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復讐の価値  作者: 時田翔
8/21

共棲

五話の時点で書き忘れましたが、社長の工場と家は同じ敷地内のすぐそばにあるという設定になっております。

 はあ……はあ……はあ……。


 僕は冷たいコンクリートの床に直に座りながら、荒い息をついていた。

 右腕には男の子を抱え、目の前には普段見ることの無い電車の車輪部分が並んでいる。

 排ガスか、非常ブレーキの摩擦によるものか、なんだかわからないが、とにかくひどい匂いがする。


 まさに間一髪だった。

 全く動けなかった僕に代わって『オレ』がホームに飛び込み、落ちた子供を抱えると、転がるように退避スペースへと逃げ込んだ。

 そして、僕はアクション映画か何かのようなその状況をただ傍観することしかできなかった。


「なかなかスリルあったな、じゃあ後は任せたぜ」

 終わったものに興味は無いとばかりに、『オレ』は僕と交代した。

 僕の手足に力が戻ってきた。

 確かめるように、左手を握ったり開いたりしてみた。


 さっきは夢中でわからなかったが、改めて思い出してみると不思議な感覚だった。

 意識もはっきりしてるし、目も見えているが、身体が全く動かせない。

 話に聞く、金縛りってやつは、あんな感じなんだろうか?

