やはり少し大きめの革靴を履いた。

 昨日はなんとなく開けてなんとなく家に入っただけで、この黒い扉の事なんて何も考えてなかったけれど、この向こう側に僕の青春が待っていると思うとなんとなく重たいような気がして、深呼吸して扉を開いた。昨日と何も変わらない光景で、ドアの前には赤い外車が鎮座していた。

家の前の小道を右に出て、突き当たった大通りを右にまっすぐ進めば、十分ほどで星洋高校に到着するらしい。涼香さんから教わった通りに、小道を右に進むと三分ほどで大通りに突き当たった。

大通りに出ると、星洋高校の新入生らしき制服姿と、その保護者のようなペアが散見された。考えてみれば、今日は入学式だ。親御さんが子供の姿を見に来るようなイベントでもあるわけだが、涼香さんは仕事だし、親父やおふくろだってそう簡単に都会には出てこれない。なので僕は一人で大通りを歩く。べ、べつに寂しくなんかないんだからね、っと。

 途中、何人かの女子生徒を見た。紺色のブレザーに赤いチェックのリボン、リボンと同じ模様のスカートとなかなか可愛い制服だったので満足した。一瞬涼香さんがこの制服を着ているのを想像して、あまりに痛々しかったので脳内データを削除。とりあえず僕は三年間学ランでも構いません。

 十分ほど歩を進めると、肩くらいの高さのブロック塀と、五、六メートルくらいの高さの金網の囲いが見えてきた。おそらくあれが星洋高校だろう。そのくらいになると僕の周りにも結構新入生が増えていて、人の流れに乗ってまっすぐ歩く。すぐに正門に到着することができた。

 正門は僕の歩いてきた大通りに面していて、こちらから見るとかなり手前にあり、敷地内に入ると校舎まで舗装された道が伸びている。歩道の右側には雑木林、左側には運動場。運動場は都会の真ん中の学校としてはかなり広く、部活生の先輩方がそれぞれ練習に励んでおられた。歩道の伸びた先には後者の昇降口があり、昇降口を中心にL字型の校舎と、正門側と反対側にそびえる大きめの体育館が、広めの校庭を囲っているような格好だ。こらそこ、説明が分かりづらいとか言わない。日本語が不自由なんだよ言わせんな恥ずかしい。

 昇降口の前には人だかりができていて、その両脇の掲示板に新入生のクラス分けが貼ってあるのか皆が張り紙を見てから校舎に入っていた。確認すると、萩野孝浩の名前は一年B組に振り分けられていて、B組にはもう一人知った名前を発見した。

「よう孝浩。久しぶりじゃん」

 軽薄な笑みを浮かべる流行ものの黒縁メガネ。校則ギリギリの茶髪。百八十センチに近づく長身。初日から学ランの第一ボタンを外し、鈍く光るメタリックな腕時計をつけているオシャレシティボーイの風貌。僕はこの相馬啓太という男を知っている。

「啓太いたのかよ、どっから湧いて出た。ってかいたんなら声かけてくれよ。友達だろ?」

「いや今見つけたとこだって。俺さっきまで教室いたんだけどなんか気まずくてさ。ほらみんな初対面なわけだからなーんか気を遣うって言うか」

「つーか何だよ。つーか僕から言わせれば初日からその恰好やりすぎ」

「チャラい言うな。十分清楚だ俺は」

 しばし中学時代に戻った感覚を味わう。このシャレオツ長身メガネは中学時代の同級生で、腐れ縁だ。幼稚園くらいから一緒にいるわけで、親友だと本人には言いたくないが、まあそういう間柄だと思っている。チャラい癖に学業成績はとどまるところを知らないくらい優秀で、田舎では神の子と呼ばれていた。同じサッカー部のキャプテンもしていて、県のベストイレブン表彰も受けていたほど身体能力も高い。天は全てを相馬啓太とかいう胡散臭い男に与えてしまった。

 本人的にはその神の子とか言われるほどの周囲からの過度な期待に嫌気がさして、田舎からわざわざ都会の美容室に行って髪染めたり、流行アイテムを買って来たりってことをしてたらしいけれど、まあ僕が語ることでもないだろう。ちなみに啓太は星洋高校の寮に入ると聞いている。

「まあとにかく教室が居づらいなんてレベルじゃないからさ、とりあえず一緒に行こう。一人だと身が持たない」

「はいはい」

 啓太に言われて、僕は一年B組の教室へ向かった。



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