4 ゴブリンスレイヤーズ
――ニアの心臓は強く鼓動していた。それは緊張か、一種の恐怖か。ニアには分からなかった。
4つの道から、隠れていたように『ゴブリン』達が出てくる。
醜悪で緑色の容姿。
身長は140を超えない程度で、それぞれが棍棒や長剣、短剣など、バラバラな武器を持っている。
総勢15体。
初心者プレイヤーレベルのニア達二人で倒せるとは思えない敵の数だった。
「――向こう側を頼む。ニア」
いつになく重苦しい声色のシンの声が心に響いた。
その声を聞いて、ニアは腹をくくった。
ニアが背中から太い両手剣を抜く。それに続いてスっという金属音が鳴る。
ニアは『ゴブリン』が動くより先に駆けた。握る剣に青い光の筋が灯る。
ソード系の基本スキル〈クレセントフラッシュ〉。三日月を描くような剣の振り上げ。
鮮やかな斬り上げ攻撃が、短剣を持ったの『ゴブリン』の胸を僅かに削った。瞬時の反応でその『ゴブリン』は避ける行動に移ったらしい。
スキルは『ゴブリン』の緑ゲージを二割ほど減らすに留まった。
スキルの後に出来た刹那の隙を付いて、棍棒の『ゴブリン』が振り下ろし攻撃を放つ。
ニアは棍棒を肘で受け止めた。肘にびりっという衝撃が走り、視界右上のHPヒットポイントゲージが一割ほど減った。
――そんなことを気にしている場合じゃない。
ニアは短剣を持つ『ゴブリン』の胸へと剣を突き出した。スキルではなく、通常の攻撃だ。
先程よりも距離を詰めていたせいか、両手剣は容易に『ゴブリン』の胸部へ刺さる。ゴブリンのHPゲージはすぐに緑から黄色、赤へと移った。
だらりとゴブリンの体が脱力する。
――〈燃える屍〉
ニアはスキルを心の中で唱えた。それはスキルを発動させる方法のひとつだ。
びりっという衝撃が体の中を走った。『ゴブリン』の棍棒がニアの体を叩き、他の『ゴブリン』の長剣が脚に突き刺さっていた。ニアは『ゴブリン』の攻撃を無視し、早くスキルが発動すること願っていた。
ちょうどニアのHPゲージが赤く点滅したその時。猛烈な爆発がニアの剣に刺さった屍から生じた。
耳を劈つんざくような音が坑道を駆け抜ける。
それは中規模なんてクラスの爆発ではなかった。建物を一つ飛ばしかねないような爆撃。
あまりに大きな爆発だったせいだ。ニアはしばらく呆然と佇んでいた。
爆発直後、もくもくと煙が立ち込めていた。しかし、やがて辺りの靄が少し晴れてきた。
辺りには火の粉が飛び散っていて、いくつかのゴブリンの死体と思わしきものも黒こげで転がっていた。それらが無駄にリアルだった。
「――そうだ」
ニアは振り返って靄の中を見渡した。
「おいおい……こんなデカいとか、マジで聞いてねえよ」
ニアはそれを聞いてほっとした。
煙の中からシンが現れる。両掌を天井へと向けて、首をぶんぶんと横に振っていた。やれやれと言いたげな雰囲気だった。
シンの頭上のHPゲージはほんの少しだけ残っていた。透明なゲージの中に、赤くて細い柱が通っている。
「良かった……ゴブリンと一緒にデスしたかと思った……」
「あー。まあ、ギリギリだったな。旅人だったら即死だっただろうけど、重騎士だった分だけなんとか耐え切れた」
「悪いことしちゃったな」
「いいってことよ。それに、滅茶苦茶良い火力高い攻撃スキルじゃねえか。マジですげえよ! ニア」
シンは突然テンションが上がり始めた。
対照的に、ニアの反応は冷めたもので、シンの言葉に首を傾げるだけだった。ニアにはこの危険なスキルの魅力があまりわかっていなかった。
こほんとシンはわざとらしく咳をした。
「まあ、とりあえずHP回復してから帰ろうぜ」
◇◆◇◆
ニア達は再びサザランドの街へと帰った。
そして街の中にある掲示板の横の、クエスト受付所へと向かった。
受付所には一人の青年が立っていた。愛想よく、こちらへ微笑みかけてくる。
恐らく、NPCだ。
「クエスト『ゴブリン大量発生!』の報酬ですね。15体のゴブリンを倒したという報告を受けています。報酬は4500ピアになります」
「そうだ、分配はどうする?」
「んじゃ、5対5で」
「わかりました。ニア様に2250ピア。シン様に2250ピアの報酬となります。またのご利用をお待ちしております」
そう行って、青年は頭を下げた。
――あれ。そういえば、シンってゴブリン倒したっけな?
全て自分が倒したことに、ニアはあとから気付いた。
クエストの報酬は受け渡しは実感がわかないイベントだが、アイテム画面を確認すると、いつも通りお金が入金されていた。
……微妙にリアリティが薄い。ゲームっぽいと言えばぽいけれど。
「それで、次はどうしようか?」
ニアはシンの顔を伺った。
「いや――今日はもう終わりにしとくか。向こうリアルでやらなきゃいけないこともあるしよ」
「そっか、わかった」
「んじゃ。またな」
そう言うと、シンはメニュー画面を操作した。
そのまま、粒子となって消えていった。
「んー!」
ニアはシンがログアウトした後に大きく伸びをした。現実なら足指が吊りそうな行動だが、こちらではその心配がない。
「んじゃ、ログアウトするかー」
欠伸を漏らしながらニアはメニュー画面を開いた。
メニューにはログアウトという名前がない――わけがない。
ニアはログアウトというボタンを押し、そのまま反射で『はい』という欄をタッチした。
そのままニアは目を瞑り――世界は暗転した。
◇◆◇◆
ニア――というのはもちろんプレイヤーネームだ。彼は日本人の、高校生である。
本名、近田道人。ニアという名前は近田の近いから取っている。
彼は柳浦高校に通う16歳の少年だ。平々凡々で、外見が童顔の男子高校生――だと言ってもよかった。
しかし、ある一つの理由で、道人は凡人と言えないかもしれない。
道人は頭に被っているヘッドセットを脱いだ。それをベッドの傍にある据え置きゲーム機の横に置いた。〈Eternal Job Online〉はそのゲーム機に接続して起動する。
道人はぼさぼさになった髪を掻いて、さらにぼさぼさにした。帽子を被った後の感触が嫌いだった。
「あっちゲームで時間見るの忘れてたな……」
道人はのろのろと足元がおぼつかないまま勉強机のほうへ歩いた。VRゲームを長時間した後は、まるで寝起きのような感覚があった。
道人は腕時計のような形をした機械を触った。
丸い形のフォルムの上外部にあるボタンを押すと画面が点灯し、バーチャルで浮き上がった。ちょうど一昔前のスマートフォンぐらいの、縦長の画面になる。
そこにはデジタルの時間が表示されていた。
11時25分。まあ、妥当な時間だろう。
そして、よく見ると、下に手紙のマークが表示されている。メールが来ているようだった。
道人がメール『チカへ』という中身を伝える気が更々ないタイトルと、その送り主を見て、少し顔が引きつった。心は嬉しいのだが、体が少し嫌がっているような感覚。
タイトルをタップしてそのままメールを開く――道人はすぐさま目を疑った。
『永井真姫
チカへ
明日、わたしの分の弁当を作ってきなさい』
「……はい?」
これは、道人の彼女である永井真姫からよく送られてくる、無茶苦茶なメールの一例にすぎない。