第二十一話
らららら
首筋に冷たさを感じる
動けない
か細い手だ
冷たい、冷たい
強く、僕の首を、絞める
締める、締める
(夢だ)
僕は言い聞かせる
(懐かしい夢なんだ)
冷たい手は首から離れる
首が落ちる
僕の前に首が転がる
女王の、ティアマの
(夢なんだ)
僕はもう分かっている。
僕が来なければ起きなかった。
僕が来たから起きた。
僕は利用された。
僕は運がなかった。
僕のせいだ。
僕のミスだ。
(夢なんだ)
らららら
歌が聞こえる。
・
昨日の夜のうちにクルドたちがギンナの死体を下に運んだのだろう、秘書の間には今誰もいない。僕はゴーグルを通して状況をトレースし、ギンナが座っていた椅子に腰かける。念のため他に針のような時限装置が準備されていないかと注意したが、それはどうやら大丈夫のようだ。
ゴーグルからケーブルを出して、キーボードの近くにあった端子に刺す。それから僕は椅子を回して、反対側の、ちょうどモニターに映った女王の間を見る。画面の端のクローゼットのあたりでマナミがドレスを選んでいる姿が映っている。
「ミツキ、やはり簡単なプログラムだったよ」ナナキからすぐに返事が来る。「うん。つまり、これでどうやって女王が消えたのか説明ができる」
「つまり彼らの説明が正解だったし、僕が関与する必要もなかったってことだね」
「女王としての目的はそれで果たされた」
「マナミは、アマナがいなくなったことを隠していた。それで、女王がいなくなったことをどうにかして他の人に知らせる必要があった。隠し通せない、という意味だね」
「そのために、女王が外に行った、と観察されるような客観的な状況を作り出す必要があった」
「どうして、ただいなくなった、じゃ駄目だったんだろう?」
ナナキからの返事はない。正面の映像の中央の位置にある豪華な椅子に、僕の今の姿が映し出される。来た時と同じ格好だ。僕は顔だけを左に向けた。マナミが僕に気がついて、驚いた声を上げた。
「やだ、ミツキ、いつの間に入ってきてたの?」マナミの声が後ろのコンピュータを通して、僕のゴーグルへと伝わり、音声となり聞こえる。「一応私、着替えてるんだけど」
「エレベータで上がってきていたことには気が付いてたでしょ?」僕が発した声は大きくないけれど、マナミには聞こえている。おそらく、椅子の背もたれあたりに小さなスピーカーがあるのだろう。「扉を入って来たの、気が付かなかった?」
「全然気が付かなかった」
「つまり、こうやってマナミは女王の恰好をして、僕を迎え入れたんだ」
マナミが驚いて、椅子のすぐ近くにやってくる。それからゆっくり正面に回り、僕の顔を覗き込む。
「本当、に?」
「触ってみれば分かるよ」僕の言葉に、マナミの手が延ばされ、僕の顔を触ろうとする。もちろん、そこには何もない。
「どうして?」
「前ここに来たとき、僕はようやくスタート地点に立ったって言っただろ? あの時、マナミが言ったんだ。女王でなければ知らないことを」
「ティアマのこと?」
「もっと前の発言だよ。マナミは僕の専門が古書だと知っていた」マナミの目が、ようやく気が付いたのか大きく開かれる。「あれは、僕が外で入力した情報で、女王しか知らないことだった。女王は、そのあとすぐに失踪していた。つまり、あの時僕が会った女王は、マナミだった。あるいは、僕が女王と話すところを聞いていた。あの後いろいろ調べたけれど、女王がどこかへ行けたはずがない。他の住民たちは単純に外に行ったと解釈したけどね」
「それでいいじゃない」
「そうだね。もし僕が余計なことをしなければ、それで終わっていた。僕がこんなに事件に関与するなんて、想定外だったんだろう。だけど僕はね、外に誰も出て行っていないことを知っている。つまり、このような技術と同じで、僕は外の扉をずっと映像に録画していたんだ。だから女王が外に出て行っていないことを知っている」
「そんなはずないわ」
「もちろんマナミが外に出てきて、ティアマのふりをしていた向こうの女王の死体を持ってもう一度中に入ったことは知っているよ」
「……」
「でもそれは、マナミの犯行じゃないけどね。どうしてもこちらの住民じゃない死体が必要だったから持って来たんだろうけど」