 それでいて、本当の身体の方は、勝手に動いているのだ。


 まるでジェットコースターにでも突然乗せられたようだった。

 弱い人なら、酔ってしまいそうだななどと場違いな事を考えた。


 抱えていた子供を、そおっと床に下ろす。

 どうも落ちたときに足をひねったようだが、それ以外には目立った怪我も無いみたいだ。


 それにしても……。

「なあ『オレ』」

「なんだ?」

「ちょっと聞きたいことがあるんだ」

「回りくどいやつだな、さっさと言え!」

 『オレ』の強い調子に、ちょっとたじろぎつつも、僕はさっきから気になっていることを聞いてみた。

「さっき、僕が呼んでないのに交代したみたいだけど、お前は好きなときにいつでも交代できるのか?」


「そんなことは無いぜ、オレがお前と交代できる条件は三つある」

 やや微妙な間を置いた後で『オレ』は語り始めた。

「まず、お前が寝てるか気絶してる時、それからお前がオレを呼んだ時、もう一つは、何かを強く念じた時だ」

「最後のは、どういうことだ?」

「例えばさっきの場合なら、お前、子供を助けたいとそれだけで頭が一杯になったろ。だからそれに応えてオレが出て行けたってわけだ」

「念じる内容は、なんでも良いのか?」

「しらねえよ、そんなこと試してみりゃ良いだろ。大体オレは説明とかそういうのが苦手なんだ」

 何となく『オレ』が面倒そうに、そっぽを向いたような気配がする。


 なるほど、『オレ』の交代条件は、僕の欲望に左右されるみたいだ。

 粗野で暴力的なこいつらしい条件だな。


「主導権は今のところお前にあるから、お前が拒否すればオレは出て行けない。どうだ、便利だろう?」

 何となく『オレ』があの妙に魅力的な笑みを浮かべているような気がして、僕は身震いした。

 『オレ』の甘言に乗ったら、とんでもない事になる気がする。

 そんな不信感が未だに拭えていなかった。


 その後、助け出された僕は駅や警察で事情を説明するのに手間取って、結局会社は大遅刻になってしまった。

 話を聞いた社長は、そういうことなら仕方ないと言って不問にしてくれたが、あんまり危ない事はするなと言われてしまった。


 それはそうだろう、勇敢にホームに飛び込んで子供を助けるなんて、まるでヒーローアニメの主人公か何かみたいだ。

 一歩間違えば、僕も子供もろとも電車に撥ねられていたであろうことを考えると、社長の言いたいことも良くわかる。

 でも、子供とその親御さんに丁寧過ぎるほど礼を言われたのは、ちょっと気分が良かったな。


 そんなわけで、その日の僕はすこぶる上機嫌で一日を過した。



 それから数ヶ月。

 社長から工場で今まで扱ってきた商品や開発方針を徹底的に叩き込まれた僕は、本来の経理関係の仕事の他に、工場での手伝いもするようになった。

 まだまだ社長の横で助手的な作業しかできないが、物を作るという今まで体験した事の無かった仕事は思いのほか面白かった。


「そう、そこは慎重にやるんだぞ」

「こんな感じ……ですか?」


 僕が慣れない工業機械の前で悪戦苦闘するのを、社長が真剣な目をして見つめている。

 普段は大雑把に見える社長も、こういう仕事の最中は人が変わったように真剣そのものになる。


「よし、そんなもんで良いだろう。唯野くん、お前さん思ったより筋が良いな」

「おだてないでくださいよ」

「いや、嘘じゃねえって、こういう仕事は好きか?」

「ええ、最近面白いと感じてきました」

「そうかそうか、それは良かった」


 社長が満足そうに何度も頷く。


「見ての通り、うちには後継者が居ないからな、その気があるのなら、もっと色々教えてやるぞ」

「ぜひお願いしますっ!」


 思わず姿勢を正す僕に、社長は思わせぶりな笑みを浮かべる。


「まあ、まだまだワシには追いつきそうも無いがな」


 それはそうだろう、こっちはまだ始めて数週間だ。


「ワシを追い抜けたら、この工場を譲ってやっても良いぞ」

「そんな、冗談でしょう?」

「もちろん冗談だ」

「社長もお人が悪い」


 社長と僕は顔を見合わせて笑った。

 途端に親しみやすい顔になるのは、人徳といったところか。


「ワシもまだまだ現役を引退する気は無いしな。だがさっきも言ったが、後継者は考えておかねばならん。期待してるぞ」

「はいっ! がんばります」

「怪我には十分注意してくれ、それと本業の方もよろしくな」


 おっと、そういえばそろそろ銀行の担当者の所に打ち合わせに行かなきゃいけない時間だ。

 急いで着替えなきゃ。


「良いんじゃねえの、次期社長ってことはあの娘も嫁さんに付いてくんだろ?、人生バラ色ってやつ?」

「うるさい! 失礼な事言うんじゃない!」

「へいへい」


 足早に更衣室へ向かう途中、横槍を入れてきた『オレ』を一喝する。

 いくら後継者の話が出たからって、そんな乗っ取り紛いのことができるわけないだろう。

 あれ以来、極力『オレ』を表に出さないようにしているせいか、どうも退屈しているらしい。

 最近、呼びもしないのに頻繁に話しかけてくるようになった。

 気をつけなければな。


 こいつは迂闊に呼び出したら何をするか、わかったもんじゃない。

 コンビニの時は正当防衛だし、相手が相手だったから何も言って来ないが、一般人を相手に暴力事件など起こされたら良い迷惑だ。

 最悪、ここをクビになる可能性だって有る。

 電車の時は、たまたまうまくいったが、次もそうだとは限らないしな。


「ぐだぐだと慎重なやつだな、オレがそこまで見境無しに見えんのか?」


 ぼやく『オレ』を、僕は敢えて無視することにした。



 その夜。

 僕はパソコンの前に座って、帳簿の山を引っ繰り返しながら財務会計のソフトと格闘していた。

 勤務時間は既に過ぎていたが、どうも腑に落ちない事があったせいだ。


「あら、唯野さん。まだお仕事されてたんですか?」


 夕食の支度を終えた奥さんが、驚いた表情でこちらを見た。


「あ、申し訳ありません、ちょっと調べたいことがあって。社長には許可は取ってるはずなんですが」

「あらごめんなさい、私ちっとも聞いてなかったわ。時間かかりそうですの?」

「ええ、もうちょっと時間をいただければと思います」

「あら、それなら晩ご飯を用意しますね」


 そう言うと、奥さんは返事も待たずに、ぱたぱたと自宅の方に引っ込んでしまう。

 しばらくして、奥さんは、おにぎりが2つ載った皿と湯のみを持って戻ってきた。


「簡単な物で申し訳ないですけど」

「ありがとうございます、いただきます」

「それで、調べたい事ってどんなことですの?」

「あ、ええ、そうですね……」


 僕はちょっと言い淀んだ。

 正直、確信が無い予感のようなもので、皆を不安にさせて良いものか判断に迷ったのだ。


 今日昼間に行った銀行の担当者は初めて会う人だったが、雑談好きな人らしく、本命の話がさっぱり進まないのだ。

 結局、話はうまくまとまらずに帰らざるを得なかったのだが、どうもこの、のらりくらりと話をはぐらかしてるような態度が気になった。


 何かの理由で資金を貸し渋っているのではないだろうか、元銀行員の僕の勘がそう告げていた。

 この工場に対してそれなりに信用があるはずなのだが、どうして突然こういう方針に出たのか、どうしても納得が行かなかった。


 今まで調べた帳簿にはおかしな所は見当たらないし、業績も小規模工場にしては、かなり頑張ってる方だと思う。

 やっぱり僕の考えすぎなんだろうか……。


 気まずい沈黙が流れる。

 心配そうな奥さんの視線が、とても痛かった。


「えっと、○×銀行の担当者の方ってご存知ですか?」

「ええ、知ってますよ。最近新しく変わった方で、すぐ話が横道に逸れるので肝心な話を良く忘れると言って笑っておられました」


 それはそれでどうかと思うが、誰に対してもそうならやはり考え過ぎか。


「どうも僕の勘違いだったようです。ご心配かけて申し訳ありませんでした」

「そうですか? 唯野さん私よりこういう話に詳しそうですし、気になることがあったら、遠慮しないでおっしゃってくださいね」

「わかりました、ありがとうございます。あ、晩ご飯ごちそうさまでした」


 確信もないのに、奥さんを心配がらせる必要も無いし、無用な不信感を持たせるのも良くないだろう。

 その後もしばらく帳簿をチェックしてみたが、やはり思い当たるような物件や不審な点などは見つからず、一抹の不安を抱いたまま僕は家路についた。


 そして、この漠然とした不安が杞憂ではなかったことがわかるのは、それから数日後のことだった。

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