第二話
旧式のディスプレイに文字列がいくつも並んでいる。
「どの言語をご利用になりますか?」
すべて同じ文句だ。ゴーグルを外してみるとわかるが、それは英語からフランス語、ロシア語、スワヒリ語、古い所ではラテン語、さらにはあまり普及を見なかったエスペラント語と、とにかくあらゆる言語がそこに並んでいる。おそらくそこから先の質問ややりとりは、その言語で行われる、ということなのだろう。ディスプレイ同様旧式のシステムだ。僕にはゴーグルがあるから、言語なんて関係がない。
「ナナキ、これ、どうすればいいのかな?」僕は口を動かした。その動きはゴーグルから伸びたマイクを通して電気信号となり、ホストのマシンへと伝わる。そのホストのマシンにナナキと名づけたのは僕なのだけどね。マシンに対して名前をつける人はあまりいないようだけど、僕としては悪くない選択だと思う。
「選べってことだろ?」
「どうやって選ぶのかな。音声の認識システムは内蔵されていないようだけど」
「ディスプレイの下にキーボードがない?」
「キーボード?」僕はナナキに言われて、ディスプレイの下を見るが、別に何も見当たらない。ディスプレイは床から伸びた簡易テーブルとほぼ同じ大きさで直接備え付けられているようで、下を見ても自分の足がわずかに見えるだけだ。「鍵の板って何?」
「鍵の板じゃなくてキーボード」ナナキは僕の言事もう一度英語に直して続ける。「まぁ、旧式のホストと人間とをつなぐためのディバイスのことなんだけど。今じゃあまり見かけないね。もしかしたらナナキの実家の倉庫に眠ってるかもしれないよ」
「残念。倉庫なんて無駄なものはないよ。それで、どうしたらいいのかな?」
「画面に触ってみたらどうかな。タッチパネルと呼ばれるシステムかもしれない」
「触ればいいんだね」僕の指は適当にディスプレイの文字に触れた。残念ながらどの言語を選んだのかは分からなかったけれど、一瞬画面が暗くなると、切り替わり、画面にはいくつもの質問が羅列されている。名前、年齢、出身、職業……。
「これは何だと思う?」
「答えてくれってことだろ?」
「必要?」
「さあ」
僕は肩をすくめた。ナナキの能力ではその程度の返事しか期待できない。いつものことだ。だからこそパートナーとして最適なんだ。
「まあいいや」画面を見ながら、僕はさらに画面に触れる。「どの道、このまま帰るわけにもいかないしね。そう大きくないとはいえ、きちんと順序を踏むのが正しいだろうし」
「このまま帰ってもいいんじゃないか?」
「うん、そうだね。それも悪くない意見だ。けどね、どんな事情にせよ、断りって必要だと思うんだ」
「それならば、わざわざここにエネルギーチャージのシステムを置いておくはずがないし、わざわざこんな質問攻めにする必要もないし、簡単にいえば、こんなシステムにしないのじゃないかな?」
「古き良き世界」
「今のは質問の答えか?」
「ああ、気にしないで、独り言だから」
「分かった」
単純にこういう旧世界の遺物に興味があるだけだ。もしかしたら面白い発見もあるかもしれないし、ということをナナキに説明しても、そんな情緒的なことは分からないと彼は返すだろう。声に出さないように笑い、切り替わったディスプレイを見る。シンプルな文字盤が現れていて、最上段に名前と続いてアンダーライン。文字を順番にタッチすれば入力できる、ということだろう。
「面倒なシステムだね」僕はディスプレイに順に触れながら、愚痴をこぼす。
「いずれ僕達の関係も面倒なものになる」
「今の冗談?」
ナナキからの返事はなかった。
名前:ミツキ・ヒサナギ。
年齢:24?
出身:J44クロカワナントカ。
職業:ダイバー。
「大体質問が失礼なんだよね。なんだってこんなことを尋ねるわけ?」
「郷に入っては郷に従え」
「誰がそんなことわざ教えたんだい?」
「ミツキからさ」
「うん、上出来だね」
「嘘が多くないか?」
「真実である必要ないだろ?」
いくつかの質問の後に専門というものがあった。職業や趣味とは別に設けられている。空欄でもいいのだろうけれど、僕は古書と答えておいた。古書が専門? 悪くない響だ。ダイバーでありながら、古書を専門にしてこうして旅をしている。
「これで大丈夫かな?」僕は最後に決定のボタンに触れた。
ディスプレイが切り替わり、画面の中央に赤い文字で接続中と出ている。僕は腕を組み、さらに画面が切り替わるのを待った。
コンピュータから発せられる音が大きくなり、やがて画面の中央に「承認」という文字が表れる。それに同調するように、ディスプレイのすぐ左手にあった扉が左右に開いた。
僕がすぐにその扉を通り抜けると、背後でその扉が閉まり始める。気が付き振り返るとほぼ同時に、電気が着く。もともとゴーグルで光を調整していて、眩しさは感じない。固そうな壁は鋼鉄ででもできているのだろうか。冷たい雰囲気は先ほどの空間から変わりがない。やがて扉はほとんど音も立てずに閉まってしまう。
「ナナキ、聞こえる?」
「問題ない。こちらからも映像は見えるし、必要ならこちらの光景を送ることもできる」
「ならいいよ」
僕は腕を組むと、再び前を見た。左右は一メートルほどで狭く、高さは三メートルくらいあるだろうか。狭い通路はまっすぐ伸びている。見た目では分からないくらいだが、若干下り坂になっているようだ。