「ええ、そうね、その通りだわ。私の犯行じゃない。私は演出をしただけだもの。アマナがいなくなった、その事実を受け入れるしかなかったんだもの」
「なら、隠さなければよかった」
「どうすればいいか分からなかった」
「時間を稼いだ。利用しようと思った。獲物を、罠にかけるために」
「違うわ」
「そう、違う。あまりにもずさんな計画だった。だから、僕はここでマナミに厳しい一言を告げなくちゃいけない」僕はここで一呼吸を置いてから、続ける。「本当は誰を殺すつもりだったのか」
マナミの顔が強張る。僕を睨んでいるし、もしそこに凶器があったとしたら、僕は殴り殺されてしまうかもしれない、と言わんばかりだ。もっとも、目の前にマナミがいようとも、僕はそこに存在していないので殺されることはないが。
「保険はいくつしてある?」
「何のことかしら?」
「ギンナが秘書の間を調べることになったとき、さぞかし焦っただろうね。まだ女王になっていなかったマナミには誰が秘書の間を使うのかを決める権限がなかった」マナミの瞳にはまだ強さがある。「けれど、ギンナが死んでしまい、焦ったはずだ。下手な電話をギンナの奥さんにしているしね」
「知らないわ、何のことかしら」
「データを解析すれば、ここから電話を掛けたことはすぐに明らかになる。ここでマイクを通して話せば、ギンナの声に似せることはできる」
「私には分からない!」
「そう、コンピュータに弱いのなら、できない。だからマナミは弱いふりをしていたんだ。でも実際は違う。女王としてしっかりと教育を受けていた。だからもちろん秘書の間の、このコンピュータを使いこなすことができるし、女王の間から外への扉を開くこともできる」
「知らないわ」マナミが同じ言葉を繰り返す。
「残念だけど、マナミがそこの女王の間から外に出てきている映像を僕は持っている。これは、少なくともマナミが外の扉の開け方を知っている証拠になるよ。それに、マナミは秘書の間の洗面所を使ってるって言ったけど、それならギンナが作業してるところなんて見えるはずがなかったし、僕が彼の死を告げた時に、驚くはずもなかった。ある意味、あの演技じゃない悲鳴は見事だったけど」
強張っていた表情が、徐々に崩れていく。
「それじゃあ、質問を戻すよ。マナミが殺したかったのはギンナじゃない。だとすれば、こんなにも回りくどいことをして、誰を殺したかった?」
「……どうせ、もう分かってるんでしょ?」
「可能性を考えると、エドしかいな」
「ほら、分かってるんじゃない」
「でも、どうして? マナミもエドのことを好きだと思ってたんだけど」
「理由なんて、いくらでもつけることができるわ。ただ私が女王になったら、って、もう女王になってしまったんだけど、拒否ができなくなるからかしら。女王なんて、本当苦痛な職業よ。飢えた男どもの慰み者でしかないんだから」
「ここの住民はみな落ち着いて見えるし、そんな強引な人なんていないと思うんだけど」
「思ってるだけでしょ。二人きりになれば、獣そのものよ、男なんて。あーあ、ミツキがお相手だったらよかったのに」
「僕とじゃ子供ができないけどね」
「あら、ミツキは無精子症なの?」
「女性と女性じゃ子供が生まれないんだよ」
「嘘ぅ、男性って入力してたじゃない」
「それって自白ってことでいいの? あそこに入力した文言なんて、ほとんどが嘘だよ」
「古書が専門っていうのも?」
「専門って項目が意味不明だったから、まぁ、興味がないわけじゃないにけどね」
マナミの表情は落ち着いている。あきらめたのだろうか、抵抗する様子もすでにない。
「もう一つ、聞きたいことがあるんだ」僕の発言に、どうぞ、とマナミは答える。「僕が調査するのにどうして協力してくれたの? この結末だって予想できたはずだ」
「理由は二つかしら」ゆっくりとマナミは姿勢を正す。「一つは、どうせ解けないと思っていたし、解けても目的が達成されてからだと思っていたから。もう一つは、こうして止めてくれるかもって期待してたのかもね。だけど……」
マナミが突然走り出して、女王の間の扉を開けた。その先の広間にはアルセト、クルド、エド、そしてラーサがいる。
「だけど、ここまで準備されてたんじゃ、私も逃げようもないわ」
「保険は大目にかけておかないとね」
僕も秘書の間から外に出た。