第十二話
僕としては結構な冒険のつもりだったのだが、その冒険は思ったより早く終わりを迎えた。鬱蒼として見えた木々は途中から整然としていて、明らかに人の手か人の意図を感じられる作りになった。そのおかげで、3時間ほどで目的地に辿り着いた。その付近にはすでに木々はなく、開けた土地になっていた。
が、中央にあるのは、想定とは違った。否、想定通りともいえる。建物の作りは外からの道とよく似ているのだが、残念ながら人の気配がまるで感じられない。風化が始まっており、入口に近づいても自動でそのエントランスが開くことはなかった。
「想定外、かな」
「ここに施設がある、という想定は当たったけどね」ナナキが僕の独り言に返事をする。「もしかしたらこちらの侵入に気がついて隠れているだけかもしれない。気をつけて」
「気をつけている。でも、とても人がいるように思えない」
「同感だ」
手動で扉を開けて中に入ったが、やはり誰もいない。基本的な構造は同じであり、広いエントランスから両翼へとつながる廊下が見えていて、ちょうど正面にはエレベータがあると思われる扉も付いている。僕はそのエレベータのところへ行ったが、残念ながら開きそうになかった。
右翼は居住施設、左翼は研究施設であり、多くの機材が残されていたが、やはり誰もいない。ナナキを通して機材を順番に調べてみたが、壊れてはいないものの電源の供給がされていないようだった。そして電源はおそらく上空にあるのだろう。
「つまり、この世界への入り口は、僕達が入ったところと、もう一つあった、ということになるけど」
「外から回ればそちらの上空にはたどり着ける」
「うん。だけど、降りて来れないんじゃないかな」
「ミツキだと厳しいね」ナナキがはっきりと断言する。「もっと筋肉質な人間が、バールのようなものをもって挑めば、外から上空の部屋に入り込むことはできるだろう。そして、そこで電源を操作すれば、下に降りることはできる。電源が時限式であれば、今そこにエネルギーが届いていないことも納得できる」
「ラーサなら、できると思う?」
「彼女も力があるとは思えない」
「ラーサがもし誰かと一緒にこちらから入ってきたとしたら?」
「あり得るだろう。だけど、客観的にこの状態を見たら、絶望してそのまま帰るものじゃないか」
僕も入ってきた時、こちら側の施設だったら、長居はしないだろう。「居住地区があるところまで、歩いて3時間ほど。試そうと思えるかな?」
「もし、僕よりも優れたディバイスを持っていたとしたら、可能性はある」
「それに、外からここに留まって降り立った時、中に誰かいるはずだと確信していただろうし」僕は右翼の居住地区を今度は改めて順に見て回っている。こちらも荒れてはいるが、乱れてはいない。人がいなくなりかなり月日が経っているのは確かで、それ以来誰かがここを使っていたとは思えない。「残念ながら、こちらに人がいる兆候はない」
僕はちょうど、自分が泊まらせて貰っている部屋に位置するところに入った。造りはほとんど同じで、ソファも置かれている。もっとも埃が積もり、小さな生物が支配していて、とてもそこで休もうとは思えないが。
僕は窓を見た。すぐ近くにある扉を見た。多分、大して意識してみたわけじゃない、けれど、何か予感を感じた。ナナキに言ったら笑われそうだけど。僕は扉から外に出た。軽い石畳が続いていて、僕はそこを進む。
正面に池がある。
そこに無数の、服が浮いている。様々な服だ。白衣のようなものもあれば、作業着のようなもの、あるいはどこかの民族衣装のような、とにかくたくさんの服だ。何で? と思い近づくと、そこにあるのが服だけではないことに気がつく。
白いもの。
それが骨だと気がつくのに、多くの時間が掛かった。服の下に無数にある。
「ナナキ」
「見えているよ、ミツキ」抑揚のない声だ。「あまり長く見るべきモノじゃない。一旦引き返すんだ」
「あれは、ここの住民?」僕の足は動かない。「すごい数だ」
「もしあれに肉があったとすれば」僕が動けないのを察してか、ナナキは続ける。「山積みだ。あそこに放置された。ミツキ、客観的に言うけど、あれだけじゃ殺されてあそこに積まれたのか、あるいは、何かしらの疫病のせいか、判断できない。少なくともミツキが見ている服の中に、血で汚れた跡は見えない」
僕は大きく深呼吸をする。想定していなかったわけじゃない。こちら側の住民の痕跡を探していたんだ。この建物の中にまるで一人の死体もなかった時点で、どこかにまとめてあることは考えていた。それを目の当たりにしただけだ。頭では分かっているが、目の前の現実に吐き気がする。
「ミツキ、帰ろう」ナナキの声の調子は同じなのに、優しく感じる。「こちらにいても仕方がない。それに時間的に考えて、そろそろ帰り始めないと遅くなる」
「ああ、分かってる」僕は、その池から建物の正面に向かう道を歩き始めた。「とにかく、こちら側に誰もいない、ということが分かった。それだけでも収穫だ」
ちょうど建物前の広いスペースに出るところに、僕は一枚の紙が落ちていることに気がついた。それがいつから落ちているのか分からない。が、小石が上に乗せてあり、ちょっとした力では動かないようにされている。先ほど来るときはまっすぐエントランスに向かい気が付かなかったけれど、もし外からこの池へと続いている小道をたどろうとすれば嫌でも気が付いただろう。僕はその紙を拾い上げた。やや傷んでいるが、それでもしっかりとした紙だ。表面には文字が書かれている。ゴーグルをずらしてみると、ここの住民が使っている文字と同じものだ。
