プロローグ 令嬢と殺人者
当然ですがこの物語はフィクションです。登場する団体、名称は現実のものと一切関係ありません。
また、私にとってのマフィアの印象が偏っていると思われます。「いや、それはおかしくね?」とかあったら、暖かい目で見てやってください。
お前、この街来るの初めてか?
何故解ったかって?そりゃ、この街にいそうにないタイプの顔付きしてやがるもんな。
この街は言わば吹き溜まりみたいなもんだからなぁ。マフィアや暴力団見てえな奴や、ヤクやってる奴、そんなヤクを裏で売って大儲けするゴミみてえな奴ばっかりだ。
あ?俺?俺はちげえよ、そんな汚ねえ真似はしねえさ。別に悪人しかいねぇって訳でもねえしな。元はお国が作った特別都市なんだから、まともな奴もいくらかはいるぜ? そういう面では、お前も特に見ないような奴って訳でもねえ。まあ物珍しそうにしてたから初めてかと思ってな。
で、お前こんな街に何しにきたんだ?......仕事?そりゃ大変だな。もうこの街はほぼ日本から独立した法律があったりするから、泊まりなら気いつけな。
っと、そろそろ俺も待ち合わせの相手が来る頃だ、急に話しかけて悪かったな。は?道?んなもん俺に聞くな。ほら、あそこで可愛い子が走ってんだろ?あそこでも進んでみな。
って、あの女追われてるんじゃねえのか?大方どこぞのマフィアでも刺激したか、アーメン。
二〇二三年、日本は太平洋に海上娯楽都市、「楽京島」を完成させた。二十年かけて造られた人工島は、高層ビルやカジノ、遊園地が建ち並んでいる。楽京島は膨大な予算をかけて造られたが、それ以上の莫大な利益を出し、日本の景気は上昇していった。
しかし、そんな島は黒い噂が絶えず存在する。マフィア、暴力団、ならず者が経営するカジノの噂、高校生すら体を売る花街、路地裏やバーで行われる違法ドラッグの売買、裏社会で生きる者達のオークション等、その噂は様々である。
そんな島に住む住人達に日本人だけでなく、多種多様な外国人が住み、そんな外国人絡みの犯罪時のトラブル防止の為に、楽京島は東京にありながら独自の法律が存在する。その為、楽京島は「島」ではなく「国」として考える者も少なくない。
そんな黒い噂や独自の法律が渦巻く楽京島の一角、東京との連絡橋付近を榊杏奈は走っていた。冬だというのに少し薄手のシャツにカーディガンを羽織り、下はスカートにストッキングと、少し寒そうで走り辛そうな服装だ。靴もブーツを履いており、足もあまり速くはない。
「もうすぐ、連絡橋だ......!」
息を切らしながら人の多い道を走り抜け、交差点を右へ。路上駐車されている車の横を通り抜け、コンビニとマンションの間の路地に入る。息があがるのも構わず全力疾走。路地を抜けて広い道路へと出て、車道を突っ切る。
「追っ手は、まだ来てないかな......よし、行ける」
車道を渡り切ったところで息を整え、看板を見ると「東楽連絡橋 この先五〇〇メートル」と書いてある。自然と杏奈の心は高鳴っていた。
一度深呼吸を挟んで、靴の紐を確認。もう一度走り出そうとした時、
「どちらまで?お送りしましょうか」
杏奈が振り向くとそこにはスーツを着た、背の高い男が立っていた。
「ヤバっ......」
杏奈はすぐに走り出そうとした。しかし、向き直ったそこにも、スーツを着た男性が立っている。少しずつ距離を縮めていくその二人の男性に杏奈は萎縮し、腕が震えていた。
「どういったつもりで逃げ出そうとしたのですか?」
男の一人が話しかける。杏奈は腕の震えを堪え、キッと男を睨みつけた。
「パパと縁を切るの。知ってるのよ、パパの会社が裏で麻薬の売買してること。信じらんない」
まるでその言葉を言うことすら悪であるかのように顔を歪めて杏奈は吐き捨てた。男二人は無表情のまま、距離を少しずつ縮める。
「私はそんなことするパパなんか信じない。東京のマスコミに流してパパの会社、ぶっ潰してやる!」
その言葉と同時に杏奈はもう一度車道へ飛び出した。男達は突然の事に一瞬動きが止まり、すぐに追いかけようとする。しかし、ちょうど車の通りが激しくなり、迂闊に車道に出られない。
「仕方無い、発砲許可出てんだ、撃つぞ」
「おうよ。殺すなよ」
