第十六話
女王の間は手をかざすだけで、自動で扉が開く。セキュリティー的に非常に脆弱なものだ。だが、この空間自体は強固なセキュリティーに覆われている。ここの住民には理解できないかもしれないが、彼らの考える「外」への出口はない。偶然僕が乗ってきた船に搭載されているカメラの端に入り口がモニタリングされているからだ。たとえ屈んでいたとしても、その扉の開閉は確認できる。
そして、その映像には女王が一度出てきて、再び入っていく姿が映っていた。もしそのまま女王が再び入ることがなければ、彼らの仮説は正解だ。けれどそうではなかった。
女王が殺された。
単純な図式だが、それはクルドにより否定されている。
僕は、僕が会った女王が、女王じゃなかった可能性を考えた。そもそも、僕の認識が誤っていた可能性だ。つまり、やはり僕が最初に会った女性が殺されたのだけど、それは女王ではなかった。
容姿に関して言えば、コンタクトやかつらを使えば、もしこうやって僕が後から他の人と話して疑問を抱いたとしても、それを確かめることができない。もっとも、僕はゴーグルを通して見ているので、その時の映像を保存してあるし、おそらく秘書の部屋にあるコンピュータを利用すれば、他の人達にその時の映像を見せることができる。
僕は直後に会ったマナミとアマナは、雰囲気こそ違うが非常によく似ていると思った。実際マナミが女王の姿を真似ている今、もし彼女が口を開かずにただ黙って立っていれば、僕は同一人物だと認識してしまうだろう。
つまり、それほど短い間しか、僕とアマナの接点はなかった。それはおそらく、ここの住民にとっても同じだ。女王という存在、容姿を完璧に理解できている人はいない。だからこそ、アマナとマナミの入れ替わりに気がつく人はいない……。
僕は女王の間に入った。クルドは、入り口のところで足を止めている。理由なく入ることはないようだ。
安心なのは、ベッドから寝息が聞こえていることだ。安心じゃないのは、ドレスが無造作にベッドの脇に脱ぎ捨てられ、ベビードールのような下着姿、ということだろうか。目のやり場に困ってしまうが、少なくとも入り口から声をかけても起きてくれなかったのだから仕方がない。僕はベッドの、彼女の頭側に膝立ちをして、マナミの名前を呼んだ。
「うーん、もうちょっと」目をつむったままマナミは答える。
「マナミ、朝の時間は終わっていますよ、女王様」僕の最後の言葉に、マナミが目を開く。「ほら、もう起きる時間ですよ。エレベータの音、聞こえませんでしたか?」
マナミの顔が膨れていき、次には赤くなった。
「ちょ、ミツキは遠慮がないのね」マナミは上半身を起こす。それから脇に落ちているドレスを見てから続ける。「あのドレス、めんどくさいんだけど。別に毎日あんなの着なくてもいいよね。あぁ、女王様って退屈でやっぱりつまらないわ。それからミツキ、いくらあなたでも、眠っている女性の顔を勝手に観察するのはダメなんじゃない?」
「あはは、ごめんごめん」僕は笑いながら続ける。「僕はここに来て何度もルシナに寝てる時の顔見られてるから、ここのマナーかと思ったよ」
「そんなわけないでしょ」目が覚めてきたのか、彼女はくるりと首を回してから、ばっとベッドに体を倒す。「ちょっと、クルドもいるじゃない。こんな格好見られたら恥ずかしいし、怒られちゃうじゃないの。夜這いならミツキ一人で今度から来てよ」
「もう朝だし。他の服は?」
「ないわよ、全然。というか、この部屋何もなさすぎじゃない? 不便で仕方ないわ」
僕も部屋をくるりと見た。天蓋付きのベッドが、入り口から正面の奥にある。そのベッドと入り口の間に、豪華な椅子が置かれている。椅子と直角をなす壁側にもう一つ扉が付いている。それが外へとつながっている、僕が入ってきた扉だ。そちらの壁にはほとんど何もない。反対の壁には鏡の付いているドレッサーと、クローゼットがある。置かれているのはそれくらいだ。
「だって、お風呂もトイレもないのよ?」
「そうだよね、見る限り。あれ、それじゃあマナミ、どうしてたの?」
「わたしは、仕方ないからそっと抜けだして隣の部屋に行ってたわよ。ギンナは作業してたから、たぶん気が付いてないと思うけど」
「へぇ、そうなんだ。それっていつ頃のこと?」
「ええ? そんなことに興味あるの?」寝転んだままマナミが寝返りを打って、僕の顔近くに近づいた。「もう我慢できなくて、昨日の寝る前だから、8時間くらい前じゃないかなぁ。時間も分かんないから大体だけど」
「アマナもそうしてたの?」
「ううん? アマナは私がいる間に秘書の間に来たことはないわ。私もずっとこっちにいるわけじゃないし、普段は下で生活してるから、もしかしたらその間に利用してたのかもしれないけど」
「それじゃあ、もしかしたらこの部屋の何処かに、秘密の部屋があって、そこにそういう施設が揃ってるとか」
「まさか」
「あるいは、秘書の部屋と直接行き来ができるとか」
「ないない」マナミは手を首を同時に振る。
「あっちから出て行った先にあるとか」僕は、僕が入ってきた入り口を見た。「開け方がわからないけど」
「それなら、可能性あるわね。でも、ミツキってあっちから来たんでしょ? そういう施設があるのかどうかって、ミツキのが知ってるんじゃない?」
「うーん」僕は言ったものの、早計だったかもしれない。「いや、ごめん。今のは良くない情報だったかも。僕は、あの扉の先がどうなってるのか、確かに知っているけど、それをこの中で過ごしている人たちに伝えていいのか分からない。科学的な話じゃなくて、哲学的な話として」