「その魂の安らかなることを」文字は詩歌のように続いている。「その魂の高き所へ。その魂の内なる所へ。決して止まることなく、決して留まることなく、我らの涙とともに、空へ帰らん。空とは宇宙。宇宙とは、我らの足下に広がるこの大地のはるか下。内にあり、上にあり、そして下にあり、外にある。その魂の安らかなることを」
この文句を書いた者がいる。そしてそれは、あの状態を見たからだ。僕は紙を裏返した。その右下に、署名がある。
ティアマ・ブラム。
アマナと同じ姓だ。以前の女王だろうか。ただ名前だけではそれが女性か男性か分からない。それに今は女王だが、王があそこにいた時代があってもおかしくはない。が、あそこに属する者の一人が、ここに来たことがある、その証拠になるかもしれない。
「ミツキ、帰ろう」ゴーグルからナナキが再度僕に催促する。「歩きながらでも考えることはできる。少なくとも、しばらくはある程度道が整っている」
「そうだね、帰ろう」僕は歩き出した。「元来た道を戻るべき? それともまっすぐこちらを進むべき?」
「元来た道の方が安全だろうけど、まっすぐ進んだほうが距離的には短い」
「そうだよね。よし、まっすぐ進もう」
僕は来た時とは反対の木々の中に入ろうとした。ちょうどその時、反対側でガサガサと音がする。驚いて振り返る。すでに音はない。
「ナナキ」ゴーグルを操作し、音がした方をじっと見る。「熱の反応があるね。獣? それとも人間?」
「両手を付いているようだけど、サーモグラフィから考えて、人間のようだ。あっちも驚いて、こちらを警戒して見ているんだと思う」
「僕は隠れるべき? 少なくとももう振り返ってしまったし、あちらからは丸見えだろうけど」
「初心に帰るなら、敵意がないことを示すことが大事だ」
「こういう施設だと銃のような飛び道具はないよね?」
「希望的観測? 乗り物は危険だろうけど、人間が介在しなければ、飛び道具もあり得るだろう」
「絶望的観測をありがとう」僕は広場を戻り、極力中央付近に向かって歩いた。相手の視線も感じているし、おそらく僕があちらに気がついていることも伝わっている。ただ、距離が遠くて、僕が誰なのか分かっていないかもしれない。僕は中央に立つと、まっすぐ相手側を見た。
しばらく待つと、相手が立ち上がる。まだ警戒しているようだが、顔をひょいと覗かせた。それから目の上辺りに手を当てて、こちらをじっと見ている。
「ほぼ百パーセントでタタラだ」ナナキが分析する。「タタラ・ミズキ。あちらの施設でインフォメーションのところにいた人だね」
「タタラ!」僕は声を上げた。「僕はミツキだ。分かるだろ?」
彼女はひょいと飛び出た。数歩こちらに向かって歩いてから、一度止まり、駆け寄ってくる。
「ミツキさん!」走りながら彼女は僕の名前を呼ぶ。「ああ、本当だ。本当にミツキさんじゃないですか。びっくりしたぁ」
彼女の格好は、昨日の巫女装束とは全く違う。普通の女性らしい、シンプルなキャミソールに短いフレアスカートだ。スクエアネックの胸元には蝶をあしらったネックレスが揺れている。
「びっくりしたのはこっちだよ」僕は肩の緊張をほぐした。「どうしてこんなところに?」
「たぶん、わたしのほうがびっくりしてます」彼女はすぐ僕の近くまで来た。「わたしのほうが聞くことじゃないですか? どうしてこんなところに、って」
全くもってその通りだ。
「うーん、興味があったから?」僕は考えながら答える。「あの建物から娯楽施設までじゃぁ、世界の四分の一しかなかったから、こちら側に何があるのかなって思って」
「思っただけで、ここまで?」
「結論を言えば、何もなかったってことになるのかな。電気も通ってないし、ずっと以前に放棄されたのかな」
「それじゃああそこの……あの」タタラは言いよどんでから、続ける。「お墓、というか、あの場所は、ご覧になりましたか?」
「骸骨がたくさんあるところ?」僕の疑問に彼女は頷く。「さっき見てきた。それを悼む歌も見つけた」
「わたしたちがあれを見つけたのって、実は結構最近のことなの。わたしたち、っていうのは、ここの住民でも一部の、あの外からの道で働いている人のことなんだけど」
「へぇ、そうなんだ。でも、人が来てるような形跡はなかったけどなぁ」
「普通は来ないよ、わざわざ」タタラは俯いた。
タタラが来ているのは、なにか理由があるのだろう。僕が聞いてもいいことなのか分からない。こういう時はこちらから聞かない方がいい。必要なら相手がしゃべるだろう。そう思っていると、タタラは顔を上げて、僕の目をじっと見つめた。
「あの、そのお墓で、まだ肉があるものが一体あるんだけど、それは、見た?」
僕は驚いた。小さな声でナナキに確認するが、映像を確認してみても、それらしいものは写ってない。僕の視線とは関係ない、ゴーグルが写し出した中に、そんなものはなかった。
「あそこに? 同じ、場所に?」
「わたしが来たのは彼女のためで……」
「誰?」
タタラはそれ以上言葉を発せず、否、僕が疑問を呈したせいかもしれない。視線が右翼の前の池に続く小道に向けられている。僕は指を軽く指してから、そちらに歩き始めた。
僕の後ろに隠れるようにタタラはついてくる。けれど、池のすぐ近くまで来たところで、彼女は前に躍り出た。
「ない!」驚いた声を発する。「嘘、何で? どうしてここにないの?」
「誰の?」
僕の質問に今度は彼女が答えた。
「女王の」