そう言葉を交わすと男二人はスーツの中から拳銃を出し、走る杏奈に向かって構える。杏奈はそれに気付かず、男に背を向けたままだ。
「止まれっつってんだろぉが!!」
パァン、という乾いた銃声。杏奈はその音に驚き足をもつれさせて転び、車は急停止。弾は杏奈のすぐ近くにあった電話ボックスに当たり、電話ボックスの壁に蜘蛛の巣状のヒビが入っている。
「やっと大人しくなってくれたか」
無表情だった男達に、初めて笑みが浮かんだ。銃声とその笑みを見て杏奈は恐怖から立ち上がれなくなった。
「ほ、本物の銃なんて......犯罪じゃないの......」
「この島では拳銃の所持が自由なのです。さあ、大人しく帰りましょうか、お嬢様」
いつの間にか男達は杏奈の目の前まで来ていた。そして少し顔を緩ませて手を差し出す。杏奈はそれが、自分を地獄へ連れていく鬼の手のように見えた。
「なあ、最悪何かよからぬことを考えてたら殺していいって言われなかったか?東京のマスコミに晒されたらやべえだろ、殺そうぜ」
もう一人の男が後ろから茶々を入れた。その言葉を聞いて杏奈は本物の恐怖を味わい、震えと嗚咽を漏らした。
男はニヤリと笑い、拳銃をもう一度取り出す。そしてそのまま杏奈の額に銃口を当てた。
「ひっ......」
杏奈の顔は恐怖一色で覆い尽くされ、涙がボロボロとこぼれ落ちる。周りの人達はその光景を見たくないと言わんばかりに顔を隠し、背けている。
「恨むなら、貴方の父親を恨んでください。では」
パァン、と乾いた銃声。
「ほんっとに、この街に住んでるのは頭イってる奴ばっかりか」
杏奈がふっと目を開けると、そこには天使も鬼も天国も地獄もなく、あるのは男の苦しそうな表情と、紅い、血の色だった。
「誰だっ!?」
もう一人の男が銃を構え、辺りを見回す。杏奈には何が起こっているのかは解らなかった。ただ、自分は生きている、それだけは確かだった。
男は銃を構えたまま、駐車場の看板を背にする。怪我をした男は足を抑えながら、タッチパネル式携帯電話を取り出し、電話をかけた。
「俺だ!襲撃を受けた、人数不明!足に銃弾受けた、応援頼む!場所はGPSでなんとかしてくれ!」
男がそう叫んだ途端、もう一度銃声が鳴った。同時に電話をかけた男は頭から血を吹き、そのまま絶命した。
人々は叫び、蜘蛛の子を散らすように逃げる。すると、銃を撃っていた男の姿が見えた。
コートを着て、ジーパンにブーツを履いた、少し背の高い青年。ただ、異様に目から殺気を出している。端整な顔立ちである分、余計に威圧感のある男だ。髪の毛は少し長く、無造作に揺れている。
しかし、最も目を引くものは、腰のベルトに差した、日本刀であった。
「てめえかぁ!!」
男が銃口を青年に向けようとした。途端に青年は引き金を引き、銃弾が発射される。銃弾は男の頭に突き刺さり、脳天から鮮血を吹き出し絶命。
服が少し赤く染まってしまった杏奈は目の前の状況に恐怖を通り越し、その場で胃液を吐いた。
「逃げるなら今のうちじゃないか?」
ふと、男が杏奈に話しかける。その目から殺気は消えていたものの、元々の顔が鋭いせいか、それでも威圧感は拭えなかった。
「あ、足が、動かない」
杏奈の足は倒れ込んだあと、ずっとガクガクと震えており、とても立てる状態ではなかった。それを見て男は杏奈に近づき、杏奈の目線までしゃがみ込んだ。
「ここまで逃げてたんなら行き先は東京か?お前、連絡橋渡るチケット持ってんのか」
「チケット?そんなのが必要なの?」
「知らないのかよ、よくそれで東京行こうと考えたな」
男は呆れたようにため息をつき、立ち上がり伸びをした。そしてそのまま立ち去ろうとする。
「待って!」
いつの間にか、杏奈は声を出していた。男は立ち止まり、杏奈の方を向く。
杏奈は震える足に立てと言い聞かせ、なんとか立ち上がった。
「私を助けて。追っ手から、パパから」
男はピクリと眉を動かした。そして声を上げて笑った。
「この街にそんなお人好しはいねーよ。だが......」
そこで男は真剣な顔つきへと戻り、もう一度杏奈へと近づき始めた。
「そんなクソ厚かましい奴を守ってみたくなった。引き受けてやんよ
男は杏奈の手をとって、路地裏へと走り始めた。