「う、わたし、哲学苦手」マナミは舌を出す。「科学も苦手だけど。そう、ね。確かに、そうかも。外の情報は今までシャットアウトしてきたし、多分、それって女王の意志、連綿と続いてきたここの伝統なんだと思う」
「実際外からやってくる人って、そこまで少なくないと思うんだ。だけど、ここに入ってこられるのは、つまり、女王の許可を得られるのは、ごく少数。僕で二人目だって言うしね。きっとパラダイムシフトを起こさないような、要は、僕みたいなそれほど野心が高くない人くらいなんじゃないかな。まぁこれは僕の憶測だけど」
「そうよね、女王として、わたしが今後それをやっていかなくちゃいけないのよね」何度も頷いてから、マナミは続ける。「それで、起こしに来たのって、そのため? あのことで、わたしに何か聞きたいことがあるとか?」
話がずれてしまっていたが、マナミが修正してくれた。ギンナのことを伝えなければならないし、他にもマナミには聞きたいことがある。
「あのこと、って言われると範囲が広いんだけど。その前に、服を着ようか。あのクローゼット開けていい?」
「いいけど、ドレスしか入ってないよ」
「女王様なんだから、早目に慣れたほうがいいんじゃない?」
「ミツキがそう言うなら」再びもぞもぞと動き、マナミは上半身を起こした。「でも、着るの手伝ってよ、あんなの一人じゃ着れないよ」
「あれ、でも昨日は着てたじゃん? 誰かに手伝ってもらったの?」僕はベッドを回り、クローゼットを開けた。何着ものドレスがある。
「……エドに」
当り障りのない会話を選んだつもりだったけれど、マナミの反応は照れたような、けれど誇らしいような口調だった。2人はどうやらそういう仲だったようだが、果たして女王になってもその関係を続けることができるのだろうか。僕は適当に一着ドレスを持つと、マナミに振り返った。照れたように顔をそむけている。
「彼、でも真面目そうだから、この部屋には絶対はいらないんじゃない?」
「わたしも入ったことなかったよ。何事も無く入ってくるのなんてミツキくらいね」マナミは両手を上げる。僕はドレスの着付けなんて分からないけれど、どうやら頭からかぶるだけで大丈夫な、ワンピースのような作りだ。実際は何ピースでできてるのか全然分からない。「料理長兼秘書なら、大丈夫でしょう。実際秘書としての仕事なんて全然ないし。ミツキを下に案内したくらい?」
「ギンナが調べてる部屋は?」
「さっぱり使ったことないし」
腕を通して、背中側にあったボタンを閉じてやれば一応は着飾った感じになる。スカートが膨らんでいないが、膨らませるためにはコルセットのようなものを付けなければダメらしい。マナミはさすがにそれは付けていられないということだったので、とりあえずそれでよしとした。
僕は椅子へと彼女をエスコートして、マナミを座らせた。
そこで僕は違和感を覚える。
何だろう?
今、何かおかしくなかっただろうか?
「あんまり、この椅子使いたくないんだけどね」マナミは肩をすくませる。
マナミの言葉に、僕の脳裏に映像がフラッシュバックする。
首のない、女王の姿。
両手を膝に乗せて、座っている。
「ナナキ」僕は、マナミがいるのも忘れてゴーグルに声を掛けた。「あの時の映像を、あの時の女王の姿を」
ナナキからの返事はなかったが、すぐに映像が映しだされる。今のフラッシュバックと同じ、女王の姿。
不自然なのは、首がないから……
首元が多少汚れてはいるが、それにしてもあまりにもきれいだ。
僕の心臓が跳ねる。
血だ。
血が少なすぎる。
マナミが驚いたように僕を見ている。その周りにも、血の跡は残っていない。最後の目撃から考えて、不自然すぎる。例え犯行場所がここでなかったにしろ、こんなにきれいなはずがない。
はずがない、は危険?
秘書の間にも、隣のエレベータがある空間にも血はなかった。現状で犯行現場足りえるのは、ここから外へとつながっている通路か、あるいは本当に外か。
もっともらしいのは?
その通路で、女王が何者かを殺す。首を切る。それでは血が溢れてしまう。死後時間が経てば、心臓が止まり流血しなくなる。けれど女王にはそんな時間は残されていない。彼女はいつ、誰が、あそこに上がってくるか分からない。その状況で血が止まるのを待ってから、首を切り、服を代えて、あそこに座らせ、自分は、消えるようにいなくなる。変装して普通にエレベータを降りたのか、あるいはまだ通路に隠れているのか。
後者は、ナナキが扉をモニタリングしていることを知っていないと意味が無いことだ。それなら、外にそのままでていき、置かれている船に乗って脱出すれば終わりだ。残念ながら、それは起きていない。
前者でなければならない。
女王はエレベータを通って、外に出た。
どう考えても行動が不自然だ。
「……キ……ミツキ、大丈夫?」僕の顔をマナミが覗きこんでいる。「顔が真っ青だよ?」
「分かった」
「え、分かった?」
「分からないことが、分かった」僕は今まで軽く考えすぎていた。「まるで自分がこの事件を理解していないことが分かった。この事件は単純な話じゃない。もう少し簡単に分かるものだと思っていたけど、僕はまだスタート地点にも立てていないんだってことが分かった。うん、これだけでも収穫だ」
「わたしはミツキが何を言っているのかが分からない」
「つまり、スタート地点に立つための条件が分かった、ということ」
マナミが首をひねる。
「マナミに聞きたいのは」僕は真剣な表情でマナミを見た。「ティアマのこと。彼女が誰で、どうなったのか教えて欲しい」




