第九話
「何のために?」僕は驚いてゴーグルを通してナナキに聞き直した。「女王が? そこに?」
「そんなことを聞かれても、分からないよ」ナナキは驚きもせず答える。「とにかく女王が、あの入り口を通って、こちらに来た。もっとも、僕のところから見える範囲はごく限られているから、女王がこちら側の、どこへ来たのか、それにもちろん、何をしに来たのか、分かりようもない」
「それもそうか。でもそこにあるのなんて、たいしたものじゃない……ああ、もしかしたら単純に、用を足しに行ったのかもしれないしね。こちらの、彼女の部屋にトイレや浴室はなかった」
「こちらにはひと通り揃っているのに。ゲスト用に、ご自由にお使いください、ということだろうけど。でも、女王は浴室は使っていないと思うな。ドレスのままだったし、それほど時間も掛かっていない」
「映像は保存してある?」
「そちらに送るよ」
それからすぐにゴーグルが反応し、ナナキからデータを受信する。再生してみるが、残念ながら、あまり写りはよくない。大部分は普段ミツキが座っている座席が写っていて、その左手の窓から遠くに、小さく入り口が入っている。入り口が開き、女王と思しきドレスを着た女性の胸から上がかろうじて画面に入り、すぐ左に消えてしまった。
「追わなかったの?」
「あらかじめこんなことになるって分かっていたなら追っただろうけど。そんな予想は全くしていなかった」
僕だってそうだ、とミツキは頷く。
「時間は分かる? 画面にデジタルで表示されてるけど、これと、この世界の時間のズレは?」
「補正すると、16時12分だね」すぐにナナキが答える。「ほら、ルシナと一緒に彼女の家に向かっていた頃だ」
「その時教えてくれなかったけど……」
「一寸先は闇の夜」
「はいはい、悪かったね、その通り」僕が笑っていると、再び画面に変化が起きる。といっても些細な変化だ。また左手から女王がフレームインする。後ろ姿で、両手を前に出しているのか、腕は見えない。もちろん頭はある。ゆっくりと歩き、先ほどとは反対に、入り口が開くと、その中へと消えていった。
「時間的に考えても、5分弱」僕は考える。「トイレだろう、という推論は当たらずとも遠からず、かな。けど、正直あまりはっきりとは見えないね。ドレスは着ているようだけど、ナナキから判断して、今のが女王である確率は?」
「75%かな。ミツキのゴーグルごしに見た女王に、客観的には似ていると思う。似ている、というのは近似点が多い、という意味。けれど、顔までは細かく判別できない。雰囲気は遠からず、衣装の雰囲気が大きいんだけどね」
「分かった」
「ミツキ」ナナキが突然僕の名前を呼ぶ。「この事件に関わるの? ミツキには関係がないんじゃない?」
「関係ない、その通りだ」僕は同意する。「けど、ナナキなら僕のこと解ってるだろ?」
「だから、止めるべきだと判断した」
「なぜ?」
「殺されるかもしれない」
「関係ないのに?」
「動機が分からない」
「それなら、僕はもう殺されているんじゃない?」
「今犯人は分かっていない」ナナキは続ける。「今はまだミツキを殺す準備ができていない、つまり、犯人にとって絶対安全な状況にないだけかもしれない」
「かもしれない」僕はナナキの最後の言葉を繰り返す。「僕なら、犯人が分かるかもしれない。つまり、女王が殺されたのが、たまたま僕が来た日だったのか。僕が来たために、女王が殺されたのか、だ」
「分かった。それなら僕は協力する」
「ありがとう」
「けど、ナナキがいなくなるのは寂しいから、殺されないでくれよ」
「大丈夫だよ、ありがとう」
ナナキからの音声は途絶えた。なかなか殊勝な言葉だった。
とにかく、僕は今どうすればいいだろう? 犯人を探すのだとしても、分からないことが多すぎる。
女王が殺されたのか?
それ以外の誰かが殺されたのか?
どうして頭がなかったのか?
いつ殺されたのか?
誰が殺したのか?
そして、どうして、殺されたのか?
アルセトが今クルドに相談し、クルドが死体の検死をすることになる。そうなれば、最初の2つの疑問には答えが出るだろう。が、それで答えが出てしまうとなると、頭を切った理由が一層分からない。
目を閉じて、考える。
僕が女王と別れて、4時間と少し。女王がナナキのいる場所に現れてから2時間ほど。その時点で殺されていたのか、あるいは、あの後で殺されたのか。以前だとしたら、女王のふりをしていたのか。否、だとしたらドレスを着替える理由がない。ナナキの存在を知っていたはずがない。
だとしたら、あれはやはり女王だった。
部屋に戻り、そして、殺された。
わずか2時間。
多くの人があの建物に集まっていた。
……。
建物の中には誰が残っていたのか。
調べれば、分かる、だろうか……。
少し目を開ける、疲れているようだ。僕は立ち上がるとベッドに移動して、そのまま倒れるように眠りに落ちた。




