第六話
しばらく経つと左翼側の通路からマナミとエドが現れた。エドが台車を押していて、一人分の料理が載っている。2人は僕に気がついてこちらに歩いてきた。
「どうしたのですか?」マナミが眉をへの字にして聞いてきた。
「やっぱり酔ったみたいで」僕は言った。「タタラに介抱してもらっていたところ」
マナミはタタラを見た。タタラは顔を伏せる。
「まだあまり食べていませんよね?」マナミは言ってから、一度エドを振り返る。「今からアマナ女王に食事を届けてまいります。戻ったら一緒に食事をしましょう」
マナミがエドを探していたのはどうやらこのためだったようだ。僕は頷いた。それを確認すると、マナミとエドはエレベータへ向かった。
あそこのエレベータは、境界線だ。僕はぼんやりとした頭で考える。そのエレベータに2人は乗り込んだ。そして扉が閉まる。この世界と、外の世界とをつなぎながら、隔てている。外への道、この建物がそう呼ばれていた理由が僕には分かる。きっとそれを理解できるのは、ここに多く存在しないだろう。僕のような外からの訪問者と、あとは女王くらいか。マナミでさえも、理解しているとは思えない。
否、女王とて、最初から知っていたはずがない。誰かから継承されたはずだ。先代の女王か、あるいは王か。
今までの観測から、この世界はおそらくは宇宙開拓の黎明期、西暦で言えば20世紀の科学技術でできている。極単純な設計だ。もっともその時代に作られたわけではないだろうが。歴史的にその当時は、まだ宇宙に進出する必要性や逼迫性がなかった。が、この形式のステーションを想定しても、少なくとも10世代は経ているはずだ。
「大丈夫ですか?」僕が難しい表情をしているのに気がついたのか、タタラが心配そうに覗きこんでくる。「頭が痛そうです。もう少し水をお持ちしましょうか?」
「大丈夫」僕は笑ってみせた。「ちょっと、考え事してただけ。アルコールはお陰でだいぶ抜けたみたいだから。2人が戻ってきたら僕も食事をするよ。心配しないで」
僕は立ち上がり、背筋を伸ばして伸びをした。言ったとおり、ほぼアルコールは抜けている。頭を二度振る。意識もはっきりしている。僕の様子に安心したのか、タタラの表情も明るくなる。
入り口から外を見ると、人々の頭がたくさん見えている。パーティは続いているようだ。当たり前だろう。別に僕がいる必要がない。それから僕は再びエレベータを見た。アマナはあの上から出てこない。あそこでどのような生活をしているのだろうか。あの部屋にはまるで生活環境が整っていなかった。あれでは息が詰まってしまうだろう。それでもあの姿は、まさに女王然としており、その表情は、そう、美しかった。それは表層的な美しさではなく、人としての、生き方としての美しさだ。今思い出すと、つまりあの時すぐに理解できなかったのは、まだこの世界の、女王以外の人に会っていなかったからだろう。
そのエレベータが開く。中からエドがだけが降りてきた。
「……」エドの口が開く。音になっていなかったが、ゴーグルを通して分析する限り、大変だ、と言っているようだ。もつれる足取りでこちらに向かってくる。エドは僕とタタラを見ると顔を振り、そのまま入り口から外へ出て行った。
何事だろう。今の表情はただごとではなかった。目は大きく見開かれ、小刻みに顔は震えているように見えた。僕がタタラを振り返ると、彼女も不思議に思ったのか、首をひねって僕に疑問の表情を見せた。
すぐに彼は引き返してきた。一緒に、アルセトとギンナがいる。二人共表情が緊迫している。
「どうしたのですか?」僕は声をかけた。「何かあったのですか?」
「女王が……」エドが震えた声を出す。「とにかく来てくれ」
「いや、彼は関係がないだろう」アルセトが遮る。「彼はこのパーティの主役であるし、彼を巻き込むのは筋違いじゃないだろうか」
「何かあったのですか?」今度はアルセトに聞いた。
「だから、巻き込むことはできない」アルセトの目は真剣だ。だが、この状況で放置されるのは、精神衛生上よくない。明らかによくないことが起きている。そして、アルセトの言うとおり、関わらない、という選択が正しいのだろう。
「もう巻き込まれています」僕は言った。「上で、何かあったのですね? 何があったのですか?」
「……そうだな。確かに、この時点で巻き込んでしまったのは事実だ。だが、何が起きたのか、俺にも分からない。エドが説明してくれない」
エドを見るが、彼は震えている。
「とにかく、上に行ってみましょう」
ギンナが先頭を歩き、エレベータを操作する。僕とアルセト、それからふらふらな足取りのエドが、エレベータ内へと移動する。タタラはソファがあった所にそのまま立っている。ギンナが扉を閉めた。下方向に体が引っ張られる、軽い加速度だ。やがて透明な敷居に包まれて、周りの景色が見える。下方の、建物の前方に数百人のパーティ参加者が見えているが、それも次第に小さくなっていく。
やがてエスカレータは上空の広い部屋の隅に到着した。マナミが遠くに立っている。その視線はまっすぐ前へと向けられていて、僕たちが来たことに気がついていない。彼女は、女王の部屋の前に佇んでいる。
僕たちはマナミのそばまで来た。ようやく彼女は僕たちの存在に気がついた。が、何も喋らない。ただ視線はまっすぐ一点へ向けられている。僕はマナミの視線を追った。扉の正面だ。
「中に?」アルセトが聞いた。マナミが微かに頷く。「開けてもいいですか?」
再びマナミが頷いたのを確認して、アルセトは扉に手をかざす。それに合わせて、ゆっくりと扉が左右に開いた。
女王がいた。
否。
女王はすでにいなかった。
僕は部屋の中を凝視した。
ギンナが短い悲鳴をあげた。それに釣られるようにして、マナミが膝から崩れ落ちる。アルセトがとっさに支える。
部屋の中央。椅子に女王が座っている。否、それは女王ではない。女王の形をしたものだ。僕が彼女に会った時と同じ薄青色のドレスを身にまとっている。両手を膝の上に載せていて、そう、まるで、マネキンだ。
だが、そのマネキンには頭がついていなかった。
僕は室内に入ろうとした。それをエドが抑える。
「そこから先は入ってはダメだ」彼は僕を睨んだ。「女王の間だ」
僕は彼を睨み返した。
「ここが境界なんだ。女王の世界であり、すべてでもある」
「そんなこと関係ない!」僕は叫ぶ。「あれが女王? アマナなのか?」
「ここを越えてはならない。規則なんだ」
「僕は知らなかった。それだけだ」僕はエドを振りほどいて部屋に入った。自分でも、どうしてそんなことをしたのか、分からない。そんなことは僕がやることじゃない。ただ、あまりにも信じられなかった。あまりにも、現実的じゃなかった。
首がない?
ゆっくりと椅子へと近づく。後ろからは何の声もない。
これは、人、だったものなのか?
部屋の外からでは、分からない。
もしかしたら、
という期待をしていた。
僕はさらにゆっくりと、膝の上にある手を持ち上げた。
それは間違いなく、人間のものだった。