僕は歩き出した。クッション性の高い靴を履いているのに、足音が高く響く。構造上の問題なのだろう。僕の歩く速度にしたがって、着いている電灯の位置も移動している。僕の位置をトレースするシステムがあるのだろう。先ほどの装置で僕という個人を情報化し、熱量でも追っているのだろうか。先ほどのディスプレイ等のシステムを見る限り、何世代も過去のものだ。その時代の科学技術はランダム性に富んでいて、ある部分では進んでいるのに、逆に原始に近いことも同時に行っている。否、それはきっと今の時代から見たらそう見えるというだけで、きっと僕が生きているこの時代も、あるか未来からすれば原始的な発展しか遂げていないのかもしれない。
途中一度だけ右に曲がった。
さらにまっすぐ道は進んでいる。光の先に行き止まりを見た時までに、五分位は歩いていたと思う。
「ナナキ、これ嫌がらせかな」僕は腕を組んだ。
「扉がついているよ」
「本当?」
「突き当りの左側だ」ナナキは僕と同じ光景を見ているはずなのに、よく気がつく。ありがたい「目」だ。行き止まりにたどり着くと、すぐに左を向いた。確かに先ほどの入り口とおなじような扉が付いている。
「鬼が住むか蛇が住むか」
「ナナキ、それ意味が分かって言ってるの?」
「ミツキが教えてくれた」
「ははは」
僕が扉の前に止まったのがわかったのか、扉が左右に開き始めた。中から強い光が溢れてくる。瞬間的に強すぎて、ゴーグルの調整もうまくいかなかったようだ。だから、僕は完全に扉がひらいても、すぐに中の様子がわからなかった。
僕は光をかき分けるように中に入った。
後ろで扉が閉まる頃、ようやくゴーグルの調整が追いつき、目も慣れてきた。
「ようこそ、いらっしゃいました。お待ちしておりましたよ」
扉の先は部屋だった。その部屋のほぼ中央に、薄水色のけれども豪華なドレスを着た女性が椅子に座っていて、こちらを向いている。僕は相手を警戒していて、返事をしなかった。
「わたくしはアマナ・ラブムです」こちらの警戒が伝わったのか、女性は軽く頭を傾けながらそう名乗った。言語もゴーグルを通して僕が認識できる言葉に置き換わる。彼女何語で話しているのかは分からなかったが、ナナキが小さな声で言語を説明する。運がいいことに、僕が知っている言語だ。難しくなければコミュニケートできるだろうし、いざとなればナナキを通して翻訳してから話せばいい。「アマナとお呼びください」
瞳は白い。そこに前髪が掛かっているが、その髪は対照的に黒い。まるで先ほどまで飛んでいた空間のような黒さだ。その髪は腰のあたりまでウェーブし、彼女の頭の動きに合わせて軽く揺れている。ドレスからは細い腕があり、両手を揃えて膝のあたりに揃えている。行儀よく座り、こちらに微笑んでいる。
「ミツキとお呼びしてよろしいかしら?」
「……どうぞ、好きに呼んで下さい」
アマナは左手の甲を口元に持っていくと、くすりと笑った。
「誤解しないで下さい。先ほどミツキが入力してくださいましたことを知っているのはここではわたくしだけでございますわ」
「ほとんど入力していません」
「ええ、知っています」もう一度アマナは笑った。けれど、その笑顔が本当の笑顔なのか、というよりもその笑い方が僕の知っている方法と違い、あるいは身分違いの、あるいは文明違いのせいなのか分からないが、どこか非現実的な雰囲気があった。
「緊張なさっていますね」アマナは口元にあった左手を胸元に移した。「大丈夫です。ここではそんな心配は無用です。ミツキは待ち望まれていました。ミツキが来ることはもう決まっていたことなのですよ。ここの住民はみな歓迎するでしょう」
「なぜ?」
「すぐに分かって頂けますわ」
アマナの顔がすぐ近くにあった。彼女は動いていないので、どうやら僕が近づいたようだ。惹きつけられた、というのが正しいのか。白色の瞳に笑うとわずかにできる口元の皺。失礼だけれど、おそらく僕よりもだいぶ歳が上だろう。口紅もそれがこの国の流行なのか、紫色をしていて、現実的な雰囲気を一層薄めている。立っている僕を見上げたまま、彼女は目を細めて非現実的な笑顔を見せた。
「あなたは?」
アマナは首を傾けた。どうやら質問の意図を分かってもらえなかったようだ。
「僕はエネルギーの補給に来たのだけど」僕は一歩退いてから周りを見回した。部屋と言っても何もない。彼女が座っている椅子と、角には小さな机に、姿見、それから大きな天蓋付きのベッド。僕が入ってきた入り口と、別の壁面には、普通の扉もある。「ここって、そういう施設は整備されている?」
「ミツキが先ほどいた場所にちゃんと備えてあったはずです」
「ええ、知っていますが」
「ミツキは優しい方ですね。わざわざ使用の許可を得ようと思ったのですか?」
「まあ、それもあります」
アマナはまた笑った。今までで一番自然だったかもしれない。それとも僕が慣れたのか。彼女の笑いに合わせて、胸元の手も揺れる。
「ミツキのように中に来られたのは、実は二人目なのですよ」アマナは立ち上がった。僕よりも上背がある。「古書が専門なのでしょう。どうぞ、中での生活を少し楽しみましょうか」
僕は肩をすくめた。「それを知っているのはあなただけなのですよね」
「ええ」
アマナは向きを変え、扉の前へと移動した。アマナの歩く姿はまさに均整が取れていた。頭の位置が少しも上下せず、長いドレスに足の先まで隠れているが、車輪の着いたロボットのような正確さだ。僕はそのアマナの後ろ姿を見ながら、ゴーグルに囁く。
「どう思う?」
「鬼が住むか蛇が住むか?」
「鬼も蛇も同じじゃないの?」
「それは誤解だよ、ミツキ」
そんなこと分かっているよ、と僕は心の中でつぶやいた。